Suzie Q / Creedence Clearwater Revival
1.I Put A Spell On You
2.The Working Man
3.Suzie Q
4.Ninety-Nine And A Half(Won't Do)
5.Get Down Woman
6.Porterville
7.Gloomy
8.Walk On The Water
Stu Cook : bass.
Doug Clifford : drums.
Tom Fogerty : rhythm guitar.
John Fogerty : leard guitar and vocal.
Produced by Debut of California.
1968.
2.The Working Man
3.Suzie Q
4.Ninety-Nine And A Half(Won't Do)
5.Get Down Woman
6.Porterville
7.Gloomy
8.Walk On The Water
Stu Cook : bass.
Doug Clifford : drums.
Tom Fogerty : rhythm guitar.
John Fogerty : leard guitar and vocal.
Produced by Debut of California.
1968.
昔、「リクエスト・アワー」というNHK-FMの番組があった。土曜の午後に三時間ほど、その名の通り、視聴者のリクエストに応じてさまざまな楽曲をオンエアするものだった。「リクエスト・アワー」は各地方局による制作の番組で、それぞれの地方で番組の趣向や構成は違っていたものと思う。聞いていた放送局の「リクエスト・アワー」は、司会進行役のアナウンサーとパートナー役の女性とで進められる生番組で、スタジオには一般のファンが見学に訪れ、ローカルな話題も飛び交い、「音楽番組」というよりは仲間が集まって楽しんでいるような雰囲気の番組だったことを覚えている。番組の途中では見学に訪れたファンに話を聞いたりしたものだ。「どこから来たのか」とか「年齢は」とか「好きな音楽は」とか、そんなたわいもないことを話題にしながら、和気藹々としたムードの中で番組は進んでいくのだ。
ある時の「リクエスト・アワー」で、見学に訪れた高校生の男の子が「好きな音楽は何ですか」と訊かれて「ロックですね」と答え、さらに「どんなアーティストが好きなんですか」と訊かれ、「そりゃあ、もちろんCCRですよ」というようなことを即答した。その時のことをとても印象深く憶えている。「ロックと言えばCCRでしょ。そんな当たり前のことを訊かないでくれ」とでもいうような、「CCRこそがロックである」とでもいうような口調だったのだ。
好きな音楽は何かと問われて、ロックだと答え、ロックでは誰が好きかと問われると、迷うことなくCCRの名を挙げる。ビートルズでもローリング・ストーンズでもなく、レッド・ツェッペリンでもディープ・パープルでもなく、CCRである。おそらく彼はCCRの音楽をこよなく好んでいたのだろう。ただそれだけのことだ。しかし、当時英国系のロック・ミュージックを愛していた身としては、「どんなロック・ミュージシャンが好きか」と問われてまずCCRの名が挙がるというのは、なかなか新鮮に感じられたのだ。
CCRは1968年に「Suzie Q」でデビューし、1971年から1972年にかけての頃には解散状態となってバンド活動を終えている。「リクエスト・アワー」で「そりゃあ、もちろんCCRですよ」と彼が答えた時点で、すでに1970年代も半ばに差し掛かっており、CCRは解散してしまった「過去の」バンドだった。にもかかわらず、「そりゃあ、もちろんCCR」なのだ。
「Creedence Clearwater Revival」という長い名を持つそのバンドのことを、通常は「CCR」と略称した。「クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル」ときちんと呼ぶのもなかなか「かっこよかった」ものだが、「しーしーあーる」と呼ぶのもそれはそれで「かっこよく」感じたものだった。CCRは「プラウド・メアリー」や「雨を見たかい」などの多くのヒット曲によってロックに興味の無い音楽ファンにもその名を知られた、有名なロック・バンドだった。英国ロックを愛する身でも、それらの楽曲はもちろん知っていたし、CCRというバンドのことも知っていた。いや、「知っていた」というのみならず、かなり好きでもあった。
1970年代初期当時、CCRはロック・ファンの間でも確固たる評価と人気を誇るバンドだった。今では「サザン・ロック」に先立つ「スワンプ・ロック」のバンドとして、あるいはカントリーやブルースなどに根ざしたいわゆる「ルーツ・ロック」のバンドとして、一部のマニアックなファンの間で語られるのみに過ぎないようにも思えるが、当時は数々の有名バンドの中に混じって独自のステイタスを誇っていたのは間違いない。「好きなロック・ミュージシャンは?」との問いに対して、その名が挙げられることがあっても何ら不思議なことではなかったのだ。
CCRは、ジョン・フォガティとトム・フォガティの兄弟にダグ・クリフォード、ステュ・クックという四人編成のバンドで、アメリカ南部の風土を感じさせるその音楽性からは意外なことに、実はメンバー全員がカリフォルニアの出身だという。1968年にデビュー・シングルとなった「Suzie Q」がまず西海岸で大ヒットとなってその名を知られるようになり、その年の秋にそのヒット曲を収録したデビュー・アルバムが発表されている。
1968年と言えばカリフォルニアはまだ「サイケデリック・ムーヴメント」の渦中にあったはずで、このCCRのデビュー・アルバムのジャケット・デザインやサウンドのところどころにもそうした時代の空気が感じられるが、CCRの音楽は「サイケデリック・ミュージック」的な要素をほとんど感じさせない。そしてまた1960年代終わり頃にカリフォルニアで活動したバンドであるなら、そのまま1970年代初期の「ウエスト・コースト・サウンド」の系譜の中に位置づけられてもよさそうだが、CCRの音楽はいわゆる「ウエスト・コースト・サウンド」でもない。CCRは、デビュー直後は特にブルースの影響の色濃い、土の匂いのする、いわゆる「南部臭い」音楽を指向しており、何も知らずにその楽曲だけを聴けば、彼らを南部出身のバンドかと思ってしまうほどだった。
彼らがそうしたアメリカ南部の風土に根ざしたルーツ・ミュージックに傾倒していたのは明らかで、そもそもそうした音楽を自ら演奏するためにバンド活動を始めたのではないかとも思える。そしてまた1950年代のロックン・ロールやブルースなどを敬愛していたようで、このデビュー・アルバムにもオリジナル曲に混じって1950年代のヒット曲も取り上げており、彼らの音楽的指向のルーツを窺い知ることができる。そもそもデビュー・ヒットとなった「Suzie Q」はロカビリー・シンガーのデイル・ホーキンスによる1957年のヒット曲だし、冒頭に収録された「I Put A Spell On You」もジェイ・ホーキンスが1950年代にヒットさせた有名曲だ。
しかし彼らが単にそうした「ルーツ・ミュージック」をコピーするだけのバンドに甘んじていないことは、このデビュー・アルバムを聞けばよくわかる。彼らは、その根本にアメリカン・ルーツ・ミュージックへの敬愛の念を抱きつつ、あくまでダイナミックなロックン・ロール・バンドとしてのオリジナリティに溢れている。彼らの音楽は力強く、骨太で、このような表現が適切かどうかわからないが、とても「男臭い」。彼ら自身はカリフォルニアの出身だが、その音楽はまさにアメリカ南部の「荒くれ男」のロックン・ロールなのだ。
演奏も歌唱も荒っぽい。いや、技術的に粗雑だというのではないし、繊細な情感に欠けるというのでもない。彼らの歌と演奏は小賢しい緻密さや理論を二の次にして、音楽の熱情やグルーヴ感を最優先させることの潔さがある。ダグ・クリフォードとステュ・クックのふたりによる安定したリズム、トム・フォガティの爽快感溢れるリズム・ギター、ジョン・フォガティの力強いヴォーカルとロック・ミュージックのダイナミズムに溢れたリード・ギター、彼らの演奏は力強く、豪快で、ストレートだ。その、何ら奇をてらったところのない、あくまでストレートでシンプルなロックン・ロールが、聞いていて実に痛快だ。彼らの音楽を聴き、その魅力に浸っていると、確かにこれこそがロック・ミュージックのひとつの本質であるかもしれないと思うのだ。
CCRは短命なバンドだったが、1960年代の終わりから1970年代の初期にかけて、アメリカン・ロックの一翼を担ったバンドであったことは確かだ。そして後のアメリカン・ロック・シーンに多大な影響を与えたことも事実だろう。彼らの、このデビュー・アルバムは、まだまだ荒削りで散漫な印象もあるが、その若々しい歌と演奏には力強いアメリカン・ロック・ミュージックの魅力が満ちあふれている。「そりゃあ、もちろんCCRですよ」と答えた彼の気持ちもわかる気がする。この後、1969年に発表したセカンド・アルバムから「ブラウド・メアリー」が大ヒットとなり、CCRは全米規模の人気を獲得、一気にアメリカン・ロック・シーンの最前面に躍り出ることになる。
「リクエスト・アワー」での件の彼は、「リクエスト曲が何かありますか」と促されて、「CCRの『スージー・Q』をお願いします」と言った。「プラウド・メアリー」でも「グリーン・リヴァー」でも「雨を見たかい」でもなく、「スージー・Q」であった。ラジオのスピーカーの前でひとり、にんまりとしながら顔も知らないCCR好きの彼に喝采したのだった。
This text is written in June, 2003
by Kaoru Sawahara.
by Kaoru Sawahara.