東京都羽村市、多摩川から玉川上水へ取水するための堰がある。羽村堰、あるいは羽村取水堰と呼ばれる堰だ。東京都水道局の施設で、正式には「東京都水道局羽村取水堰」という。そもそもは江戸時代初期、多摩川の水を江戸の町に導くために玉川上水と共に建設されたものだ。明治期、大正期に増改築が行われて現在に至っている。
多摩川左岸に設けられた取水施設の横手には園地が設けられ、のんびりと多摩川の眺めを楽しむことができる。緩やかに蛇行して流れる多摩川の対岸には草花丘陵が緑濃く横たわり、その風景は開放感に溢れ、長閑で美しい。春の桜の名所としても広く知られ、昔から風光明媚な景勝地として親しまれてきた“羽村堰”である。
時代が徳川の世を迎え、江戸幕府が開かれると、江戸の町は急激に規模が拡大し、人口も増加した。幕府は江戸の住民の生活用水を確保する必要に迫られる。そこで計画されたのが多摩川上流部から水を引く上水開削である。工事を請け負ったのは庄右衛門・清右衛門兄弟。取水口は二度の失敗を経て羽村に決定、1653年(承応2年)4月に着工した工事は困難を極めるも同年11月には四谷までが開通、さらに翌年6月には江戸市中への通水が実現するのである。
玉川上水は江戸市民の生活を支え、流域への分水も設けられて農業発展の礎にもなった。時代が明治に移った1870年(明治3年)、玉川上水の通船が許された。江戸時代には上水が汚れるのを防ぐために幕府が通船を許さなかったのである。多くの者が玉川上水を使った舟運に乗り出し、大いに賑わったということだが、その2年後の1872年(明治5年)には再び通船が禁止となる。上水の汚染が理由だったという。以来、現在に至るまで玉川上水の通船は許可されていない。
現在の玉川上水は取水口から500mほど下流の第三水門から山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)に送水されており、残りの水も小平監視所で東村山浄水場と新堀用水に送水され、小平監視所より下流側は水道施設としては利用されていない。小平監視所から下流側へ、杉並区浅間橋まで玉川上水の流れは続いているが、これは東京都の清流復活事業によって高度二次処理を施した水を流しているものだ。河岸には木々が茂り、気持ちの良い散策路として親しまれている。
羽村堰は1653年(承応2年)に完成、江戸時代は幕府の陣屋が置かれ、水番人が堰を守っていた。明治になっても羽村堰と玉川上水の重要性は変わらず、1900年(明治33年)に改修、1911年(明治44年)には木製からコンクリート造りに改築、1924年(大正13年)には増築が行われて現在に至っている。ちなみに多摩地域は1893年(明治26年)に神奈川県から東京府へ移管されているが、これは羽村堰と玉川上水を東京府の管理下に置くためだったという。
羽村堰は投渡堰(なげわたしぜき)と固定堰、魚道、第一水門などから構成されている。投渡堰は横に渡した丸太に木の枝や砂利などをあてがって堰を造るもので、大雨で水位が上がると丸太を取り払って堰を壊し、水を多摩川に流して上水や取水口を守ったのである。投渡堰は珍しい形式で、固定堰と投渡堰とで造られた堰は世界でもここだけだという。
堰のすぐ下流側の河岸には園地が設けられている。多摩川を臨んでベンチや四阿が設置されており、多摩川の流れや堰の風景を眺めながらのんびりと過ごすことができる。一休みするサイクリストの姿も少なくない。対岸には緑濃く草花丘陵が横たわり、長閑で静かな風景が心地良い。川風に吹かれながら多摩川を眺めていると時の経つのを忘れる。
園地の一角に玉川兄弟の像がある。玉川上水開削を請け負った庄右衛門・清右衛門兄弟である。玉川兄弟がどのような風貌だったか知る由もないが、なかなか凜々しい姿の像である。この兄弟について、出自や経歴などは諸説あって定かではない。玉川上水開削には幕府から六千両が用意されたというが、難工事のために途中で底を尽き、兄弟は私財を投じて完成させる。この功績によって兄弟は幕府から帯刀と玉川姓を名乗ることを許され、永代玉川上水役を命じられている。以後、江戸時代中期まで玉川上水役の玉川家世襲が続いたという。
堰から300mほど下流側に行ったところで、羽村堰下橋という人道橋が多摩川を跨いでいる。橋を渡った対岸も羽村市で、河岸の堤防道を500mほど上流側へ辿ると羽村市郷土博物館が建っている。博物館まで足を延ばして羽村堰や玉川上水についてさらに知識を深めるのもいいものだろう。
橋上からは開放感に溢れた景観が周囲に広がる。上流側を見れば羽村堰の風景が間近に見え、下流側に目をやれば羽村大橋が多摩川を一跨ぎにする。どちらも美しい風景だ。270mほどの長さがあるが、退屈することなく長さを感じさせない。のんびりと景観を楽しみながら渡りたい橋だ。
羽村堰下橋の付近では河原に降りて川遊びを楽しむ人の姿も少なくない。普段の多摩川は流れも穏やかで、河原も広い。初夏から夏にかけて川遊びを楽しむのもお勧めだ。
多摩川河岸の堤防道は散策やランニング、サイクリングなどの楽しめる舗道として整備されている。
多摩川の左岸には、多摩川河口近くの大師橋緑地から約53kmを辿る「たまリバー50キロ」と名付けられた散策コースが設定されているが、羽村堰はその「たまリバー50キロ」の上流側の始点(終点)である。「たまリバー50キロ」の全区間走破に挑戦するサイクリストも少なくないようである。
取水口の横手、奥多摩街道(都道29号立川青梅線)を挟んだ北東側に羽村取水管理事務所が建っている。かつての玉川上水羽村陣屋跡である。この陣屋で上水の取り締まりや水門・水路・堰堤などの修理・改築などの管理業務が行われた。当時の奥多摩街道は堰の縁を通り、街道に面して陣屋門があった。陣屋には幕府の役人が多く往来し、村の文化などに多大な影響を与えたという。
羽村取水管理事務所の敷地の一角には玉川水神社が鎮座している。1654年(承応3年)に玉川上水が完成した際、水神宮として建立されたもので、弥都波能売神(みずはのめのかみ、「水波能売神」とも書く)と水分大神(みくまりのおおかみ)の二柱の神を祀っている。水の守り神として江戸(東京)や上水沿いに暮らす人々の篤い信仰を受けてきた神社である。玉川水神社の名は1893年(明治26年)に改められたものという。
羽村堰は多摩川と堰とが織り成す風景も美しく、右岸側には緑濃い景色が広がり、のんびりと休日のひとときを過ごすにもよいところだ。お弁当を持ってピクニック感覚で訪れても楽しめるだろう。玉川上水の歴史に興味のある人なら、まずは訪ねておきたいところだと言っていい。羽村堰から多摩川河岸を辿ってみたり、玉川上水に沿って散策の足を延ばしてみるのもお勧めだ。多摩川の涼やかな風景は初夏から夏にかけてがお勧めだが、春の桜も見逃せない。東京都民なら一度は訪ねておきたい羽村堰である。