日南線の旅〜駅の横側
内海駅
内海駅
青島から折生迫を過ぎて、青島トンネルを抜けてきた日南線はやがて海辺の駅に到着する。内海駅だ。川の河口部が細長く陸地に入り込んだ湾を形作っており、そこから「内海」の名がある。湾はそのまま天然の良港となって、かつて一時期は宮崎市の海の玄関としての役割を担ったこともあった。その湾の西側の岸辺に内海駅はある。

線路の西側には山林が迫っているが、駅の敷地は広々としていて、その中央にぽつんとホームがある。本来は島式のホームで、両側に線路が通っていたのだが、今は片方が撤去されて片側のみを使用している。そのために余計にホームの周囲が広場のような印象になっているのだろう。ホームから少し離れて小さな待合所が建っている。待合所の傍らで風に吹かれる椰子の木が南国の風情を漂わせている。
内海駅
内海駅 内海駅
駅は国道220号から近く、ホームのすぐ脇まで車で入ってくることもできる。駅の前には国道から逸れてきた細い道路が通っていて、その向こうはすぐに海だ。海とは言っても、細く延びた湾の形状は河口の延長というべきものかもしれない。駅の真下には防波堤で囲まれた船溜まりがあり、漁船やさらに小さなボートなどが静かに夏の陽射しを浴びて浮かんでいる。

内海駅から下り方面へ、次の小内海駅まで、日南線の線路は国道220号と寄り添うように海岸を走る。日南線では車窓から海岸の景色を見ることのできる数少ない区間のひとつで、引き潮の時刻であれば海岸に広く現れる「鬼の洗濯板」の美しい景観を楽しむことができる。
内海駅
内海駅
日南線が全線開通となる以前、内海と大淀駅(現在の南宮崎駅)とを宮崎軽便鉄道が繋いでいた。この軽便鉄道は1913年(大正2年)に開業、日南線が全線開通するまでの約50年間、内海と宮崎市街とを結ぶ鉄道路線として利用されてきた。日南線が全線開通するのは1963年(昭和38年)のことだが、内海駅の開業が1913年(大正2年)10月31日であるのはこのためだ。日南線の全線開通によってその座を奪われた形の軽便鉄道は、その意味では日南線の前身とも言えるものだが、そのルートは少し違っている。日南線は折生迫の駅から青島トンネルを抜けて内海駅へと至っているが、かつての軽便鉄道は折生迫から白浜を経由し、堀切峠下を経て、海岸沿いに内海に達していた。もともと民間事業として始まった鉄道だが、後に宮崎交通による経営へと移り、青島や「こどものくに」への観光客を運んだ鉄道でもあった。鉄道趣味の人であれば、内海の町にかつての宮崎軽便鉄道の名残を探してみるのも一興かもしれない。
内海駅
真夏の昼下がり、ホームのベンチに人影があった。お洒落な服装に身を包んだ姿は若い男性のようにも見えたが、実はかなり老齢の男性なのだった。男性に時刻を訊かれた。時計を確かめて時刻を告げると、男性は立ち上がり、ゆっくりと待合所に歩いてゆく。列車の到着時刻を確かめに行ったのだろう。やがてホームに戻ってきて、またベンチに腰を下ろす。間もなく到着する上り列車を待っているのだろう。しかしまだ十五分以上は待たなくてはならないはずだった。ベンチに座って時を待つ男性の姿はまるで風景の一部のようだ。辺りには蝉の声だけが響いている。しばらくして高校生らしい男の子が駅にやってきた。やがて列車の音が近づき、南側の木立の隙間から車両の姿が現れた。ホームの中央辺りに停まった列車から、降りる乗客はいない。二人の新たな乗客が乗り込み、発車した日南線の車両は緩やかなカーブの向こうにゆっくりと走り去った。
内海駅
INFORMATION
内海駅
【所】宮崎市大字内海
【開】1913年(大正2年)10月31日
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ページ内の写真は2002年夏に撮影したものです。