八王子市堀之内
大栗川河畔
(堀之内)
Visited in October 2021
よく晴れた十月下旬、ふと思い立って堀之内方面へと出かけた。大栗川の河岸を中心に周辺を歩いてみたいと思ったのだった。大栗川に大田川が合流する辺りから、下流側の新道橋の辺りまで、寄り道をしながらのんびりと巡ってみたい。
大栗川の河岸には「由木緑道」という名の緑道が整備されている。緑道は桜並木で、すでに紅葉に染まり始めている。色付き始めた桜の下を歩く。
峯ケ谷戸橋を渡ると、右手(東側)には大栗川公園がある。公園は大田川と大栗川、峯ケ谷戸橋を通る道路とに挟まれた三角形の形状をしている。道路がわに広場があり、先端部に行くほど低くなっている。風車を思わせるオブジェやギリシャ神殿の石柱を思わせるオブジェなどが置かれているのが面白い。十月下旬、広場脇のモミジバフウが紅葉に染まり始めていた。
少し進むと大栗川と大田川の合流点だ。さらに進んで振り返れば合流点の景色がよく見える。秋空の下で見る景観が美しい。合流部の先端の立地を活かした公園の様子がよくわかって面白い。
200mほど行ったところで平山通りはトンネルを抜ける。トンネルとは言っても高い尾根などを貫いているわけではない。トンネル横には木々の茂った丘があるが、どうしてもトンネルを設けなくてはならなかったような地形には思えない。トンネルの上には鳥居が見えているから、おそらく脇に神社があり、そのために切り通しにせずにトンネルで道路を通したものだろう。以前から気になっていたところだ。今回、トンネルの上を見てみよう。
坂道は下の方では未舗装の路面を階段状に整備した状態だが、やがて舗装路になる。坂道の途中から振り返ると南に視界が開けて京王堀之内駅方面への景観が広がる。なかなか爽快な眺望だ。
八幡神社であるから祭神は応神天皇(誉田別尊)である。境内に設けられた「北八幡神社の歴史」と題された案内パネルによれば、この北八幡神社は天文年間(1532〜1555年)に、滝山城を拠点とした大石定久(道俊)の弟である大石宗虎(後の定基)が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を分祀して堀之内寺沢の宮嶽山に祀ったのが始まりという。その後、現在地に遷座、堀之内村、松木村、越野村の三村の鎮守として人々の篤い信仰を受けてきた。
なるほど、この北八幡神社の境内地とその周辺を昔のままに残すために、道路が切り通しではなくトンネルで造られたのだろう。
平山通りが抜けるトンネルの上は緑地のスロープになっていて、舗道が延びている。舗道を辿って平山通りの東側へ降りていこう。この辺りは今ではすっかり新しい住宅街になってしまったが、昔は長閑な農村風景の広がるところだった。今でも住宅地の北側にはそうした風景が残っており、住宅地の中にも昔ながらの里山風景を活かした公園が整備されている。そちらにも散策の足を延ばしてみたいが、それはまた次の機会にしよう。
その都道503号を南へ、大栗川方面へ辿っていこう。道脇には学生向けらしい集合住宅なども建っている。この辺りは周辺に中央大や明星大、東京薬科大、帝京大などの大学が点在しており、学生向けのアパートなどの需要も多いのだろう。道脇では熟れた柿の実が陽射しを浴びていた。青空に映えて美しかった。
園内の木々もそろそろ秋の色に染まり始めている。少し黄色を帯びたカツラの葉が陽光を浴びて美しい。イチョウがきれいに並んだ場所もあって、黄葉の季節に訪れてみたいと思わせてくれる。
新道橋を渡って左岸の舗道を150mほど下流側へ辿ると、河岸に堀之内番場公園がある。堀之内番場公園に寄り道し、園内を一回りしたら、京王堀之内駅を目指し、帰路を辿ることにしたい。
以前から平山通りのトンネルの上がどうなっているのか気になっていた。ようやく機会を設けて訪ねることができてよかった。今はすっかり住宅街になってしまったが、北八幡神社の佇まいに昔の風景を偲ぶことができた。次の機会には堀之内の北部、長閑な里山風景の残る地域へ足を延ばしてみたい。