Tales From Topographic Oceans / Yes
1.The Revealing Science Of God - Dance Of The Dawn
2.The Remembering - High The Memory
3.The Ancient - Giants Under The Sun
4.Ritual - Nous Sommes Du Soleil
Jon Anderson - vocals.
Steve Howe - guitar, vocals.
Chris Squire - bass, vocals.
Rick Wakeman - keyboards.
Alan White - drums.
Produced by Eddie Offord and Yes
1973 Atlantic Island Records Ltd.
2.The Remembering - High The Memory
3.The Ancient - Giants Under The Sun
4.Ritual - Nous Sommes Du Soleil
Jon Anderson - vocals.
Steve Howe - guitar, vocals.
Chris Squire - bass, vocals.
Rick Wakeman - keyboards.
Alan White - drums.
Produced by Eddie Offord and Yes
1973 Atlantic Island Records Ltd.
当時、「危機」に続くイエスのアルバムはイエス・ファンにとって待望の作品であったに違いなかった。「危機」に続いて発表された「イエスソングス」はLPレコード3枚組という形で発表され、ライヴ・レコーディングでありながら圧倒的な完成度を見せる作品ではあったが、やはりスタジオ録音の「新作」をすべてのファンが待ち望んでいた。
1973年も終わりに近く、ファンの耳にもたらされたイエスの新作についての情報は、それがLP2枚組になるというものだった。「イエスソングス」のLP3枚組に慣らされ、他にも2枚組、3枚組のアルバムが少なからず発表されていた当時のシーンに於いてはLP2枚組という構成はそれほど驚くべきことではなかったが、LP2枚組のパッケージに4曲しか収録されていない、すなわちLPレコードの片面にそれぞれ1曲ずつが収録されているというニュースはファンを少しばかりの戸惑いとともに大いに期待させたものだったように思う。
「Tales From Topographic Oceans」と題して発表されたイエスの新作は、日本では「海洋地形学の物語」というタイトルが付けられた。LPレコードのそれぞれの面にはそれぞれにテーマの与えられた楽曲が20分ほどの長さで収録され、それらの楽曲が全体でひとつの組曲を思わせる構成は、四つの楽章から成る交響曲の形式を強く連想させるものだった。そうした構成もまた、当時のイエス・ファン、そして多くの「プログレッシヴ・ロック」のファンにとって魅力的な要素のひとつには違いなかった。
「海洋地形学の物語」は難解だった。この作品は来日公演中にジョン・アンダーソンが読んだヒンドゥー教の教典にインスパイアされて制作されたものだという。歌詞に描かれた世界観は通常のリスナーにとってひどくわかりにくく、どこか宗教的な香りの漂うものだった。造り出された作品世界は壮大なものだったが、楽曲の構成は複雑で、楽曲の全体像、さらに作品としての「海洋地形学の物語」の全体像をなかなか聞き手の前に明示してはくれなかった。バンドアンサンブルよりメンバーのソロを重視したかのように見える演奏は、時に冗漫さを感じさせ、そこには本来のイエスの魅力であったはずのピンと張りつめた緊張感が感じられないのも事実だった。
そうして「海洋地形学の物語」の評価は二分した。壮大で思索的な叙事詩的イメージで造られた傑作、あるいは大作主義に溺れた冗長な駄作、ファンの間でも評価の分かれる「問題作」となった。発表から四半世紀を経た今、この作品が「ロック・ミュージック史」の中に語られるようになっても、賛否に分かれる評価は変わらない。
「海洋地形学の物語」に否定的な人たちは、まずその第一の理由に、この作品の冗長さを挙げることが多いように思える。20分ほどの演奏時間の楽曲が4曲、全体では80分ほどとなる作品は、やはりどこかに無理があったのか。当時、ジョン・アンダーソンは「80分完結の音楽を造りたかった」と語っているが、その思いがバンドの指向として明確なものになっていなかったのかもしれない。事実、リック・ウェイクマンはこの作品に否定的だ。結果、バンドによって造り出される音楽作品として、80分の演奏時間は必然的なものになり得ず、どこか「水増し」されたような印象を内包するものになってしまったようにも思える。本来、イエスの音楽は張りつめた緊張感の中に凝縮された音世界を現出するものだった。そうしたイエスの音楽を愛する者にとって、「海洋地形学の物語」の冗長さは退屈以外の何ものでもなかっただろう。
そしてまた挑戦的姿勢、先進的姿勢というものが後退し、自らが築き上げてきた音楽の再生産であるかのように感じられるのも事実だった。作品を発表する度に「新しい何か」を提示してくれたイエスだったが今回の作品では何ら未知の領域に踏み込んではいない、そんな落胆にも似た想いが一部のファンにはあったことだろう。そうしたことが「海洋地形学の物語」の評価を低いものにしているのに違いない。
「海洋地形学の物語」が冗長で退屈な凡作であるとするならば、実はそれは当時「プログレッシヴ・ロック」という方法論自体が入り込んでしまった袋小路を示唆していたのではなかったか。1973年から1974年にかけては、「プログレッシヴ・ロック」がその隆盛を極めた時期だったと言ってよく、後に「名作」と評されることになる数々の作品群が発表された時期ではあったが、しかしどことなく出口の見えない閉塞感が漂い始めていた頃でもあった。「海洋地形学の物語」の陥った穴は、今にして思えば「プログレッシヴ・ロック」の来るべき終焉の兆候のひとつであったのかもしれない。
しかし「海洋地形学の物語」はその内包する欠点を超えて、一部のファンの耳を魅了する。この作品を愛するファンにとって、その冗長さは無駄に「水増しされた」ものではなく、聞き手の想像力を喚起するための必然性を持つものになり得た。緻密に凝縮された緊張感は薄れているが、それはまた聞き手にも必要以上の緊張を強いることがないということだった。メンバーのソロパートを多用し、ゆったりと穏やかな流れのように紡ぎ出されてゆく音世界は、その音の隙間に聞き手の自由な解釈を遊ばせることを許した。
「海洋地形学の物語」を愛する者は、その壮大な叙事詩的イメージ、透明感溢れる音の印象、時に牧歌的とも言える穏やかなメロディを愛した。とりとめもなく拡散してゆくような楽曲の印象もまた、そうした音楽を好む者にとってはこの上ない魅力のひとつだった。「海洋地形学の物語」を好む者にとって、この作品の映像的で物語的なイメージは「プログレッシヴ・ロック」の持つ魅力のひとつを具現化したものに他ならなかったと言っていいだろう。
「海洋地形学の物語」は「神の啓示」という邦題の付けられた「The Revealing Science Of God - Dance Of The Dawn」からその幕を開ける。読経を思わせるジョン・アンダーソンの歌声がどこか遙か遠くから聞こえてくるような冒頭部の何と印象的なことだろうか。それは長い物語の序章を思わせる。やがて歌声が次第に明瞭になり、演奏部へと引き継がれてゆくときの壮大な印象がとてもいい。その音の響きは宇宙的な広がりをも感じさせて、聞き手を未だ見ぬ遠い地平の彼方へと誘うのだ。そうして「海洋地形学の物語」の世界へと足を踏み入れた後は、自在に表情を変えながら奏でられてゆく音世界に身を任せて自らの感性を遊ばせればいい。
2曲目の「The Remembering - High The Memory」には「追想」という邦題が付けられている。星降る夜空を想起させるような冒頭部から、穏やかに音が紡ぎ出されてゆく。その印象はまさに「The Remembering」の名に相応しく、記憶の底に沈んだ何かを懐かしむような響きがある。それは個人の記憶を超えて、「種」としての記憶、あるいは単なる「存在」としての記憶であるかのようでもある。
静けさを湛えた「追想」から一転、次の「The Ancient - Giants Under The Sun(古代文明)」は動的なイメージの楽曲だ。冒頭部からいきなり遙かな時を超えた異世界へと放り込まれてしまう。失われてしまった遠い物語を甦らせてくれるかのように、聞き手の眼前には異世界の情景が広がってゆく。アコースティック・ギターをバックに歌われる終盤部分、牧歌的イメージの静けさはまさに「海洋地形学の物語」の「静」の部分の象徴と言っていいだろう。その優しく切ないメロディには不思議な懐かしさを感じる。見知らぬはずの風景に感じる郷愁、忘れ去ってしまった風景への望郷の想い、敢えて言うならそんなものであるかもしれない。しかしそんな儚い想いもふいに断ち切られ、夢が覚めるように拡散し、消えてゆく。
「海洋地形学の物語」の最終曲、「Ritual - Nous Sommes Du Soleil」には「儀式」という日本語タイトルが与えられた。冒頭部分から聞き手の視界を広く深く導いてくれるような壮大な印象の楽曲で、この作品中で最も魅力的な楽曲だと言っていい。「物語」のクライマックスである。楽曲の終盤、壮大に広がるイメージがふいに閉ざされて焦燥がもたらされ、やがてそれも失せて静けさが訪れる。その瞬間のなんと美しいことか。歌われる歌詞中の「Going Home」という言葉の何と印象的であることか。こうして80分の「物語」に遊んだ聞き手のイメージは帰路を辿るのだ。
パッケージを飾るロジャー・ディーンのイラストも「海洋地形学の物語」を楽しむ上で欠かせない要素のひとつだ。現実には存在しない、誰も見たことのない風景を描いたその絵画は、幻想的、神秘的魅力に溢れた素晴らしいもので、イエスの音楽が喚起するイメージと見事に呼応する。この作品の制作に当たってはイエスのメンバーのアイデアも取り入れられているのだという。CDのジャケットではサイズが小さく物足りないのが残念だが、「海洋地形学の物語」の作品世界へ誘ってくれる重要なものだと言えるだろう。
「海洋地形学の物語」はイエスの数々の作品の中でも「異色」のものだと言えるのかもしれない。この作品を愛する立場の者でさえ、この作品をイエスの「代表作」とすることには躊躇いがあるだろう。イエスの音楽をこれから知ろうとする者に薦めるべき作品として、「海洋地形学の物語」を挙げることはおそらく妥当ではない。しかしこの作品が当時のイエスでなければ造り得なかった作品であることもまた事実だろう。イエスの造り出す音楽としての要素に満たされながら、作品としては本来のイエスの音楽とは異なる方向へ結実してしまった。そのことがこの作品への対峙を難しくしているのかもしれない。
「海洋地形学の物語」は確かに冗長な作品であるかもしれない。先進性の薄れた再生産的音楽であるかもしれない。しかし、それらの欠点もこの作品を通して聞き手が得るであろう想像力の喚起を否定し貶めるものではない。さまざまに表情を変えながら奏でられる音楽はまとまりに欠け、とりとめもなく繋ぎ合わされているだけかもしれない。しかしそれでも、それであればなおのこと、聞き手は提示された音楽の向こうに自由に自らの心象風景を描く楽しみを得るのだ。
80分にもおよぶ「海洋地形学の物語」は確かに長い。その音楽は焦点を結ぶことなく流れ去ってゆく。その全体像に何らかの意味を見いだそうとすることや、解釈しようとすることは無意味なことであるかもしれない。聞き手はただその流れに身を任せて、例えば絶えず形を変える雲を眺めるように、ひとときも静止することのない水の流れを見つめるように、眼前に現れては消えてゆくイメージを楽しんでいればいいのだ。
「海洋地形学の物語」はその幻想性、神秘性、映像性、物語性が魅力の音楽だ。時としてそれは人々の心の奥底に潜む神秘なるものへの憧れを呼び覚ます。感性の扉を開け放ち、この音楽が呼び起こす自らの内なるイメージに導かれる時、星々の煌めく宇宙の果て、遙かな時を超えた異境の地にも降り立つことができるだろう。それは伝承として語られる神話の世界に心を遊ばせる愉しみにも、失われてしまった太古の都市の人々に思いめぐらす時の愉しみにも、あるいは異世界を舞台にしたファンタジーを読む愉しみにも似ている。「海洋地形学の物語」の中にそうした魅力を見いだし、自分だけの伝説の物語を見いだした時、この作品は何ものにも代え難い傑作となることだろう。
This text is written in August, 2001
by Kaoru Sawahara.
by Kaoru Sawahara.