幻想音楽夜話
The Voice Of Scott McKenzie
1.San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)
2.Celeste
3.It's Not Time Now
4.What's The Difference (Chapter II)
5.Reason To Believe
6.Like An Old Time Movie
7.No, No, No, No, No
8.Don't Make Promises
9.Twelve Thirty
10.Rooms
11.What's The Difference (Chapter I)

Produced by John Phillips and Lou Adler
1967 ODE
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1950年代半ばから始まった公民権運動が1964年の公民権法制定によって一応の決着を見た頃、アメリカはヴェトナム戦争の泥濘へますます深く足を踏み入れようとしていた。南ヴェトナムを支援してきたアメリカは、ついに直接の軍事介入を決断、1965年にはいわゆる「北爆」が開始され、さらに地上軍の投入へと突き進む。しかし、ソ連と中国の軍事支援を受けた北ヴェトナムに対して、アメリカはいっこうに軍事的成果を上げることができなかった。戦況は好転することなく、泥沼化していくばかりだった。アメリカ国内では公民権運動や学生運動によって芽生えた反体制的思想が若者たちを反戦運動へと導く。同じ頃、ハーバード大学の心理学教授だったティモシー・リアリーはLSDによる精神向上作用を謳い、サイケデリック・ムーヴメントの指導者としてヒッピーたちの支持を集めていた。やがて「反戦」と「サイケデリック」は反体制やカウンターカルチャーを共通項としてひとつに合流する。1967年初頭、サンフランシスコのゴールデンゲイトパークに3万人にも及ぶ人々が集まった。集まった若者たちはティモシー・リアリーやアレン・ギンズバーグや反戦運動家たちの言葉に耳を傾け、ジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッドの音楽を聞きながらドラッグの幻想に酔った。彼らは「愛と平和」を合い言葉に、旧体制の国家に見切りを付け、自分たちが新しい時代を作るのだと信じていた。こうした集会は急速にアメリカ全土へ広まり、各地で反戦運動と結びついた。ベンタゴンではヒッピーたちが自分たちに向けられた銃口に花を指してまわった。人々は彼らを「フラワー・チルドレン」と呼び、1967年という年は後に「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれるようになる。

 サンフランシスコはサイケデリック・ムーヴメントの、そして「フラワー・チルドレン」の、いわば「聖地」だった。1967年の夏、「サンフランシスコに行くのなら、髪に花を指して行くといい、サンフランシスコに行くのなら、そこで優しい人々に出会うだろう」という有名な歌詞で始まるポップ・ソングが世界的な大ヒットになる。ママス&パパスのジョン・フィリップスが作り、スコット・マッケンジーが歌ったこの曲は、タイトルを「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」という。日本でも「花のサンフランシスコ」という邦題が付けられて発売され、1967年の夏から秋にかけての大ヒットになった。この「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」は、まさに「サマー・オヴ・ラヴ」を象徴する一曲だったと言っていい。

節区切

 スコット・マッケンジーは本名をフィリップ・プロンドヘイムといい、1939年、フロリダに生まれている。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」がヒットした当時、すでに二十代後半の年齢だったことになる。十代から音楽活動を始め、二十歳くらいの頃にジョン・フィリップスと出会った。一時期は同じバンドで活動していたこともあり、それ以後もふたりの親交は厚かったようだ。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」は本来はジョン・フィリップスがママス&パパスのために書いた楽曲だったらしいが、けっきょくスコット・マッケンジーの歌唱によって世に出ることなった。

 1960年代から1970年代にかけての洋楽ポップスを聴いていた人なら、そしてその時代のポップ・ソングを好きな人なら、おそらく「花のサンフランシスコ」を知らない人はいない。それほどの有名曲だ。この大ヒット曲によってスコット・マッケンジーは一躍その名を馳せたわけだが、しかしかえってそのために、いわゆる「一発屋」的に見なされることも少なくない。1967年の秋頃には「Like An Old Time Movie(邦題を「花の想いに」という)」が「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」に続くシングルとして発売され、そこそこのヒットを記録しているのだが、一般的な知名度はやはりあまり高くはないと言わざるを得ない。同年、「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」と「Like An Old Time Movie」のふたつのシングル曲をフィーチャーしたスコット・マッケンジーのアルバム「The Voice Of Scott McKenzie」も発売されているのだが、これもかなりのファンでなければ聴いたことがないというのが正直なところではないだろうか。

 ジョン・フィリップスとルー・アドラーのふたりがプロデューサーとして名を連ねた「The Voice Of Scott McKenzie」は、おそらく「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」と「Like An Old Time Movie」のふたつがヒットしたことを受けて、主として商業的な判断によって制作の話がまとまったものに違いない。全11曲を収録したアルバムは、音楽作品としての完成度という点に於いて特筆するほど優れているというわけではない。ふたつのシングル曲をメインに据え、スコット・マッケンジーの歌唱による楽曲を収録して作られたという意味以上のものではないだろう。まさにタイトルの「The Voice Of Scott McKenzie」が示すような性格のアルバムであるように思える。セールス的にも、このアルバムは特筆するほどの結果を残してはいない。

節区切

 アルバム「The Voice Of Scott McKenzie」は、ではマニアックな1960年代のアメリカン・ポップスのファンや、あるいは「サマー・オヴ・ラヴ」に注目して関連作品に興味を持つファンなどに対してのみ魅力のある作品であるのかと言えば、決してそのようなことはない。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」に於けるスコット・マッケンジーの歌唱に魅力を感じた人なら、このアルバムにもおそらく失望することはないだろう。アルバム全体を覆う音像の印象は、そのまま「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」の延長上にあり、当時のアメリカン・フォーク・ロックの佇まいそのものだ。さらに付け加えるなら、ママス&パパスが好きな人ならきっと満足できる内容だと言ってもいい。スコット・マッケンジーの歌唱は穏やかで優しげな表情が魅力だ。「The Voice Of Scott McKenzie」の音楽は、そうしたスコット・マッケンジーの魅力が存分に味わえるアルバムだと言っていい。

 アルバムにはふたつのヒット・シングル曲の他、ジョン・フィリップス作でママス&パパスの歌と演奏でも知られる「Twelve Thirty」と「Rooms」、ティム・ハーディンの楽曲である「Reason To Believe」と「Don't Make Promises」、さらにドノヴァンの「Celeste」、ラヴィン・スプーンフルの「It's Not Time Now」などを収録している。「No, No, No, No, No」は「フレンチ・ポップス」のシンガー/ソングライターとして1960年代末から1970年代初期にかけて名を馳せるミッシェル・ポルナレフのデビュー曲「ノンノン人形」のカヴァーで、「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」以前にスコット・マッケンジーがシングルとして発表したものであるらしい。「Chapter I」と「Chapter II」に分けられた「What's The Difference」がスコット・マッケンジーの自作曲だ(スコット・マッケンジーも曲を書くのかと思う人もあるかもしれないが、1970年になって全編自作曲のアルバム「Stained Glass Morning」を発表しており、なかなかの佳曲を披露してくれている)。

 アルバム「The Voice Of Scott McKenzie」の最大の「聴き所」は、やはりふたつのシングル曲、「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」と「Like An Old Time Movie」だと言っていい。特に「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」はアメリカン・ポップス/フォーク・ロック史上に残る名曲中の名曲と言ってよく、群を抜く魅力を放っている。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」ほどではないが「Like An Old Time Movie」もなかなかの佳曲で、穏やかな曲想の美しい楽曲だ。他の楽曲もスコット・マッケンジーの歌唱によって新たな魅力が感じられて素敵だ。

 特筆すべきなのはスコット・マッケンジー自作曲の「What's The Difference」だ。これがなかなかいい。楽曲そのものも美しく、アレンジも良く、スコット・マッケンジーの歌唱も素晴らしい。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」や「Twelve Thirty」といった、いかにもジョン・フィリップスらしい楽曲の印象の強さに隠れてしまいがちになるが、この自作曲の素朴な魅力はこのアルバムのもうひとつの「聴き所」と言っていいかもしれない。他の楽曲が時代を反映して少々サイケデリックな色彩を感じるフォーク・ロックであるのに対して、この「What's The Difference」は後のジョン・デンヴァーの音楽にも通じるような素朴なフォーク・カントリー風の味わいがあり、スコット・マッケンジーの自然体の歌唱がよく似合っている。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」のスコット・マッケンジーしか知らない人にとってはなかなか新鮮に聞こえるかもしれない。

節区切

 それにしても、このアルバムに収録された音楽の何とドリーミーでピースフルでテンダリーでノスタルジックなことだろうか。この音楽のそうした印象は、効果的なアレンジやサウンド・プロデュースがもたらすものであることも事実だが、それ以上にスコット・マッケンジーの歌唱そのものの味わいがもたらすものだ。彼の歌唱と声質は穏やかな安らぎに満ちていて、それこそがこのアルバムに於ける何よりの魅力と言っていい。例えば「Twelve Thirty」をママス&パパスのヴァージョンとスコット・マッケンジーのヴァージョンとを聴き比べてみるとよくわかる。どちらが良いかという点では好き嫌いもあるだろうが、スコット・マッケンジーの歌唱による「Twelve Thirty」の方がより穏やかな表情を持っているのは確かだ。

 安らかで穏やかで、少し夢想的な音楽の味わいは、聴く者に郷愁にも似た想いを呼び起こす。単純に故郷を懐かしむような郷愁とは少し違って、まるで「未だ見たことのない、どこかにあるはずの、心安らぐ場所」への望郷の念とでもいうようなイメージだ。「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」にしても、まるでサンフランシスコという土地が、そうした望郷の対象であるかのようではないか。冒頭では「サンフランシスコに行くのなら」と歌われる歌詞は、中盤以降では「サンフランシスコに来るのなら」と変わるのだが、それでもやはり、あるいはだからこそ、なおもサンフランシスコは遠く離れた憧憬と望郷の対象であるかのようだ。そしてその憧憬と望郷は、そのまま当時「愛と平和」を合い言葉に集った若者たちの夢見た新しい時代のコミュニティへの憧憬と望郷だったのではないか。今になって俯瞰してみれば、それはまるで、そうしたムーヴメントがけっきょくは幻想のままに終わってしまうことを暗示しているようにも思われてしまうのだ。

 アメリカ全土を覆った若者たちのカウンター・カルチャーのムーヴメントは1969年夏のウッドストック・フェスティバルでその頂点を迎えるが、けっきょくコンサート会場は混乱とドラッグと犯罪と泥にまみれ、終わった跡にはゴミが散乱するばかりだった。同じ年の暮れ、サンフランシスコ郊外のオルタモント・スピードウェイで行われたローリング・ストーンズのコンサートで、警備に雇われたヘルズ・エンジェルスのメンバーが観客のひとりを刺殺するという事件が起こる。世に言う「オルタモントの悲劇」である。1970年10月、ジャニス・ジョプリンがヘロインのオーヴァードーズで世を去る。享年27歳という若さだった。そうして夢は醒め、1960年代は終わりを告げる。「優しい人たちに出会うだろう」と歌われたサンフランシスコ、今になって「San Francisco (Be Sure To Wear Some Flowers In Your Hair)」を聴けば、「サンフランシスコ」は単なる街の名でなく、アメリカの若者たちが新しい価値観のもとに新しい時代の創造を夢見ていた、あの時代そのものの象徴のように聞こえる。

節区切

 1967年夏、もう40年ほども前のことだ。ヴェトナム戦争もサイケデリックもすでに歴史のひとこまになってしまった。銃口に花をさしてまわった若者たちも、今では60歳を超える年代になっているだろう。ヴェトナム戦争はアメリカとソ連、すなわち西側と東側との代理戦争だとも言われた。やがて1970年代半ばになってようやくヴェトナム戦争は終結し、さらに20世紀も終わりに近づいた1991年、ソ連は崩壊した。時の流れの中で世界の情勢も大きく変わったが、それでもこの地球上に戦火の絶えることはない。スコット・マッケンジーの歌声を聴きながら、時の彼方で幻想に霞む「サマー・オヴ・ラヴ」を、想う。