東京都文京区の小石川後楽園は江戸時代初期に水戸徳川家の中屋敷として築造されたものだ。大泉水を中心にした回遊式築山泉水庭園で、現存する最古の大名庭園だという。新緑の美しい五月の上旬、小石川後楽園を訪ねた。
小石川後楽園
東京都文京区後楽一丁目に位置する小石川後楽園は都内に残された大名庭園のひとつとして常に多くの来園者を迎えている。そもそもは江戸時代初期の1629年(寛永6年)に水戸徳川家初代藩主徳川頼房が築造した江戸中屋敷(明暦の大火の後は上屋敷となった)の庭園として造られたものだ。江戸の大名庭園としては現存する最古のものだという。

明治期以降は陸軍の施設として使用されていたが、1936年(昭和11年)に東京市に移管され、1938年(昭和13年)に小石川後楽園として開園、現在は東京都立公園として一般公開されている。小石川後楽園は文化財保護法によって特別史跡と特別名勝の双方に指定されている。特別史跡と特別名勝の重複指定を受けているのは東京では小石川後楽園と浜離宮恩賜庭園のみ、全国でも数えるほどしかない。

小石川後楽園は面積7haほど、大泉水を中心にさまざまな景色を設けた園内はたいへんに見所が多く、四季折々に美しい景観を楽しむことができる。大名庭園というものの真髄を味わうことのできる、素晴らしい庭園だ。
小石川後楽園
小石川後楽園には東門と西門の二カ所の出入り口が設けられているが、サービスセンターや売店などの設けられた西門がメインのエントランスと考えていい。西門から入園し、園路を進んでいくと、すぐに目の前に大泉水のパノラマが広がる。都内であることを忘れてしまうような、風雅な景観だ。まずはこの景観を味わっておきたい。初めて来園するなら西門から入園することをお勧めする。
小石川後楽園
小石川後楽園は大泉水を中心に置き、その周辺に築山や川の景色などを配置、それらを巡りながら景観を楽しむ「回遊式築山泉水庭園」だ。まずは大泉水と、その中に浮かぶ蓬莱島、そして大泉水の周囲に広がる木々とが織りなす風趣に富んだ景観を存分に楽しんでおきたい。大泉水の岸辺を巡れば場所によって景色はさまざまな表情を見せ、その美しい景観に飽きることがない。大泉水は琵琶湖を模して造られており、かつては舟遊びも行われていたという。
小石川後楽園
大泉水の西側の岸辺から眺めると、大泉水と木々の向こうに東京ドームの上部が見える。風雅な大名庭園の景色に現代的な建造物が入り込むのを無粋と感じる人もあるかとは思うが、これはこれで都会に残された庭園というものの興趣というものだろう。現在、東京ドームや東京ドームシティなどのある辺りは、かつてはすべて水戸徳川家の屋敷が建っていた場所だ。徳川御三家の権力の大きさを窺い知ることができる。
小石川後楽園
大泉水と蓬莱島とが織りなす景色を存分に楽しむなら、南岸の紅葉林の辺りから眺めるのがお勧めかもしれない。眼前には雄大に大泉水が横たわり、正面には蓬莱島が浮かぶ。園内の木々の向こうに林立する高層ビルが見えるのも悪くない。岸辺にはベンチが並べられているから、腰を下ろしてのんびりと眺めを楽しむのがお勧めだ。日々の喧噪を忘れてゆったりとした時間を過ごすことができる。
小石川後楽園
西門から入園して向かって左手、大泉水の西側にも小さな池がある。池には中国杭州の西湖の堤に見立てた堤があり、北側は山間の沢のように築造されている。沢に架かる朱い通天橋が緑の中に映えて風趣に富んだ景観を見せる。通天橋は京都東福寺の通天橋を模して造られたものという。沢を渡る飛び石から眺めるのもいいし、通天橋を渡って橋上から沢と池を見下ろすのもいい。
小石川後楽園
通天橋の東側、木立に囲まれて得仁堂という建物が建っている。水戸光圀が18歳のとき、史記「伯夷列伝」を読んで感銘を受け、伯夷・叔斉の木像を安置した堂だそうである。小石川後楽園にあった建物の多くは地震や火災によって失われてしまったが、この得仁堂は唯一創建当時のままに残っている建物だ。
小石川後楽園
大泉水の北側は山間に入り込む里地のような様相で平地が横たわり、稲田や花菖蒲田が設けられている。花菖蒲田にはもちろん花菖蒲が育成され、五月には美しい景観で咲き誇る。花菖蒲田の脇には藤棚も設けれている。その北側を流れる小川は神田上水跡だそうだ。その北側には杜若の植えられた一角もある。さらにその北側は梅林だ。小石川後楽園は梅の名所としても名高い。四季折々の花が楽しめる一角だ。
小石川後楽園
花菖蒲田から西へ入り込んだところ、神田上水跡の流れに円月橋が架かっている。朱舜水の設計と指導により駒橋嘉兵衛が造ったという中国式の石橋で、水面に映る形が満月のように見えることからの名だという。得仁堂と共に創建当時の姿をとどめる貴重な建造物で、石造アーチ橋として国内最古のもののうちの一つだという。
小石川後楽園
円月橋を設計したとされる朱舜水は1600年代の中国の儒学者だ。明が滅んだ後、明朝復興を図ったが果たせず、何度か訪れたことのあった日本に亡命した。やがて水戸藩に招聘され、江戸に定住した。朱舜水は実理・実行・実用・実効を重んじ、水戸光圀に多大な影響を与え、後の水戸学の礎になったと言われる。「後楽園」の名も朱舜水の命名であるという。
小石川後楽園
大泉水の東南側、紅葉林の東側に鬱蒼と木々が茂る一角がある。その中を川が流れ、川に沿って小径が辿っている。川には木曽川、築山には木曽山の名がある。山深い木曽路を模した景観であるようだ。小径は自然石と切石とを組み合わせた中国風の石畳(延段)だ。大泉水周辺の雄大さとはまた違った興趣を感じる一角だ。
小石川後楽園
大泉水の東側、小石川後楽園の南東側の隅に位置して内庭がある。かつて水戸藩書院のあったところだという。大泉水側とは唐門によって分けられている。内庭にも池が配され、石橋や唐門と池とが風雅な景観を織りなしている。内庭もゆっくりと時間をかけて楽しんでおきたい。
小石川後楽園
現在の唐門は2020年(令和2年)に復元されたものという。往時のものは戦災で焼失している。この唐門が、かつては後楽園の正式な入口だったそうだ。唐門を抜け、小径を辿って行けば、やがて大泉水の雄大な景観が眼前に広がる。その景色は水戸徳川家の威信を示すものだったろう。

東門から小石川後楽園に入園すると、まず内庭だ。そこから唐門をくぐって後楽園へと歩を進めるのが、本来の楽しみ方かもしれない。水戸のお殿様になって気分で唐門をくぐっていくのも一興だろう。
小石川後楽園
後楽園は江戸時代初期に築かれ、ここで用いられた造園技法は後の大名庭園の手本にもなったともいう。大泉水を中心とした庭園の景観は雄大にして繊細、洗練の中にも野趣を含み、岸辺の描く曲線から築山の配置、植栽された木々のひとつひとつまで考え抜かれた作庭であることを窺わせる。春の桜、初夏の新緑と花菖蒲、秋の紅葉、早春の梅と、四季折々に美しい姿を見せてくれる庭園でもある。季節毎に何度も訪れたくなる名園である。
小石川後楽園
小石川後楽園
小石川後楽園
小石川後楽園
小石川後楽園
参考情報
本欄の内容は小石川後楽園関連ページ共通です
小石川後楽園は入園料が必要だ。園内は広いので、入園時にリーフレットをもらって園内マップを参照しながら巡るのがお勧めだ。入園料金や開園時間、その他の注意事項については東京都公園協会サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
小石川後楽園へは都営地下鉄大江戸線飯田橋駅、JR中央線飯田橋駅、JR中央線水道橋駅、東京メトロ東西線・有楽町線・南北線の飯田橋駅、東京メトロ丸の内線・南北線の後楽園駅などが近い。都合の良い路線を選べばいい。

小石川後楽園には駐車場はなく、車で来訪する場合は近辺の民間駐車場を利用しなくてはならない。規模の大きなものから小さなものまでさまざまだが、周辺に数多くの民間駐車場が点在している。

飲食
西門入口横に涵徳亭(かんとくてい)という名の集会施設があり、「びいどろ茶寮」というお休み処が営業している。ランチや喫茶が利用できる。詳細は東京都公園協会サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

飯田橋駅周辺、水道橋駅周辺を中心に、近辺には多くの飲食店がある。気に入ったお店を見つけて食事を楽しむといい。

小石川後楽園内へのお弁当の持ち込みは可能だが、シートを敷くことはできないため、園内に設けられた縁台を利用しなくてはならない。縁台が空いていれば、美しい庭園を眺めながらのランチタイムも素敵なひとときに違いない。

周辺
小石川後楽園入口から東へ1kmほど行くと、本郷二丁目に東京水道歴史館が建っている。横には本郷給水所公苑という小公園があり、初夏のバラが美しい。

東京水道歴史館から北へ辿れば数百メートルで「本郷三丁目」交差点だ。菊坂辺りへと散策の足を延ばすのも楽しい。

梅の季節に訪れたならば小石川後楽園の北西側に位置する「牛天神」も訪ねてみるといい。梅の名所として知られている。

桜の季節なら飯田橋駅から外濠公園へと散策の足を延ばすのがお勧めだ。
庭園散歩
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