町田市相原町
境川河畔
(大戸)
Visited in June 2008
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
町田市の西部に位置する相原町の、さらにその西部、町田街道に「大戸」という交差点がある。交差点から西へ延びる道を辿ってゆくと境川源流域の山深い風景が広がっている。交差点の名にもなっている「大戸」は、昔からこの辺りの指し示す地名として使われていたものという。町田街道の「大戸」交差点周辺を、境川に沿って歩いてみた。
散策の出発点は「青少年センター入口」バス停にしよう。町田街道「大戸」交差点から西へ入り込んだ境川源流域には町田市の施設「大地沢青少年センター」が設けられており、このバス停は「大地沢青少年センター」へのアクセス路と本沢ダム方面へ上ってゆく道路との分岐点に設けられている。
バス停横の三叉路の角にはお地蔵様が祀られている。1850年(嘉永3年)に安置されたもので、子育て地蔵の名で人々の信仰を集め、子宝に恵まれない人々の参詣が絶えなかったという。またこの地で疫病が流行ったときにはお百度参りで治してもらったという話もあるらしい。そうしたことがお地蔵様の横に設置された案内板に記されている。その案内板には地蔵尊横に置かれた石標についても記されている。昔はこの道は甲州路への近道として使われており、旅人が一休みして行き先を確かめたのだという。緑濃い山々が間近に迫るところだが、古い時代の人々の往来を想像してみるのも楽しい。
地蔵尊の周辺は長閑な里山の風景が広がっている。特に「大地沢青少年センター」へと向かう道の北側には山々と畑地とが織りなす美しい風景が横たわり、源流域に近い境川がその中を流れてゆく。境川に沿って下流側に歩いてゆくと、やがて境川沿いには家々が建ち並ぶようになる。昔からの集落なのだろう。この辺りでは境川はまさに都県境で、川の北側は東京都町田市、南側は神奈川県相模原市だ。昔はこの辺りは神奈川県津久井郡城山町だったのだが、2007年(平成19年)3月11日に城山町が相模原市と合併し、この付近も相模原市になった。
家々の並ぶ横を通り過ぎてゆくと、やがて「上大戸」のバス停だ。バス停の横手には大戸観音が建っている。鐘楼の傍らに大きなイチョウの木が枝を広げているのがひときわ目を引く。町田市の保存樹木にも指定されている大木だ。秋の黄葉の頃には見事な景観を見せてくれることだろう。その横に、「大戸」の地名と観音堂に関する解説を記した案内板が「町田市教育委員会」の名で建てられている。それに依れば、この付近は元禄の昔から多摩郡横山之庄上相原村だったが、土地の人は「大戸」と通称し、その通称の方が近郷に知られていたという。「大戸」は上相原村の屋号と言えると記されている。現在の町田街道はかつては「大戸往還」と呼ばれ、秩父、高崎方面へと向かう「鎌倉街道山之道」であり、大戸は山路へと向かう入口に当たっていたらしい。横山之庄の相州口として大木戸番所が置かれていたと伝えられており、その「大木戸」が「大戸」へと転じたもののようだ。その番所の傍らに「了心庵」という草庵があり、1596年(慶長元年)、その境内に観音堂が建立されたものらしい。門前には宿や居酒屋が建ち並んで賑わったという。そうしたことも案内板に記されている。
大戸観音を過ぎれば町田街道が近い。町田街道との交差点は少し変わった形をしており、アルファベットの「H」の文字のように町田街道とかつての城山町役場方面へと南下する道路とがここで繋がっている。旧城山町役場方面への道路を辿れば、「滝尻」や「風間」と言った風雅な地名があり、バス停にもこの名がある。境川は民家の間を縫うように蛇行して流れてゆく。かつて武蔵と相模との境だったことからその名のある境川は、今は東京都と神奈川県との境を成している。境川の北側は東京都町田市、南側は神奈川県相模原市(旧城山町)だ。その境川の両岸に家々が点在して集落を成しているわけだが、川一本を隔てただけでこちらは東京都町田市、隣家は神奈川県相模原市という場面もあるわけで、いろいろな不便もあるのかもしれない。
町田街道を東へと進もう。「法政大学入口」交差点が近くなって町田街道の北側の丘に八雲神社が建っている。神社は木々に包まれて鎮まり、いかにも村の鎮守という佇まいだ。この神社の参道の石段の登り口脇に「大戸囃子(おおとばやし)」についての解説板が建てられている。これに記された町田市教育委員会による解説に依れば、天保年間(1830〜1843年)に相模之国鎌倉郡阿久和(現在の横浜市瀬谷区)の若衆が江戸囃子の師匠御殿万造氏から神田囃子の伝授を受け、そのうちの一人、相沢国造氏が大戸の吉川家の養子となった縁で、大戸の若者に祭囃子を伝え、八雲神社の祭典行事として伝承されているものという。喧嘩囃子の異名もあるほどに威勢の良いもので、「大戸囃子」と呼ばれて伝授を乞う者も多いという。「大戸囃子」は1963年(昭和38年)に町田市の無形民俗文化財に指定されている。
八雲神社を過ぎれば「法政大学入口」交差点だ。北へ「法政通り」が延び、法政大学の入口へと至っている。「法政通り」はそのまま延びて八王子市との市境を越え、八王子市側では「めじろ台グリーンヒル通り」と名を変え、八王子市寺田町を抜けて京王線めじろ台駅前へと繋いでいる。「めじろ台グリーンヒル通り」はケヤキ並木だが町田市側の「法政通り」は桜並木で、春の景観はとても美しく、町田市の桜の名所のひとつに数えられている。今は六月、桜並木は青々と葉を茂らせている。法政大学正門前のバス停から帰路を辿ることにしよう。法政大学のバス停からなら京王線めじろ台駅やJR中央線西八王子駅、八王子駅、JR横浜線相原駅、橋本駅など、さまざまな駅へのバス路線が利用できて便利だ。
【追記】
大地沢青少年センターは2023年(令和5年)4月1日から指定管理者制度が導入され、それに伴って「Nature Factory 東京町田」に名称変更されている。本頁内の「大地沢青少年センター」の記述はその旨、読み替えられたい。
町田街道を車で走っていると相原では「大戸」という名をよく目にする。「大戸」の交差点はもちろんだが、大戸郵便局もあるし、町田街道と横浜線との踏切は「大戸踏切」という名だ。今回の散策で、その「大戸」の名の由来をきちんと知ることができたのは良かった。次の機会には「法政大学入口」交差点付近から境川の下流側へ、あるいは旧城山町の方面へと歩いてみることにしよう。