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横浜市青葉区恩田町
初夏の恩田町
Visited in June 2003
初夏の恩田町
横浜市青葉区恩田町は市街化の波が迫りながらも今なお緑濃い里山と谷戸を残し、恩田川河畔には美しい水田地帯の広がる地域だ。晴天に恵まれた六月上旬、この恩田町を歩いた。
横浜線を長津田駅で降り、北へ向かって歩き恩田川河畔を目指した。こどもの国線で恩田駅まで行こうかとも考えたのだが、やはり恩田川河畔の水田地帯の中を歩きたいと思ったのだった。

初夏の恩田町 堀の内橋から恩田川の左岸を東へ辿ると、すぐに東急こどもの国線の線路をくぐる。線路の向こう側には広々とした水田地帯が広がっている。田植えの終わった水田の上を初夏の風が吹き渡ってゆく。水田の景観を楽しみながらのんびりと歩く。ところどころに農作業の人の姿がある。やがて奈良川との合流点、ここから奈良川の上流へと向かう。田圃の向こうの線路をときおりこどもの国線の電車が走って行く。その様子も何となくのんびりとしていて楽しい。水田の景色を眺めたり、川の様子を眺めたりしながら、のんびりと歩く。県道139号線が近づいた頃、川面にカワウの姿を見た。写真を撮ろうと思ったのだが、すぐに視界から消えてしまって撮影できなかった。
初夏の恩田町
初夏の恩田町 やがて「中恩田橋」交差点に至る。「こどもの国通り」と呼ばれる県道139号線と成瀬街道との交差点だ。県道139号線は北へ辿ると「こどもの国通り」の名が示すように「こどもの国」前を経て鶴川駅の東で「津久井道」に至る。南は恩田川に沿うように緑区を抜けて、鶴見川を越えて「横浜上麻生道路」へ繋がる。成瀬街道はその名の通り町田市成瀬方面を抜けて町田駅の南側へと至る。東は松風台と桂台の間を辿って丘を越え、さらに青葉台、藤が丘方面の住宅街を抜けてゆく。松風台や桂台は、まだこのあたりが造成中だった頃のことを覚えているが、今では家々が建ち並んで当時の面影もない。

初夏の恩田町 交通量の多い交差点を、信号が変わるのを待って渡り、まず桂台方面へ向かって進む。道路はバス路線にもなっており、交通量は多い。市街化の波が間近に迫っているが、道路脇にはまだ水田が残っている。その北側に緑濃い丘が横たわっている。その丘に沿う道へと進んでみる。道脇の丘は昔ながらの里山の様相を残していて、見上げると青空を背景にした木立の緑が眩しい。丘に沿う道はやがて家々の建ち並ぶ一角にさしかかり、丁字路にぶつかる。丁字路を右に折れればバス通りに戻るが、左に曲がると雑木林の丘に囲まれた谷戸に入り込む。
初夏の恩田町
初夏の恩田町 水を湛えた田圃を抱えて、谷戸はまるで奇跡のように横たわっている。その景観は周囲に新興の住宅街が迫っているとはとても思えない。谷戸の奧へと道が延びている。道は舗装道路で、それほど狭くはないが車同士のすれ違いの際には気を遣うだろう。それほど交通量の多い道路ではないが、北へ辿るとすみよし台へ抜けるためにときおり通り抜ける車がある。車の走っていないときは、谷戸は静けさに包まれて鳥の声が聞こえるばかりだ。日差しの中を歩いていると汗ばんでくるが、木陰に入ると吹き抜ける風が涼しい。風は水と緑の匂いがする。

初夏の恩田町 谷戸の東側を辿っていた道路はすぐに谷戸を横切って西側の丘の麓を進む。視界には緑の丘とその間に水田だけが広がっている。そのような風景にはわけもなく郷愁を感じて心が和む。農耕民としての日本人の原風景、というと大げさかもしれない。ただ自分がこのような風景のなかで子ども時代を過ごしたための郷愁であるのかもしれない。水田に映る林のシルエット、水田の隅に置かれた苗の束、農作業の人の姿、谷戸全体の描く緩やかな曲線の美しさ、そんなものを楽しみながらのんびりと歩く。
初夏の恩田町
いつまでも谷戸田の風景を眺めていたい気もするが、先へと進むことにしよう。谷戸を北へ抜け出るとすみよし台の住宅街へと至る。住宅街の道路が谷戸の直前で途切れているが、この道路はいつか谷戸を抜けて中恩田橋方面へと繋がる計画があるのだろうか。そうなれば美しい谷戸も造成されて住宅街へと姿を変えるのだろうか。そうだとすれば、やはり残念な気がする。

初夏の恩田町 すみよし台の住宅街の南端を西へ向かって進むと、「すみよし台第三公園」という小さな公園があった。公園を抜けても周辺は住宅街が続いている。公園脇から南の丘へ階段が辿っている。興味を覚えて階段を上ってみた。丘の上に畑地があった。さきほど抜けてきた谷戸の西側の丘の、その西側斜面にあたる。階段の上で少し休む。そこからは北へ向けて眺望が良く、こどもの国駅方面へと延びる東急線の線路が見える。腰を下ろしてのんびりと休んでいると、やがてこどもの国線の電車が走って行くのが見えた。ここから見る電車は遠く小さく、ジオラマの中の模型のようだ。下方を県道139号線が走っているはずだが、ここからは車の音も遠くに聞こえるばかりだ。すぐ近くで鳥の声がする。
初夏の恩田町
しばらく休んで丘の上の畑地の横の小径へと進んだ。のどかな畑の表情が楽しい。昔ながらの里山の風景の中、小径を辿って西へ降りると奈良川河畔へと出た。「奈良下橋」という橋が架かっている。奈良川に沿って県道139号線と東急こどもの国線が併走している。道路は交通量が多く、道脇を歩くのはあまり楽しいものではないが、このまま少し南へ進む。

初夏の恩田町 やがて矢剣(やつるぎ)橋という橋があり、線路を渡る小さな踏切があった。「長津田4号踏切」という名のその踏切を越えると、谷戸へ入り込む道が延びている。「この道行き止まり」の表示があるが、興味を覚えて進んでみた。道の奧に小さな谷戸田が横たわっていた。水田と林の織りなす風景が美しい。道はやはり行き止まりのようだ。踏切まで戻って再び奈良川河畔を下流川へと辿る。
初夏の恩田町
初夏の恩田町 しばらくすると恩田駅が見えてくる。東急こどもの国線は本来は「こどもの国」への行楽客を運ぶことを目的としていて、長津田駅とこどもの国駅との間を直通で結んでいたものだった。やがて時代が下るとこどもの国線沿線の宅地化が進み、こどもの国線を通勤に使う人々が増え、駅の新設が望まれるようになった。恩田駅はそのような需要によって2000年(平成12年)の春に新設された駅だ。駅は西にあかね台の住宅街を抱えているが、今はまだ駅周辺は閑散としていて店舗などもない。周辺の宅地化がさらに進むと、駅の様相もまた変わるだろう。

恩田駅の西南側にはあかね台の住宅街が広がっている。かつては雑木林と畑地の広がる里山だった地域だが、今では整然とした街並みに姿を変えている。そのあかね台の住宅街の北側の端を、恩田駅前を東端として西に向かって大きな道路が延びている。その道路のさらに北側にもう一本の道がある。この道の北側には木々の茂る丘が広がり、このあたりの昔の風景を残している。その丘の沿って、恩田駅前から西へ向かってゆく。
初夏の恩田町
初夏の恩田町 少し歩くと、道脇に「あかね台鍛冶谷公園」という公園がある。公園東側の低地は遊水池と思われる。公園は広場の周囲に遊具類や四阿などを配したもので、特徴のあるものではないが、あかね台に暮らす人たちにとっては必要充分なものだろう。公園は北側に緑の丘を控えているために、それを借景として、とても緑豊かな印象がある。トイレも設置されているので、散策の際の一休みには良い場所だ。

初夏の恩田町 公園を出て、丘の麓の道をさらに西へ向かうと、丘の木立の中に神社がある。子ノ辺神社というらしい。特に大きな神社ではないが、丘を背負って木立の中に建つ佇まいがのどかな里山の暮らしを彷彿とさせて風情がある。

子ノ辺神社を過ぎると道が曲がって、大きな丁字路の交差点に出た。成瀬街道の「あかね台入口」交差点から北へ延びてくる道路に、恩田駅前から西へ延びてきた道路がぶつかっているところだ。「あかね台入口」から北へ辿ってきた道路はここからさらに北へ延び、こどもの国の西側で県道139号線に合流しており、このルートを通り抜ける車は多い。この道路によって鶴川方面と成瀬方面とを行き来するのに「中恩田橋」交差点を経由するより近くなったからだ。
初夏の恩田町 信号が変わるのを待って交差点を渡る。交差点の向こうには谷戸と里山の風景が待っている。「恩田の谷戸」と通称される地域だ。道路脇には小規模ながら水田が横たわっている。まだ田植えが終わっていないようだ。水田の南側にはあかね台の住宅街が間近に迫っているが、北側には緑濃い丘が続いている。水田の奧は畑地になっており、ビニルハウスなどが見えている。水田と畑地、その背景に続く林の織りなす風景に心が和む。

初夏の恩田町 水田脇から畑地脇へと続く小径を辿って進むと、谷戸は奥まり、丘の斜面にはさらに畑地が続いている。そこへと上ってゆきたい気もするのだが、「尾根道に抜けることはできない、通行はご遠慮下さい」との旨の案内が道脇に立てられており、それに従って引き返すことにした。案内板には「恩田の谷戸ファンクラブ」の名がある。「恩田の谷戸ファンクラブ」は谷戸の自然や文化を継承することを目的に活動する有志のグループのようで、炭焼きや小川の復元など、恩田の谷戸でさまざまな活動を行っているとのことだ。
初夏の恩田町
初夏の恩田町 谷戸の美しい風景をふりかえりながら引き返し、水田脇から林の中へ分け入ってゆく小径を見つけて進んでみた。左側にはさきほどの谷戸の畑地が木々の隙間に見え隠れする。やがて丘の上に広がる畑地へと出た。周囲に視界が開けて爽快な気分だ。緑の丘と畑地との織りなす風景はとても美しいのだが、近くを送電線が通っており、その鉄塔が視界に入るのが少々興醒めだ。見たところ三経路の送電線が近くを通っているように見える。あちらにもこちらにも鉄塔が建ち、送電線が空を横切っている。

畑地の中の小径を辿って尾根道へと出た。尾根道脇の鉄塔の足元に、「風の広場」と名付けられた小さな原っぱがあった。「成瀬の自然を守る会」との名がある。この尾根道は都県境の尾根道で、西側はすでに町田市成瀬だ。おそらく東雲寺のすぐ上にあたるはずだ。「風の広場」から西へ、林の中を降りてゆく小径もある。そこを歩いてみたい気もする。尾根道は北へもさらに延びているから、尾根道が続く限りに歩いてみたい気もするのだが、今回はすでに時間の余裕があまりないようだ。

初夏の恩田町 西側右手には林の木立、東側左手には畑地を見ながら尾根道を歩く。このような丘の上を辿る尾根道がとても好きだ。周囲の風景を楽しみながらのんびりと歩く。尾根道を南に辿るとすぐにさきほどの谷戸の上を過ぎ、林の中を抜け、やがてあかね台西端部の造成地に出た。このあたりはまだ住宅はまばらで殺風景な造成地が広がっているが、やがて住宅が建ち並んでゆくのだろう。造成地の中を辿ると丘の端へと出て、眼下に恩田川や長津田方面の街並みが見えた。丘を降りて帰路を辿ることにしよう。
初夏の恩田町
恩田町は「恩田の谷戸」を初めとして古き佳き里山の風景を残す地域だ。市街化の波が迫ってはいるが、恩田川河畔の水田地帯やひっそりと残る谷戸などを訪ねるのは楽しい。次の機会には「恩田の谷戸」をもっとじっくりと見てみたい。また町田市との都県境の尾根道もゆっくりと歩いてみたい気がする。
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