八王子市片倉町〜打越町
湯殿川河畔
(片倉〜打越)
Visited in October 2015
十月の晴れた日、湯殿川に沿って歩いた。湯殿川の河畔は小比企町や館町の辺りは歩いたことがあったから、次の機会には片倉町から下流側へと歩いてみたいと思っていた。京王高尾線京王片倉駅から出発し、湯殿川に沿って辿り、北野駅を目指してみたい。
京王高尾線の京王片倉駅から外へ出ると国道16号だ。国道16号の歩道を南へ、京王高尾線の線路をくぐって坂を下ってゆく。北野街道(都道173号)が国道16号と交差する「片倉町」交差点を過ぎ、京王片倉駅から300mと少しで湯殿川の河岸に着く。
国道16号は住吉橋で湯殿川を跨ぐ。住吉橋の袂から南西の方角に目を向けるとこんもりと木々の茂った丘が見える。
片倉城跡公園だ。その名が示すように古い時代の山城跡を公園として整備したもので、四季折々の花々が楽しめる公園として親しまれている。秋の片倉城跡公園散策も楽しいものだが、今回は立ち寄らずに湯殿川沿いに東へ向かおう。
住吉橋の下流側、湯殿川の右岸側は川面近くへ降りてゆけるように整備され、親水空間を成している。降りてみると河岸の道からとは違った視点で湯殿川や河畔の風景を見ることができ、なかなか楽しい。河岸には何本か、大きな桜の木がある。“並木”というほど数は多くないのだが、どの木も大きく枝を張って見事な樹形だ。
春には湯殿川を春色に彩ってくれるが、今は10月、そろそろ葉が秋の色に染まり始めている。
住吉橋から200メートルほどで新山王橋、ここから南へ200メートルほど行くとJR横浜線の片倉駅がある。住吉橋から新山王橋までは湯殿川の右岸を歩いてきたが、新山王橋で左岸側に移動する。この先、湯殿川の右岸側は南側から
兵衛川が合流し、そのまま湯殿川の下流側に辿ることができないのだ。
新山王橋から200メートルほど進むと湯殿川と兵衛川との合流点だ。50メートルほど下流側に東橋(あづまはし)という橋が架かっている。東橋の上から眺めると、二つの川が「Y」の字を描くように合流する様子がよく見える。湯殿川の流れに横から兵衛川が流れ込む形だから、小文字の「y」に近いか。東橋の上から兵衛川の上流側へ目を向けると、河岸に建つ片倉記念館の特徴的な建物が見える。川の合流点の風景には何故か心惹かれるものを感じて、しばらくその眺めを楽しみつつ時を過ごす。河畔は八王子市片倉町の北東部に位置する住宅街だ。穏やかな風景が広がっている。
東橋で再び右岸側へ移動し、さらに下流側へと辿ろう。東橋から100メートルほど、右岸側には桜の木が並んでいる。それを過ぎると、ここも親水空間として整備され、川面近くに降りてゆくことができる。ここにはスロープが設けられており、車椅子やベビーカーなどでも川面近くへ降りることができるのが嬉しい。河床はカスケード状に整備され、幾重にも重なる段差を水が流れ落ちてゆく様子が涼やかだ。流れの穏やかなところには鯉の群れ泳ぐ姿がある。
そんな川の様子を見ていると気付かないうちに時が過ぎるが、また下流側へ向けて進もう。この辺りまで湯殿川は八王子市片倉町を流れていたが、この先は八王子市打越町だ。打越町はかつては武蔵國南多摩郡打越村だったところだが、1889年(明治22年)に周辺の村々と統合されて由井村となり、1955年(昭和30年)に由井村が八王子市に編入され、現在の八王子市打越町となった。
東橋から200メートルと少し、打越橋が湯殿川を跨いで北野街道(都道173号)を通している。現在の打越橋は2000年(平成12年)に完成したものだ。昔の橋はあまり広くなかったが、新しい橋はずいぶんと広い橋になった。しかし現時点では東側で横浜線との立体交差化の工事が行われており、そのせいで橋の上も車線が規制されている。
打越橋の100メートルほど東側、北野街道が横浜線を越える「打越踏切」がある。北野街道は交通量が多く、特に平日の朝夕には電車通過待ちで渋滞が避けられなかった。それを立体交差にする工事が2002年度(平成14年度)から行われている。工事はそろそろ終盤、今年度(2015年度)中にも終了する見込みだ。
【追記】
北野街道と横浜線との立体交差化の工事は、2016年(平成28年)3月26日にアンダーパス部分が完成し、通行可能となった。通行可能となった後も側道部分の整備などが残っており、関連工事は2017年度(平成29年度)まで行われた。
打越橋の歩道から湯殿川の下流側を見ると、緩やかな曲線を描く様子が美しい。打越橋を過ぎてさらに湯殿川の右岸を下流側へと辿ろう。この辺りは打越町の北西端に当たる地区だが、1992年度(平成4年度)から「八王子都市計画事業打越土地区画整理事業」が施行されている。計画では2021年度(平成33年度)までの事業期間らしいが、すでにほぼ終了しているようだ。そのお陰で、湯殿川の両岸には整然とした住宅地が広がっている。
打越橋から150メートルほどのところに日向前橋という橋が架かっている。「日向前」というのは、橋から少し北側の地区の古い地名のようだ。日向前橋の袂、歩道脇に「湯殿川の川天狗」と題したパネルが設置されており、この辺りに伝わる昔話が紹介されている。暗くなってから通りかかると砂利をすくうような音が聞こえて、確かめようと川へ下りると引き込まれて溺れ死んでしまうという。「川天狗」と呼ばれる妖怪の仕業だと恐れられたという話だ。
このパネルの裏には現在の「打越土地区画整理完成図」と1882年(明治15年)の武蔵國南多摩郡打越村の地形図が並べて記されている。昔の地形図を見ると、かつての湯殿川がくねくねと蛇行していた様子がよくわかる。昔の地形図や、言い伝えられる昔話から古い時代の湯殿川の風景を想像してみるのも楽しい。
日向前橋の袂、湯殿川の右岸には「
打越日向前橋南公園」という小公園がある。小さな公園だが、まだ新しい様子で、おそらく打越土地区画整理事業によって新たに造られた公園なのだろう。打越日向前橋南公園のすぐ横で、横浜線の線路が湯殿川を跨いでいる。公園からはすぐ横を走る横浜線がよく見える。公園東側の道路に出ると、さらに近くから見ることができる。行き交う横浜線の姿を少し写真に収めてゆこう。
横浜線の線路をくぐって、河岸の道をさらに下流側へと辿る。横浜線の橋梁から100メートルほどで八幡橋という橋が架かっている。八幡橋の下流側、右岸部には「
打越土入公園」という小公園がある。打越土入公園脇、八幡橋から100メートルほどのところに「時見橋」という橋が架かっている。時見橋は車両の通行できない人道橋で、中央部に日時計として機能するオブジェが設置されている。橋の名はその日時計に由来しているのだろう。日時計の周囲は円形のデッキ状に造られており、湯殿川の風景をよく見渡せる。河畔は住宅地で高層の集合住宅なども多く建ち並んでいるが、橋の中央に立てば視界も開けて爽快だ。時見橋の上流側は川面に下りることができるように護岸が整備されている。川面近くに下りてみても楽しい。
時見橋を渡って左岸側(北側)へと歩を進めてみよう。時見橋から北へ辿り、京王線の線路をくぐってさらに北へ進むと線路脇に「
北野天神公園」という公園がある。それほど大きな公園ではないが、園内にはさまざまな樹木があり、それらがそろそろ秋の色に染まり始めている。公園の名は北東側に100メートルほど離れたところに建つ
北野天満社が由来だろう。北野天満社はかつて横山党の一族が京都の北野天満宮を勧請して建立したものともいうが、詳しいことはわかっていないらしい。
この辺りは京王線の線路が概ね町の境になっており、南側は八王子市打越町、北側は八王子市北野町だ。「北野」の地名も北野天満社に由来するものだ。北野も打越と同様にかつては武蔵國南多摩郡に属する村のひとつで、1889年(明治22年)に周辺の村々と統合されて由井村となり、1955年(昭和30年)に八王子市に編入、現在に至っている。
北野天神公園から再び湯殿川の河岸に戻り、また下流側へと歩を進めよう。時見橋から150メートルほどで打越大橋という大きな橋が架かっている。1989年(平成元年)に完成したものだ。橋の欄干にはイチョウの葉があしらわれ、歩道にもイチョウの葉の形をしたベンチが設けられている。イチョウは八王子市の「市の木」だ。打越大橋の100メートルほど東側では国道16号八王子バイパスが湯殿川と北野街道を一跨ぎにしている。
北野街道の交差点で道路を横切り、湯殿川の下流側へと進む。八王子バイパスから100メートルほど行くと、下田橋という細い人道橋が湯殿川を跨ぐ。下田橋を渡って湯殿川の左岸(北側)へと入り込んでゆけば京王線北野駅が近い。北野駅へ向かい、そろそろ帰路を辿ることにしよう。
京王線京王片倉駅から北野駅まで、湯殿川の河岸を辿って2kmと少し。寄り道をしながらのんびりと歩いて1時間半ほどの散策だった。個人的には見慣れた風景の中を歩いた印象だが、それでもさまざまな発見があった。その発見が散策の醍醐味だ。次の機会には湯殿川の河岸をさらに下流側へ、浅川との合流点までを歩いてみたい。