幻想音楽夜話
Look At Yourself / Uriah Heep
1.Look At Yourself
2.I Wanna Be Free
3.July Morning
4.Tears In My Eyes
5.Shadows Of Grief
6.What Should Be Done
7.Love Machine

Ken Hensley - organ, piano, guitar, acoustic guitar & vocals.
Mick Box - lead guitar & acoustic guitar.
David Byron - lead vocals.
Paul Newton - bass guitar.
Iain Clarke - drums.

Produced by Gerry Bron.
1971
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代初期のロック・シーンを席巻した「ハード・ロック」の代表的なバンドの名を問われたとき、まずレッド・ツェッペリンとディープ・パープルの名を挙げることはほとんどのロック・ファンにとって異論のないところだろう。そのふたつのバンドは作品の質に於いても、人気の点に於いても、当時のロック・シーンの頂点に君臨するグループだったし、その評価は今もなお変わらないと言っていい。

 では、その他のバンドはどうだったかと言えば、前述のふたつのバンドの陰に隠れた「二流」のバンドだったというわけでは決してない。レッド・ツェッペリンとディープ・パープルとを1970年代初期の「ハード・ロック」の頂点とするにしても、それは屹立する高峰のように他を圧倒していたものではなかった。彼らの他にもさまざまなバンド達がそれぞれの方法論によって優れた作品を発表し、時にレッド・ツェッペリンとディープ・パープルに匹敵するような、あるいはその人気を脅かすような存在に成り得ていた。それらが総体となって「ハード・ロック」というロック・ミュージックの潮流を担っていたのだ。

 ブラック・サバスは今ではレッド・ツェッペリンとディープ・パープルとともに1970年代初期の「三大ハード・ロック・バンド」と評されることもあり、1980年代の「メタル」へと続く系譜の中で語られることも多い。そのブラック・サバスと同等か、あるいは特に日本ではサバス以上の人気を誇りながら、今では何故か忘れ去られてしまったような立場に甘んじているバンドがある。ユーライア・ヒープである。1970年代初期当時、「ハード・ロック」のバンドの名を挙げよ、と言われれば、レッド・ツェッペリンとディープ・パープル、そしてブラック・サバス、ユーライア・ヒープの名が当然のように口にされたものだった。

 1971年に発表された「Look At Yourself」、邦題を「対自核」というこのアルバムは、そのユーライア・ヒープの名をロック・ファンに知らしめた「出世作」だった。そしてまた、1970年代初期の「ハード・ロック」の名盤のひとつとして今もなおその魅力を失わない傑作でもある。

節区切

 1970年代初期、「ハード・ロック」という呼称はそれほど明確に「ジャンル名」として定着してはいなかったように思う。メタリックなギター・リフやシャウトに重きを置いたヴォーカル・スタイルで大音量で奏でられるロック・ミュージックに対して、「ハードなロック」というような、形容詞的意味合いで「ハード・ロック」という言葉が使われていたのではなかったろうか。そうしたロック・ミュージックは時にその重厚な音像のもたらす印象から「ヘヴィ・ロック」などと呼ばれたりもした。1970年代初期のそれらのロック・ミュージックは後に「ハード・ロック」の呼称の元にイメージが集約されて「ジャンル」として成立するのだが、当時はあくまで形容する目的で「ハード・ロック」や「ヘヴィ・ロック」という言葉が使われていたように思える。

 「ハード・ロック」という形容と「ヘヴィ・ロック」という形容は、時にはまったく同義に使われることもあったが、時には微妙な違いを言い表すために使い分けられもした。例えば「レッド・ツェッペリンとディープ・パープルはハード・ロックで、ブラック・サバスとユーライア・ヒープはヘヴィ・ロック」という具合にだ。そうした使い分けを「ジャンルの分類」として固執することは意味のあることではないが、両者の音楽の印象の違いをうまく言い表す表現として興味深い。

 ユーライア・ヒープの音楽は、「ハード」なロックというよりも、まさに「ヘヴィ」なロック・ミュージックだった。彼らの音楽はケン・ヘンズレーの奏でるオルガンの重厚な音像にミック・ボックスによるエキセントリックなギターが絡み、そしてそれにデヴィッド・バイロンの歌声が乗って、全体がひとつの「音の塊」として押し出されてくるような印象のものだった。もちろん充分にハードな音楽だったが、エッジの効いた鋭いギター・リフといったものや、特徴的なシャウトを聴かせるヴォーカルといったものはその中心にはなく、あくまでバンド全体の演奏が総体となってハードでヘヴィな音像を形作っていたものだった。

 彼らの音楽は「ハード・ロック」のひとつの在り方として充分に完成されており、魅力的なものだったが、しかし残念なことにカリスマ的な魅力を発散する「スター」的なメンバーが不在だった。ミック・ボックスのギターもケン・ヘンズレーのオルガンもデヴィッド・バイロンのヴォーカルも、「ハード・ロック」のファンにとって確かに魅力的で、その演奏は当時大いに支持されたものではあったが、やはり「カリスマ性」といった要素にどこか欠けていたように思える。そのことも、ユーライア・ヒープが歴史の中に埋没し、顧みられることが少ないことの一因であるかもしれない。

節区切

 ユーライア・ヒープはカリスマ的な魅力を持つプレーヤーが不在であったかもしれない。しかし、そのことでその音楽の魅力が損なわれることはない。ユーライア・ヒープの音楽は、レッド・ツェッペリンともディープ・パープルともブラック・サバスとも異なる独自性に満ち、1970年代初期の「ハード・ロック」を担ったもののひとつとしての魅力に溢れている。

 ユーライア・ヒープの音楽は「ハード・ロック」としての硬質で重厚な音像のもたらす痛快感ももちろん魅力だが、それと同等、あるいはそれ以上に、各楽曲のメロディの美しさも特筆すべきものだった。甘美なメロディと印象的なコーラスは、硬く重い音像の中に幻想的な叙情性を垣間見せ、それがユーライア・ヒープの音楽の特徴となり、魅力となっていた。そうしたユーライア・ヒープの音楽の魅力が、この「Look At Yourself」にひとつの完成形として具現化され、凝縮されていると言っても過言ではない。

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 冒頭に収録されたアルバム・タイトル曲「Look At Yourself(対自核)」は、名実ともにユーライア・ヒープの代表曲であり、1970年代ブリティッシュ・ハード・ロックの名曲のひとつに数えることができるだろう。楽曲の全編を重厚なオルガンが覆っているが、決してそれだけが浮き上がることなく、全体としてアグレッシヴなロック・ミュージックを構成する様が見事だ。間奏部のエキゾチックなメロディや要所要所で聴かれる印象的なコーラスも独特の雰囲気を醸している。終盤ではオシビサのメンバーによるパーカッションの客演を得て、さらに魅力的な演奏が展開される。決して「軽快」とは言い難いが、興奮を誘うような独特の疾走感が痛快だ。

 二曲目の「I Wanna Be Free(自由への道)」は、また別の意味でユーライア・ヒープの音楽を象徴する楽曲であるかもしれない。ハードなイントロ部、それに続くどこか遠くから聞こえてくるような歌声、そして再びハードな演奏へと移ってゆく構成は、エキサイティングな演奏の中にどこか繊細さも漂わせて彼らの音楽の奥深さを感じさせてくれる。力強く大地を踏みしめてゆくような楽曲の印象もいい。

 三曲目に収録された「July Morning(七月の朝)」もまたユーライア・ヒープの代表曲のひとつであり、1970年代ブリティッシュ・ハード・ロックが生んだ名曲のひとつと言ってよいだろう。重厚なイントロから一転して静寂へと移行し、次第にドラマティックに展開してゆく楽曲の構成が素晴らしい。その美しいメロディも特筆すべきものだろう。重厚で荘厳なイメージ、そして哀感を帯びた叙情性といった印象は、「プログレッシヴ・ロック」のファンの耳にも充分に魅力的なものに違いない。楽曲終盤のシンセサイザーはマンフレッド・マンの客演によるミニ・ムーグだが、この演奏もまたこの楽曲を引き立ててくれる要素のひとつだ。この楽曲は特に日本のファンの間で評価が高いという。哀感を伴った甘美なメロディと劇的な展開といった要素は、どうやら一般的な日本人の心の琴線に触れるものであるらしい。

 「Tears In My Eyes(瞳に光る涙)」もハードでヘヴィな音が弾ける楽曲だが、間奏部での静けさ、繊細さ、美しさが印象に残る。重厚な演奏の中に浮かび上がるアコースティック・ギターの音色も印象的だ。中盤で別の楽曲かと思うほどに印象の異なる演奏へ移行し、かき消えるように終わってゆく構成も面白い。

 「Shadows Of Grief(悲嘆のかげり)」はこの作品のレコーディングに於いてメンバーが最も興奮した楽曲なのだという。8分を超えるこの楽曲は少々複雑な構成になっており、幾度か聞き込まなくてはなかなか全体像を把握するのが難しいかもしれないが、ハードでヘヴィな音像と幻想的な音世界が交錯しつつ疾走してゆく構成は聴き応えがあって、引きずり込まれるような魅力を持っている。メンバー自らが興奮したというのも頷ける、エキサイティングな楽曲だ。

 「What Should Be Done(当為)」はピアノ演奏とヴォーカルを中心とした静かな小品だ。ハードでヘヴィな楽曲が並ぶ中にあって「小休止」的な印象もあるが、その叙情的で耽美的な楽曲の魅力は決してそれだけに終わっていない。ユーライア・ヒープのリリカルな面をうまく表現した佳品と言ってよいだろう。

 アルバムのラストに収録されたのはハードなロックン・ロールの「Love Machine」。彼方から聞こえてくる重厚なオルガンに導かれて、エキサイティングな演奏が繰り広げられてゆく。楽曲としては特に凝った構成でもなく、シンプルなロックン・ロール基調のハード・ロックだが、くぐもったような歪んだオルガンの音がやはりユーライア・ヒープの個性をよく表している。現在の視点から言えば特にスピーディというわけではないが、彼らの作品としては軽快な疾走感が魅力の楽曲と言えるだろう。楽曲の終わり方も特徴的で、これもユーライア・ヒープ的というべきだろうか。ミック・ボックスのギターを堪能できる一曲でもある。

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 「Look At Yourself」によって名声と地位を築いたユーライア・ヒープは、この後「Demons And Wizards(悪魔と魔法使い)」、「The Magician's Birthday(魔の饗宴)」という「悪魔」や「魔術」をキーワードとした作品群を発表する。それらの作品もまた質は高く、「Look At Yourself」を含めたこの三作を「三部作」として、ユーライア・ヒープの最も魅力的な時期と見なすファンも多い。

 ユーライア・ヒープはケン・ヘンズレーとミック・ボックス、そしてデヴィッド・バイロンの三人によってその最も充実した時代を支えられたバンドだったと言っていいだろう。他のメンバーは常に流動的だった。しかも中心的メンバーであったはずのデヴィッド・バイロンとケン・ヘンズレーさえも後にバンドを脱退、バンドはその歴史の中で幾度ものメンバーの交替を経験し、その結果なのか、バンドの音楽性も時代と共に次第に変わっていった。息長く活動を続けるバンドでありながら、その歴史を通じて一貫して変わらぬ音楽性といったものがあまり感じられず、ユーライア・ヒープというバンドの音楽をひとつのイメージに集約することが難しい。そのこと自体は必ずしも悪いことではないのだが、彼らの場合はそのことも現在の評価の低さに繋がる一因であるのかもしれない。

 しかし当時のロック・シーンを知る者にとって、ハード・ロック・バンドとしてのユーライア・ヒープは今なおその輝きを失わない。そのユーライア・ヒープが最も輝きを放った時代の始まりが、この作品だった。そしてそれは「ブリティッシュ・ハード・ロック」という潮流がその最盛期を迎えた時代の、ひとつの象徴だったと言えるかもしれない。