横浜市中区山手町
−元町公園−
ベーリックホール
Visited in May 2012
山手本通り沿いの、
「エリスマン邸」の西側に位置して「ベーリックホール」が建っている。
元町公園本園の敷地からは狭い路地で隔たっているが、この「ベーリックホール」もまた元町公園に附属した施設だ。
この建物はバートラム・ロバート・ベリックの私邸として、1930年(昭和5年)に建てられたものだ。B.R.ベリックは英国の貿易商で、ベリック商会の経営者として知られている。もともとこの場所にはベリックの自邸があったが、関東大震災によって崩壊、その後にベリックがJ.H.モーガンに依頼してこれを建てたものらしい。戦後になって建物は宗教法人カトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきた。「ベーリックホール」という名は同会による命名という。
20世紀も終わろうとする頃、そのセントジョセフ・インターナショナル・スクールが百年の歴史に幕を下ろすことになった。この閉校は一方的にスクール側から通達されたものだったようで、父兄会との間で裁判にもなって、当時マスコミにも報じられた。しかしけっきょく同校は2000年の春に最後の卒業生を送り出して閉校となり、校舎も取り壊されて現在は残っていない。「ベーリックホール」も存続が危ぶまれたが、横浜市が土地を取得、それに伴って建物も市に寄贈されることになった。
「ベーリックホール」はセントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われていた頃から、建築に携わる人たち、建築に興味のある人たちの間では知名度の高いものだったようだが、深い木立に囲まれて周囲からその建物の姿は見えず、一般の人たちにはあまり知られていなかった。長く一般公開が望まれていたものだったらしい。横浜市は取得した建物と敷地を隣接する元町公園の拡張部分として整備改修を行い、ようやく一般公開となったのが2002年7月のことだった。
緑濃い敷地の中に建つ「ベーリックホール」はなかなか大きく堂々とした姿を見せる。横浜に残る洋館の中でも個人宅としては最大級の規模という。建物はスパニッシュ風の様式で、端正に整備された庭の雰囲気や植栽された南国の樹木の印象と相俟って南欧のリゾート地に迷い込んだような錯覚さえ覚える。建物の前は芝生の庭になっていて、それを廻って散策路が辿り、随所にベンチが置かれている。散策路の片隅ではイーゼルを立てて絵筆を走らせる人の姿もある。「ベーリックホール」の美しい外観は写真や絵の趣味の人にとって創作意欲をかきたててくれるものに違いない。
設計したJ.H.モーガンは横浜にも数多くの建物を残した著名な建築家で、「
山手111番館」なども彼の作品としてよく知られている。「山手111番館」も南欧風の雰囲気を漂わせているが、そうした仕様はモーガンが個人邸を設計する時の作品の特徴であったようだ。
「ベーリックホール」は内部も無料公開され、自由に見学することができる。中もなかなか広い。これが個人宅として使用されていたというのだから、往時の貿易商の裕福さを窺い知ることができる。室内には家具や調度品が復元され、ベリックが暮らしていた当時の雰囲気を再現している。
入館口から中へ入ると右手に広い部屋があり、中央壁面には暖炉が据えられている。以前訪れた時には、部屋の奥に置かれた自動演奏のピアノが音楽を奏でていたこともあった。美しい意匠の階段を上ると、二階部分には寝室などのプライベートな部屋が並ぶ。各部屋の様子を見てゆくと、細かな部分にまでさまざまに興味を覚えて飽きない。各部屋毎に基調となる色が異なっているのも面白い。子ども部屋にはぬいぐるみなどが置かれていかにも「子ども部屋」らしく設えられているが、ベリックがこれを建てたときにはすでにご子息は成人していたという。この「子ども部屋」は、一般公開にあたっての、いわば「演出」であるらしい。
「ベーリックホール」は一般公開されてからすでに多くの観光客を集めて知名度も高い。前庭の整備によって
山手本通りからもその姿を見ることができるようになった。入館して往時の貿易商の暮らしぶりを偲ぶのも楽しく、また前庭から見る建物自体の美しさを堪能するのもいい。横浜山手の観光名所のひとつとして相応しいものではないかと思える。正面から建物を見るとあまりに大きくて、なかなかその全景をカメラに収めきれないのが難点であるかもしれない。