東京都文京区湯島の湯島天神は千五百年以上の歴史を持つ古社だ。天神の名が示すように菅原道真公を祀り、学問の御利益で人々の信仰を集める。梅の名所としても知られ、早春には大勢の観梅客で賑わう。梅の花の季節を迎えた二月中旬、湯島天神に参拝した。
湯島天神
「湯島天神」というのは、実は通称で、正式には「湯島天満宮」という。昔は「湯島神社」という名だったのだが、2000年(平成12年)に「湯島天満宮」に改称されたものだ。一般には「湯島天神」として知られており、その方が“通り”がいいからか、湯島天満宮側でも「湯島天神」の通称を用いる場面も多いようだ。
湯島天神
湯島天神
湯島天神
湯島天神
湯島天神
湯島天神
湯島天神が創建されたのは西暦458年のことという。湯島天神の縁起によれば、勅命によって天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀って創建されたものらしい。雄略天皇の御代、いわゆる“大化の改新”以前のことだ。当然のことながら菅原道真公の生きた時代(845年〜903年)より古く、創建されたときには“天神社”ではなかったということになる。やがて1355年(正平10年)、郷民が菅原道真公を慕って北野天満宮から勧請して合祀、湯島天神が菅原道真公と天之手力雄命の二柱の神を祀っているのはこうした縁起による。1478年(文明3年)に太田道灌によって再建された後、江戸時代に入ると徳川の庇護を受け、菅原道真公を祀る神社として広く人々の信仰を集めたという。江戸時代の湯島天神と周辺は繁華な場所であったようで、毎月十日、二十五日の縁日にはずいぶんと賑わったという。

境内梅園の一角に「奇縁氷人石」という石柱が立っている。石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されている。これは江戸時代の「迷子石」の名残だそうだ。かつての江戸は人口密集地で、迷子になってしまう子どもも少なくなかった。それに備えて子どもは名や住居を記した「迷子札」を提げていたそうだが、「迷子札」を持っていない子どももおり、そのまま行方不明になってしまうこともあった。そうしたとき、迷子を出した親は自分の子の、迷子を見つけた方はその子の名や背格好、特徴などを紙に書いて「迷子石」に張った。双方がそれを見て手がかりを探したのだという。「迷子石」は江戸各地、人の多く集まるところにあり、相応の成果があったらしい。湯島天神境内の「迷子石」は、江戸時代の湯島天神が人々の多く集まる繁華なところであったことを物語るものだろう。

現在の湯島天神はお蔦と主税の悲恋を描いた物語「婦系図」の舞台として登場することでも広くその名を知られている。物語の設定や粗筋は他に譲るが、主税がお蔦に別れを切り出し、“切れるの別れるのって、そんなことは芸者の時に言うものよ。私にゃ死ねと言って下さい”という有名な台詞をお蔦が口にする場面、その舞台が湯島天神の境内である。

この物語は、元々は1907年(明治40年)に泉鏡花が新聞の連載小説として発表した「婦系図」を原作としているが、原作にはこの湯島境内での別れの場面はなく、後に柳川春葉が舞台用に脚色したときに加えられたものという。泉鏡花自身もこれを気に入り、この場面を付け加えた舞台用の脚本を後に発表している。この名場面を加えた「婦系図」は、その後幾度も舞台で演じられ、映画化もなされ、今ではすっかりこちらの方が浸透してしまっている。境内梅園の一角には泉鏡花の「筆塚」がある。1942年(昭和17年)に建てられたものという。
湯島天神
今回湯島天神を参拝したのは梅の咲く季節、折しも「梅まつり」が開催されており、境内には露店が並び、大勢の観梅客で賑わっている。残念ながらまだ満開ではないようだったが、それでも境内随所に咲き誇る梅はたいへんに美しい。湯島天神は江戸時代から梅の名所として親しまれていたようだ。菅原道真公を祀る天神社であれば、境内に梅園を設けるのも当然のことかもしれない。現在、境内の梅園には約20種、300本ほどの梅があるという。
湯島天神
湯島天神の梅は、その8割ほどが白梅らしい。確かに境内を歩いていると目にするのはほとんどが白梅だ。その白梅をタイトルにした、その名も「湯島の白梅」という楽曲がある。「婦系図」のあの名場面をそのままモチーフにした内容で、佐伯孝夫の作詞、清水保雄の作曲、小畑実と藤原亮子のふたりによる歌唱で、1942年(昭和17年)に発表され、流行した。その歌詞中に当然のことだが「白梅」が登場する。きっと昔から湯島天神の白梅は見事なものだったのだろう。
湯島天神
「梅まつり」開催中だけあって境内はたいへんな賑わいだ。ほとんどは観梅を兼ねての参拝に訪れた人たちのようだ。梅園には梅を見ながらそぞろ歩きを楽しむ人や梅の花にカメラのレンズを向ける人、ベンチに座ってのんびりと観梅を楽しむ人など、観梅客で溢れている。本殿前の参道脇には露店が並び、金太郎飴や甘酒、縁起物のダルマなどを売っており、買い求める人の姿がある。江戸時代の湯島天神はこんなふうだったのだろうかと、ふと思ったりもする。
湯島天神
湯島天神の梅は梅園だけでなく、東側の「男坂」、「女坂」の横手や本殿裏手などでも見ることができる。のんびりと境内を散策してみると楽しい。静かな山里で見る梅も風情があって良いものだが、こうした有名な梅園での「梅まつり」の賑わいも、これはこれでなかなか楽しい。
梅を楽しみながら境内を歩いていると、本殿と社務所の間の少し広くなったところで何やら人垣ができはじめた。見てみると、いわゆる「猿回し」が始まった。湯島天神の「梅まつり」での猿回しはどうやら毎年恒例のもののようだ。Tシャツを着込んだ日本猿のとぼけた表情や仕草も可愛らしく、ジャンプや逆立ちなどの“芸”を披露するたびに取り巻く観客から拍手が起こる。観客の歓声を浴びる猿が少し得意気な表情をしているように見えるのは気のせいか。見ているとなかなか楽しいものだ。
猿回し
猿回し
湯島天神の東側に、「男坂」と「女坂」と呼ばれる石段の坂道がある。坂の下に文京区教育委員会による解説板が設けられており、“江戸時代の書物「御府内備考」によれば湯島神社参拝のための坂だったが、その後、本郷から上野広小路へ抜ける通り道になった”との旨の説明がある。そもそも湯島天神は丘陵地に位置しており、どちらの方角から来ても坂を上ることになるのだが、そのうちの東側からの参道だったのだろう。真っ直ぐに三十八段の石段を登る急坂と、その横手に比較的緩やかだが少し遠回りをする三十三段の坂があり、急坂を「男坂」、緩やかな方を「女坂」と呼ぶ。昔から荒々しいものと静かなもの、あるいは力強い印象のものと繊細な印象のものなどが対になって在るとき、それぞれに「男」と「女」を冠して呼ぶことが多いものだが、この坂道もそうした名付け方なのだろう。坂の傍らにも梅園が設けられており、白梅が美しく咲いている。坂下の町並みも良い風情だ。湯島天神に訪れたときには「男坂」と「女坂」をぜひ歩いておきたい。
男坂
女坂
件の楽曲「湯島の白梅」の歌詞中に、「青い瓦斯(ガス)燈」が登場する。湯島天神境内にはかつて五基のガス灯があったという。日本に於けるガス灯の歴史は横浜の実業家、高島嘉右衛門が興したガス会社が1872年(明治5年)に横浜の馬車道や本町通りなどに灯したガス灯に始まる。その後、高島は東京銀座にもガスの灯を灯し、1885年(明治18年)には東京府瓦斯会社(現在の東京ガス)が設立されている。やがて電気の光に取って代わられるまでの短い期間、ガスの灯は“文明開化”の象徴として東京の夜を照らしたのだ。湯島天神のガス灯は、使われなくなってからも、そのうちの一基だけが長くその姿を残していたが、それも1965年(昭和40年)に撤去されてしまった。現在の湯島天神境内に、東京ガスの協力を得てガス灯が設置されている。点灯する屋外のガス灯は東京都内で唯一のものだそうだ。ガス灯は男坂上の鳥居横に設置されており、傍らに文京区観光協会による解説板が立てられている。訪れたときにはこれもぜひ見ておきたい。
湯島天神のガス灯
湯島天神
湯島天神
湯島天神
湯島天神は今も広く人々に信仰され、新年には大勢の初詣客を迎え、受験シーズンになれば受験生やその家族が合格祈願に訪れる。もちろん家内安全は商売繁盛といった一般的な祈願も受け付けており、参拝者は絶えない。「婦系図」の舞台として描かれたこともあってか、観光地としての知名度も高く、遠方から参拝に訪れる人も少なくないようだ。五月には例大祭が執り行われ、また十一月には「菊まつり」も開催され、それぞれに人々を集めている。そうした祭事に合わせて参拝してみるのも楽しいものだが、敢えてそれらを避けてひっそりと静かな時期にお参りするのも良いものだ。

湯島天神の本殿は近年に造営されたものだが、長い歴史を持つ古社としての風格に満ちたものだ。牛と縁の深い菅原道真公を祀る天神社らしく、手水舎の横には臥牛の像がある。「撫で牛」として、これも人々の信仰の対象となっているようだ。また境内には「講談高座発祥の地碑」や「文具至宝碑」といったさまざまな碑も建っている。参拝したときにはそうしたものにも目をとめておきたい。周辺はビルの建ち並ぶ都心の立地だが、江戸時代の賑わいの名残を感じながらの散策が楽しい。
参考情報
交通
湯島天神は都心に位置し、さまざまな路線でのアクセスが可能だ。最も近いのは東京メトロ千代田線湯島駅で、徒歩2分ほど。春日通りと中央通りとが交差する「上野広小路」交差点に位置する東京都メトロ銀座線上野広小路駅や都営大江戸線上野御徒町駅からなら徒歩5分ほど。さらにその東側のJR線御徒町駅からでも徒歩で10分足らずだ。これらの駅はいずれも湯島天神の東方に位置しているが、西方に位置する東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目駅や都営地下鉄大江戸線本郷三丁目駅から春日通りに沿って歩いても10分かからない。

湯島天神の駐車場は30台分ほどのスペースが有料で用意されているが、とても余裕があるとは言えない。周辺に民間駐車場も多数点在しており、それらを利用するのもいいだろう。湯島天神公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)に駐車場についての詳細が記されているので参照されたい。

飲食
南側の銅鳥居の前に建つ梅香殿の一階に「やぐ羅」という食事処があり、「にしんそば」が人気らしい。他には湯島天神の近くにあまり飲食店は見あたらないようだが、東京メトロ千代田線湯島駅からJR線御徒町駅にかけての春日通り周辺に数多くの飲食店が点在する。

周辺
湯島天神の北側には春日通りを挟んで旧岩崎邸庭園があり、さらにその北東側には上野恩賜公園が広がる。JR線御徒町駅の北側にはアメ横が延びる。

春日通りを西へ辿ればやがて「本郷三丁目」交差点に至り、その北東側は東京大学のキャンパス、有名な赤門も建っている。「本郷三丁目」交差点の北西側は古い町並みが残るところで、樋口一葉の旧居跡などもあり、散策の楽しいところだ。

湯島天神から南へ辿ると神田明神まで徒歩で10分ほどだろうか。神田明神の南側には湯島聖堂、聖橋を渡ればJR中央線御茶ノ水駅だ。
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社寺散歩
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