幻想音楽夜話
Silk Degrees / Boz Scaggs
1.What Can I Say
2.Georgia
3.Jump Street
4.What Do You Want The Girl To Do?
5.Harbor Lights
6.Lowdown
7.It's Over
8.Love Me Tomorrow
9.Lido Shuffle
10.We're All Alone

musicians
David Paich : keyboards.
Jeff Porcaro : drums.
David Hungate : bass.
Fred Tackett : guitar.
Louie Shelton : guitar.

Produced by Joe Wissert
Arranger : David Paich
1976
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 ボズ・スキャッグスの「Lowdown」という曲が日本でもちょっとしたヒットになったのはいつのことだったろうか。その楽曲を収録したアルバム「Silk Degrees」の発表が1976年のことだから、おそらく「Lowdown」のヒットも同じくらいの時期だったと思う。ヒットと言ってもそれほどの「大ヒット」というわけではなく、どちらかと言えば「新しもの好き」の音楽ファンの間で話題になったという程度だったろう。しかしこの曲のヒットとアルバム「Silk Degrees」の成功があったからこそ、続く「Down Two Then Left」からの「Hard Times」のヒットが生まれたと言うこともできるだろう。「Lowdown」と「Silk Degrees」は、日本の音楽ファンにはあまり馴染みのなかったボズ・スキャッグスというシンガーのことを広く知らしめたという点でも、大きな意味があったのではないかと思う。

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 正直に言うが、実はこの「Lowdown」という曲を、初めはあまり好きになれなかった。当時はまだ英国の「ハード・ロック」や「プログレッシヴ・ロック」をこよなく愛する身だったから、このような音楽に興味が持てるはずもなかった。妙にリズムの目立つスカスカとした演奏にねちっこいヴォーカルが絡みつくばかりの、白人ミュージシャンたちによる「R&Bもどき」のような音楽に思えたものだった。確かに何やら「新しい」音楽であるようだが、そんなものに興味はなかった。

 それがほんの二、三年のうちにこうした音楽に傾倒してしまうのだから人の好みとは不思議なものだ。どのような心境の変化でそのようなことになったのかよく憶えてはいないが、アメリカの音楽シーンが、特にウエスト・コーストの音楽シーンが緩やかに「AOR」化してゆき、それと呼応するようにジャズの世界では「フュージョン」が確立してゆく中で、そのような音楽を多く耳にするうちに認識が大きく改められたのは確かだろう。そしてまた個人的に、自分自身が「大人」になって、感性そのものが変化したということも、あったのかもしれない。どちらかと言えば、後者の方が大きいのだろう。

 だから「Silk Degrees」というアルバムを手に入れたのは少しばかり後になってからだった。ボズ・スキャッグスのアルバムということでは、最初に購入したのは「Down Two Then Left」の方が先で、それを大いに気に入ってしまって「Silk Degrees」にも手が伸びたという感じだった。手に入れてから、この二枚のアルバムを本当によく聴いた。ボズ・スキャッグスの日本での人気が絶頂期にあったのも、期せずしてこの二枚のアルバムを発表した後の頃だった。

 ボズ・スキャッグスというシンガーは、実はこの頃すでにキャリアの長いミュージシャンだった。彼はオハイオに生まれ、アメリカ南部に育った。二十歳の頃にスウェーデンに移り、その後ヨーロッパやアジアを放浪したという。アメリカに戻り、旧友スティーヴ・ミラーのバンドに加入するのは1960年代末のことだ。やがてスティーヴ・ミラー・バンドを脱退してソロ作品を発表するようになるが、1970年代に入って徐々に都会的で洗練された洒脱な音楽性を指向するようになる。1972年に発表された「My Time」や1974年の「Slow Dancer」などもなかなかの好盤で、マニアックなアメリカン・ミュージックのファンの間で話題になっていたもののようだが、やはり一般の「洋楽ファン」にはそれほど知られてはいなかったし、個人的にもあまり興味を持てないままに通り過ぎてきた。そしてそれらに続く新作として1976年に発表されたのが、「Silk Degrees」だった。

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 当時、AOR前夜とでも言うべき時期だった。従来の「ポピュラー・ミュージック」とも「ロック」とも違う味わいの音楽がシーンに登場し、それに対して「MOR(Middle Of The Road)」、あるいは「AC(Adult Contemporary)」といった形容が使われ始めたのが、この頃だった。それらの音楽の印象の特徴から「Soft & Mellow」という形容もよく口にされていたものだ。「ジャンル」としての「呼称」などはどうでもよいことだが、後に特に日本で「AOR(Adult Oriented Rock)」の呼称でイメージを集約される音楽スタイルは、まさにこの時期からシーンに登場した。

 1960年代に「ロック」を聴いていた若者たちも1970年代半ばを過ぎる頃には既に「大人」になり、もはや直截なロックン・ロールに満足できなくなっていた。大人になって仕事を持ち、家庭を持ち、社会の一員となって暮らすようになれば、いつまでも自らのフラストレーションを激しい演奏に託すようなロックン・ロールを聴いてはいられない。そのような人たちに、いわば「ロックを卒業した」人たちに、AORは迎えられた。というようなことが、当時、したり顔で語られたりしたものだった。確かにそういう面もあったかもしれない。しかしそれだけではあるまい。当時、AORを迎え入れた人たちの中には、それまで「ロック」にも、いや音楽そのものにそれほど興味のなかった人たちがいた。彼らにとってAORは「心地よく聴きやすいお洒落な音楽」以外の何ものでもなく、彼らのライフスタイルを彩る、一種のファッションアイテムだったような気がする。

 そうした背景はともかくとして、とにかくAORは時代に迎え入れられ始めていた。1974年に発表されたニック・デカロの「Italian Graffiti」を先駆的作品として、1975年から1976年にかけてAORの幕開けを告げる作品が続々と発表された。マイケル・フランクスの「The Art Of Tea」、ネッド・ドヒニーの「Hard Candy」、ジョージ・ベンソンの「Breezin'」をはじめ、マイケル・マクドナルドを迎えて音楽性を変化させたドゥービー・ブラザースの「Takin' It To The Streets」などがその代表例と言えるだろう。そのような数々の作品群と同様の位置に、ボズ・スキャッグスの「Silk Degrees」もあったと言えるだろう。そして1977年から1978年にかけて、ボズ・スキャッグスの「Down Two Then Left」やマイケル・フランクスの「Sleeping Gypsy」、ドゥービー・ブラザースの「Minute By Minute」、ボビー・コールドウェルのデビュー・アルバムなどが発表されるに至って、「AOR」はいよいよ音楽シーンのトレンドとなってゆくのだ。

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 「AOR」はジャズの分野での「フュージョン」の確立とも密接に呼応する。本来はジャズ・ミュージシャンであるジョージ・ベンソンの「Breezin'」が「AOR」と同様の土壌で受け入れられたこと、マイケル・フランクスの「The Art Of Tea」に多くのジャズ・ミュージシャンが参加していたことなどに、それは顕著だ。しかし「AOR」は「アメリカン・ロック」、特にウエスト・コーストのミュージシャンたちの音楽がその中心にあった。かつてカントリー・ミュージックとロックとの融合によって生まれた「カントリー・ロック」が次第に洗練されたポップ・ミュージックとして完成されて、いわゆる「ウエスト・コースト・サウンド」として一時代を築き、それはそのままさらに洗練度を増して「AOR」へと変貌してゆく。1977年頃からの「AOR」の代表作として語られる作品の中に、そうしたウエスト・コーストのミュージシャンたちのアルバムは数多い。

 ボズ・スキャッグスの「Silk Degrees」のバックを支えるミュージシャンたちも、そうしたウエスト・コーストのミュージシャンたちだった。アルバムのクレジットを見ると、「musicians」としてDavid Paich、Jeff Porcaro、David Hungate、Fred Tackett、Louie Sheltonの名がある。彼らがこのアルバム制作に当たっての主要ミュージシャンだったのだろう。その他にも数多くのミュージシャンが参加しており、そうしたウエスト・コーストの有能なミュージシャンたちのサポートを得て、「Silk Degrees」は傑作アルバムとなった。

 「Silk Degrees」を語る上で欠かせないのは、やはりキーボード奏者であるDavid Paichの存在だろう。ほとんどの楽曲の作者としてもボズとともに名を連ね、アレンジャーとしてクレジットされたDavid Paichの存在はこのアルバムのもう一つの「核」と言っても過言ではない。あるいはボズ・スキャッグスとDavid Paichとのコラボレーション・アルバムだと言っても、あながち間違いではないかもしれない。David Paichも当時ロサンゼルスで活躍するスタジオ・ミュージシャンだったわけだが、このアルバムで共演したJeff Porcaroなどと共に後に「TOTO」を結成するのは有名な話だ。

 収録された楽曲のそれぞれに味があって素晴らしいが、やはりシングル曲となった「Lowdown」は強く印象に残る。冒頭の「What Can I Say」もいい。そして何と言っても、LP時代にはそれぞれの片面の最後に収録された二曲のバラード、「Harbor Lights」と「We're All Alone」は聴き応えがある。タイトル通りにまさに「港の灯り」を連想させて旅愁を誘う「Harbor Lights」、そしてすでにスタンダード化して広く愛されている名曲「We're All Alone」、この二曲のバラードはこのアルバムの最大の「聴きもの」かもしれない。あれからすでに三十年近くを経過したが、その音楽はいささかも古びない。それどころか、時を経るほどに味わいが増すようにも思える。これが傑作というものなのだろう。

 「Silk Degrees」に聴かれる演奏は基本的には軽やかな「ウエスト・コースト・サウンド」で、ホーンや女性コーラスなども加えて洗練されたポップ・ミュージックに仕上がっているが、その一方で、同時期の他の「ウエスト・コースト・サウンド」とは一線を画した音楽性を保っているようにも感じる。それはやはりボズ自身が南部の出身であり、その音楽的背景にブルースなどの南部音楽の香りが強く残っているからではないか。収録された楽曲の中にアラン・トゥーサンの「What Do You Want The Girl To Do?」が含まれているのも、そうした印象を強くする。洗練されたウエスト・コースト・サウンドに乗ったボズの歌声は粘りがあってソウルフル、ウエスト・コースト的なさらりとした爽やかさとは明らかに味わいが違う。そしてまたこのアルバムに残る南部的な泥臭さは、客演したギタリストLes Dudekの活躍によることも無視できない。Les Dudekはかつてボズのバック・バンドで演奏していたギタリストらしいが、実に素晴らしいスライド・ギターを奏でる。このアルバムでは「Jump Street」でその腕前を披露しているだけだが、その印象はあまりに強く、この作品が「南部的」なサウンドを内包しているものだという感覚を強めている気がする。

 洗練されたウエスト・コースト・サウンドに泥臭い南部音楽を程良くブレンドし、都会的で洒脱な大人向きのロック・ミュージックを造ってみたら、このような素晴らしい音楽に仕上がった、とでもいうような感触が、「Silk Degrees」にはある。そのような音楽はそれまで無かった気がする。今にして思えば、まさにこの作品の発表と成功こそが、来るべき「AOR」の時代の到来を宣言したのだと言えるのではないか。

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 「Silk Degrees」は、都会の夜を楽しむ大人の音楽だ。仕立ての良いスーツに身を包み、昼間は仕事をきちんとこなし、夜はお洒落なバーの片隅に落ち着き、気の利いた会話で恋を楽しむ、そんな大人たちの音楽だ。退屈な日常に不平不満を抱える日々を過ぎて平凡ささえも愉しみに変え、若さに任せた未熟な恋心に身を焦がす日々も過ぎて恋を恋として愉しむ、そんな大人たちのための音楽だ。

 この音楽が醸し出すそのような感覚に憧れたものだ。「思春期」と呼べる時期を過ぎて「大人」へなろうとする年代にとって、このような音楽はまさに「大人への憧れ」を刺激するものだった。まだまだ若造のくせに、こうした音楽を聴いて「大人」を気取っていたものだ。男の子たちだけではない。女の子たちにも、こうした音楽の垣間見せてくれる「大人の世界」への憧れはあったのではないかと思う。

 軽やかなリズムに乗った演奏はドライヴのBGMにもよく似合った。このアルバムをカセットにダビングし、ドライヴ・デートのBGMに使ったものだ。当時、そのような男の子は少なくなかったろう。やはりこの音楽は夜に似合ったから、昼間は別の音楽を聴き、日暮れを待ってボズに変える、というようなことをしたものだ。夜景の美しい場所に車を停め、曲が「Harbor Lights」や「We're All Alone」に変わるのを見計らってキスのタイミングを待ったという男の子も多かったのではないだろうか。いや、自分がそうだったというわけではないが。