幻想音楽夜話
This Is Music / ohashiTrio
1.Happy Trail
2.The Music Around Me
3.We're Waiting
4.そんなことがすてきです
5.The Ride
6.Juradira
7.Things Have Changed
8.Blues in June

All Songs Written by Yoshinori Ohashi
vocal : ohashiTrio
chorus : micca
pedal steel guitar (6) : Motomu Shiiya
uplight bass (6) : Hisashi Sutoh
all other instruments : Yoshinori Ohashi

Produced by Yoshinori Ohashi
2008
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 初めて聴いた「大橋トリオ」の音楽は、FMから聞こえてきた「そんなことがすてきです」だった。ゆったりとしたアコースティック・ミュージックに乗った日本語歌詞の音楽に、何となく「はっぴいえんど」の音楽を思い起こしながら耳を傾けていた。何というミュージシャンなのだろうと思いながらパーソナリティーの曲目紹介を待っていると、「おおはしとりお」というミュージシャンだという。「おおはしとりお」という名はどこかで聴いたことがあるような、ないような。

 調べてみると「おおはしとりお」は「大橋トリオ」、あるいは「ohashiTrio」で、「トリオ」なのに一人のミュージシャンらしい。ならば「とりお」は「鳥夫」さんだったりするのだろうか、などと思ったりもしたが、「大橋トリオ」を名乗るミュージシャンの本名は「大橋好規」というそうだから、どうやら「鳥夫」さんや「鶏夫」さんではないようだ。想像だが、かつて「トリオ」で活動していて、やがてさまざまな事情で自分一人だけで活動するようになって、それでも「大橋トリオ」を名乗り続けている、といった経緯だろうか。

 と、まあ、その名だけでずいぶんと興味を覚えたわけなのだが、それ以上に興味の的になったのは、言うまでもなくその音楽だった。たった一曲、「そんなことがすてきです」を聴いただけだが、長年様々な音楽を聴き続けてきた経験による”勘”のようなもの、偉そうに言うならこれまで培ってきた”音楽に対する審美眼”のようなものが、”「大橋トリオ」の音楽は素晴らしいぞ、他の曲も聴いてみろ”とささやいているのだ。

 というわけで、CDショップに行って「大橋トリオ」を探した。件の「そんなことがすてきです」を収録しているのが「This Is Music」と題されたアルバムだった。「This Is Music」とは何ともストレートで潔く自信に溢れたタイトルではないか。いそいそと購入し、家に戻って聴いてみた。思わずにんまりとした。自分の内からささやく声が言うように、これは何とも素晴らしい音楽ではないか、と。

節区切

 「This Is Music」はパッチワークスレーベルから大橋トリオのセカンド・アルバムとして2008年に発売されたものだ。収録されている楽曲は8曲で、演奏時間はトータルで40分にも満たないから「ミニ・アルバム」ということになるようだ。しかし全8曲で40分弱というのは、LPを聴いてきた世代には何とも親しみの持てるものだ。LP時代にはA面、B面それぞれに20分弱を収録するという構成は主流だった。それは主として物理的な制約によるものだったが、ひとつの音楽作品としての”アルバム”の演奏時間にはちょうど良い長さのような気がしてしまうのは、LPを聴いて”育った”からなのかもしれない。

 演奏時間40分にも満たない「This Is Music」の、しかしその内容の何と密度濃いことか。収録された楽曲はさまざまなスタイルで飽きさせず、といって散漫さを感じさせることもなく、楽曲のひとつひとつが控えめに主張しながらも互いを邪魔することなく協調し合ってアルバム全体の色彩を織り上げてゆく。この音楽は、決して”刺激的な”音楽ではない。一度耳にしただけで忘れられなくなるような衝撃的な音楽というわけではない。何ら奇をてらったところのない、その”真っ当な”音楽は、驚くような新鮮さを感じさせるわけではないが、しかし決して”どこかで聞いたことがある”ような陳腐な既視感に襲われることもない。そのパステルカラーの水彩画のような静かで穏やかな表情は、粋で洒落た洗練を感じさせて味わい深く、その味わいの中に滲み出るように音楽の感動が湧き上がる、この音楽はそんな音楽だ。

節区切

 この音楽は才能溢れる音楽家によって真摯に紡ぎ上げられた、”懐の深い”音楽だ。その”懐の深さ”はそのまま「大橋トリオ」、すなわち大橋好規という音楽家の音楽的バックボーンの”懐の深さ”であり、彼の才能の深さだ。公開されているプロフィールによれば、大橋好規は幼い頃からピアノを始め、ローティーンでロックへ、ハイティーンでジャズへ傾倒、作曲を始めたのは音楽大学へ進学した後という。その後、映画音楽やCM音楽の世界で頭角を現し、シンガーへの楽曲提供や編曲、演奏など、幅広い活動を行うようになった。

 「大橋トリオ」、すなわち大橋好規という音楽家は、いわゆる「シンガー/ソングライター」ではない。彼は敢えて言うなら”作曲家”であり、”演奏家”であり、”アレンジャー”であり、”プロデューサー”だということになるだろうが、一言で表すなら”音楽家”だ。歌も歌っているが”シンガー”と呼ぶべきではあるまい。このアルバムで大橋好規は、すべての楽曲の作曲、ヴォーカル、種々の楽器演奏、プロデュースなどを担当している。作詞は行っていないようで、このアルバムでもmicca(「Happy Trail」、「そんなことがすてきです」、「Juradira」、「Blues in June」の4曲、いずれも日本語詞)、Joshua Katris(「The Music Around Me」、「We're Waiting」、「The Ride」の3曲、いずれも英語詞)、David Yono(「Things Have Changed」、英語詞)の三者が作詞者としてクレジットされている。あくまで想像だが、”作詞も自分でやれればいいんだけど、どうも苦手でね”なんて思っているのかもしれない。

 大橋好規はジャズ・ピアノを習うために音楽大学へ進学したらしいが、このアルバム「This Is Music」はそれほどジャジーな印象のアルバムではない。もちろんジャズの素養を感じさせる部分は随所にあって、例えば「The Music Around Me」や「Blues in June」などは、このアルバムで最も”ジャズ”を感じさせる楽曲だと言っていい。その一方、大橋トリオを知るきっかけになった「そんなことがすてきです」などは、冒頭に”「はっぴいえんど」の音楽を思い起こしながら聴いた”と記したように、どこか1970年代ウエスト・コーストのロック・ミュージックの味わいがある。「そんなことがすてきです」だけでなくアルバム全体の色彩に往年のウエスト・コースト系のAORに近いものがあるように思えるが、しかし細部にさまざまなスタイルの影響が垣間見えて奥が深い。演奏はもちろんエレクトリック・ギターなども使用したものだが、音楽の全体像は概ねアコースティックな感触で、演奏も大橋好規の歌声も”尖った”ところがなく、穏やかで優しく、飄々としていて、時に長閑ささえ感じさせてくれる。

節区切

 この音楽を聴いていると、なぜか自分が解き放たれていくような感覚を覚える。”解き放たれていく”とは言っても、枷が外れるように一気に解き放たれるというのではなく、日々の暮らしの中で知らず知らずのうちに自分にまとわりついてしまった”しがらみ”の糸のようなものが、少しずつ、ひとつずつ、ゆっくりとほぐれ、外れてゆくような、そんな感覚だ。この音楽を聴いてゆくうちに、そんなふうに心が解き放たれ、自由になってゆくような、そんな感覚がある。それを、人は”癒し”と呼ぶのかもしれない。そして何度も何度も聴いているうちに、その感覚はやがて音楽的感動に姿を変える。その音楽は心のずっと深いところから、忘れていた何か大切なものを拾い上げてくれる。そっと手を差し延べて、うつむき加減の心にほんの少し上を向く勇気を与えてくれる。この音楽はそんな音楽だ。

節区切

 余談だが、このohashiTrioの「This Is Music」は全国のCDショップ店員の投票によって選ばれる「CDショップ大賞」の第一回(2008年1月1日〜2008年12月31日リリース作品対象)の準大賞作品に選ばれている。「CDショップ大賞」は”CDショップ店員が「この作品を心から売りたい」「お客様に絶対聴いてもらいたい」と感じる作品を選考”するものだそうだが、ohashiTrioの「This Is Music」に投票したCDショップ店員諸氏に喝采と賛同の意を表したい。ちなみにこのときohashiTrioの「This Is Music」を抑えて大賞に選ばれたのは相対性理論の「シフォン主義」である。むべなるかな。