八王子市追分町〜日吉町〜千人町
日吉町から千人町
Visited in January 2022

寒さの厳しい一月半ば、JR中央線西八王子駅に降りた。追分の交差点から日吉町、千人町の辺りを歩いてみたいと思ったのだった。薄雲の広がるまずまずの空模様、風は冷たいがのんびりと町散歩を楽しんでみたい。

「追分」交差点の歩道橋から高尾方面の甲州街道を眺めてみる。「追分」交差点から高尾駅前にかけて、甲州街道はイチョウ並木だ。春の新緑や秋の黄葉がたいへんに美しいが、今は真冬、すっかり葉の落ちたイチョウが並ぶ街路は寒々しい印象だ。

千人同心は本能寺の変の後に甲斐を治めることになった徳川家康が旧武田氏の家臣を取り立てて国境の警備に当たらせたことに始める。豊臣秀吉の北条攻めによって八王子城が落城した後、家康は彼らを八王子(現在の元八王子)に移し、城下の警備に当たらせた。その後、北条の家臣や浪人なども加えて500人の規模となり、八王子城下の混乱が収まった後、現在の千人町に拝領屋敷を与えられて移転する。さらに1000人に増員され、「八王子千人同心」が成立する。記念碑が建つ辺りには千人頭である原家の屋敷があった場所という。
幕末には千人同心は「千人隊」として幕府軍の一部として新政府軍と戦っている。慶応4年(1868年)、千人隊に対して駿府に移った徳川家に従うか、新政府に仕えるかと願い出るようにと通達される。千人頭は全員が徳川に従って静岡に移り、隊士67名は新政府に仕える道を選んだが、800名を超えるほとんどの者はそれぞれの村に戻って農業に従事する道を選んだという。
これらの千人同心の歴史の概略が、記念碑横の案内パネルに記されている。興味のある人は目を通しておこう。

周辺は住宅街だ。その中に店舗や企業の事務所などが点在する。空き地や閉店してしまった店舗の建物なども混じる。そんな町の様子を見ながら歩く。

境内には数多くの紫陽花が植えられており、近年では“八王子の紫陽花寺”として知られるようになった。今は冬で、もちろん紫陽花は咲いていない。代わりというわけではないが、水仙の花が冬の境内に彩りを添えている。

河岸に水無瀬児童遊園という小公園がある。真冬の公園には遊ぶ子どもの姿もなく、寂しげな印象だ。

千人町を気の向くままに歩いてみる。洒落た店構えのカフェがあったり、素敵な風情の路地を見つけたり、さまざまな発見があるのも町歩きの愉しみだ。

かつて千人同心が拝領した馬場が宗格院の北側にあった。そのことから甲州街道から宗格院までの道を当時から馬場横丁と呼んだのだという。
今ではその馬場の名残を見つけることはできない。「西八王子駅東」交差点の角、山梨中央銀行の敷地の一角に建つ石碑が、歴史のひとこまを今に伝えるのみである。

以前から日吉町から千人町の辺りをゆっくりと歩いてみたいと思っていた。真冬の寒い日だったが、ようやく機会を設けることができてよかった。この地域は八王子千人同心縁の土地だが、残念ながらその名残を見つけることは難しく、町名や記念碑などにその記憶を残すのみだ。冬の住宅街の佇まいを楽しむ散策となったが、それはそれで楽しい時間だった。


