日南海岸風景
市木
市木
幸島の野生猿の観察研究に尽力された三戸サツエ先生の著書「幸島のサル(ポプラ社刊、後にこれを底本として鉱脈社から同名で出版された)」の第一章「幸島サルの研究者」の冒頭部分に、次のような記述がある。
そのころは、陸の孤島といわれたこの市木村は、東は海で、三方は山にかこまれ、日南市にいくにも、串間市に出るにも、ひどい山道を通らなければなりませんでした。
文中の「そのころ」というのは1948年(昭和23年)頃のことだ。この記述は幸島のサルの研究が始まり、京都大学から研究者たちが訪れるようになった頃のことについて、後年になって記された文章の一部である。当時の市木はこの記述のようにたいへんに交通の便の悪いところで、京都から訪れる研究者たちは列車やバスの便を乗り継ぎ、幾日もかけて幸島に訪れたということが記されている。

現在の串間市市木(いちき)地区は、1948年(昭和23年)当時は南那珂郡市木村だった。1954年(昭和29年)、南那珂郡福島町、大束村、本城村、市木村、都井村が合併して串間市が誕生した(三戸先生の文中の「串間市」は串間市中心部の旧福島町市街地のことを意味していると思われる)。当時の市木地区は、三戸先生の記述中にもあるようにまさに「陸の孤島」で、三方を囲む山々を越えなければ周辺の町への出入りができなかった。現在では海岸線の断崖に張り付くように国道448号が辿っており、内陸部の山越えの道路も整備されて交通の便は格段に良くなったが、台風や大雨の被害で崖崩れなどが発生すると道路が通行止めになることもあり、そのような時には昔ながらの不便さを強いられる。

そのような市木地区は、山々に囲まれた市木川流域のわずかな平野部に水田が広がり、ところどころに家々が集まって集落を成し、緑濃い長閑な風景の広がるところだ。その中を今は国道448号がまっすぐに抜ける。道脇にはワシントン椰子が植栽され、風を受けてなびく葉の様子が南国らしさを漂わせている。国道から少し内陸部に入り込むと、古都(こと)という風雅な名の集落がある。中心部に三叉路があり、南郷町方面への道路と本城方面への道路が分かれている。三叉路の傍らに「古都」のバス停がある。この辺りがかつての市木村の中心地で、村役場が置かれていた。今では鄙びた小集落という印象だが、三叉路となった交差点を中心に広がる家並みの佇まいにかつて地域の中心地だった時代の名残を感じることができる。
市木 市木
市木
-
市木の海岸は南北を岬に挟まれた入江を成し、美しい浜辺を抱えている。この浜辺は海岸近くの集落の名を取って「石波海岸」と通称され、その美しさによって「日本の渚百選」に選定されている。この「石波海岸」には海岸に沿って亜熱帯樹林が茂り、「石波の海岸樹林」の名で国の天然記念物に指定されている。250種を超える亜熱帯性植物が繁茂し、全国的にも類の無い貴重なものであるらしい。その「石波海岸」の浜辺の南端の沖合いに幸島が浮かぶ。国道448号に「幸島入口」の案内板があり、そこから海岸へ向けて小道を入ってゆくと、正面間近に幸島の姿が見える。海岸から幸島までは200メートルほどの距離しかない。幸島には野生猿の群れが暮らしており、芋を海水で洗って食べるという習慣を身に付けた猿としてよく知られている。冒頭で紹介した三戸先生は長年この猿の保護と研究に尽力され、多大な功績を残されている。2012年(平成24年)4月、三戸先生は老衰のため97歳で亡くなられた。
市木
市木
-
幸島の野生猿がよく知られてはいるが、その他には特に「観光名所」と呼べるような場所は市木にはない。石波の海岸も海水浴場ではなく、観光目的で訪れた人にとっては必ずしも魅力的なところとは言えないかもしれない。しかし、この美しい砂浜と緑濃く穏やかな風景は、それ自体が何物にも代え難い、貴重なものであるだろう。かつて「陸の孤島」とまで言われた、海と山々に囲まれた地形だからこそ、ここには「外」とは違った時が流れ、その風景の中に忘れてはならない何か大切なものを、今も残しているように思われてならない。
市木
INFORMATION
市木
【所】串間市大字市木
【問】串間市観光物産協会
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2001年夏、2006年夏に撮影したものです。本文は2012年12月に改稿しました。