幻想音楽夜話
Hope / 遊佐未森
1.Forest Notes
2.雨あがりの観覧車
3.いつの日も
4.雪溶けの前に
5.Holiday Of Planet Earth
6.夢をみた
7.午前10時午後3時
8.君のてのひらから
9.夏草の線路
10.Echo Of Hope
11.野の花

Produced by 外間隆史・福岡知彦
Sound produced by 外間隆史・中原信雄
All songs arranged by 外間隆史 & 中原信雄 except "Echo Of Hope" arranged by 外間隆史、Philip Judd & 中原信雄
All background vocals arranged by 遊佐未森 & 外間隆史
1990 CBS/Sony Group Inc.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 「夏草の線路」が発表されたのは1990年3月のことだった。もうそんなに経つのかという気がする。その「夏草の線路」を含む、遊佐未森の4作目になるニュー・アルバムが発売されたのは同年9月、実に待ち遠しい半年間だった。「暮れてゆく空は」で遊佐未森を知り、「ハルモニオデオン」ですっかりその世界に引き込まれ、その次作を期待して待ったものだった。ニュー・アルバムのタイトルは「HOPE」というものだった。前3作のタイトルと比べるとずいぶんとシンプルなタイトルだと思ったものだが、その内容は決して期待を裏切るようなものではなかった。素晴らしい作品だった。

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 「HOPE」もまたプロデュースと作曲に外間隆史が名を連ね、収録された楽曲の作詞には工藤順子の名があった。デビューからこの時期までの遊佐未森にとって、その音楽世界が造り上げられる上で外間隆史の果たした役割の大きさについては言うまでもないことだろう。そしてまた工藤順子の詞世界の意味の大きさについても同様だろう。この頃の遊佐未森の音楽世界は、遊佐未森と外間隆史、工藤順子の三人によって造り上げられていたと言っても、あながち言い過ぎではあるまい。もちろんすべての楽曲が工藤順子の作詞、外間隆史の作曲、遊佐未森の歌唱という布陣で造られているわけではないが、その三人によって造られる音楽世界にこそ、この時期の遊佐未森の音楽世界の重要な基盤があった。

 「HOPE」に於いては「ハルモニオデオン」と比べれば工藤順子作詞、外間隆史作曲という楽曲が少なくなってはいるが、やはりその音楽世界の基盤は「ハルモニオデオン」と同じところにあった。敢えて言うなら、その延長上に位置しながらやや発展させたところに「HOPE」の立脚点はあった気がする。だから「ハルモニオデオン」を愛するファンにとっては「HOPE」もまた同様に愛すべき作品になっただろうし、「夏草の線路」は「暮れてゆく空は」と同様にこの時期の遊佐未森を代表する楽曲として愛されることになっただろう。自分もまたそうだからだ。

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 何しろ冒頭の「Forest Notes」から完全に「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」の世界だ。リリカルな音色のピアノが印象的に聞こえてきた瞬間から、一気にその音楽世界に連れ去られてしまう。遊佐未森の澄んだ歌声によって工藤順子の描く詞世界が歌われると、その歌詞に描かれるように、聴き手のイメージはまさに解き放たれた風のように緑の丘を越えて舞い上がってゆく。飛翔感、というのとは少し違う。自分自身が風になって草をそよがせ木々の梢を抜けてゆく感じ、とでも言えばいいだろうか。そんな独特の浮遊感がある。そのような感覚の中に、郷愁に満ちた安らかな風景を見せてくれる。

 そして「Forest Notes」の音世界を引き継ぐように「雨上がりの観覧車」だ。これも「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」の世界そのものだ。ゆったりとしたリズムに揺られるような感覚の中、懐かしく切ない記憶のような心象風景が広がってゆく。すでに手の届かない、遠い夏の日の風景を甦らせてくれるような、そんな切なさがある。少しずつ遠ざかってゆくようなエンディングも素晴らしい。

 「いつの日も」は井上妙の作詞、作曲は遊佐未森自身による。ここから「HOPE」は「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」の世界から少し離れる印象もあるが、その音楽世界は同じ感性の下にあり、決して違和感はない。まるで妖精が遊んでいるような印象の、自在に飛び回るメロディと遊佐未森の歌声が魅力的だ。

 「雪溶けの前に」は作詞は工藤順子だが、作曲を担当するのは外間隆史と共にサウンド・プロデュースに名を連ねる中原信雄だ。外間隆史のメロディとは印象が異なるが、その音楽世界には共通するものがある。安定感のあるリズムにシンセサイザーの被さるイントロのサウンドが高揚感を誘って印象的だ。少しばかり哀しげな印象の中に決然としたものを感じさせる曲想から徐々に晴れ渡ってゆくようなイメージの展開もいい。

 「Holiday Of Planet Earth」は「外間隆史&中原信雄&遊佐未森」の作曲と記されている。曲中には遊佐未森の歌声も聞かれるが歌詞は記されていない。少しばかり沖縄音階を彷彿とさせるメロディも聴かれる楽曲で、なかなかおもしろく、アルバムの音楽世界を広げている印象がある。メルヘンの世界をイメージさせるようなエンディングも楽しい。

 「夢を見た」は井上妙による作詞だが、その詞世界は工藤順子の詞世界と共通するものがあり、作曲が外間隆史ということもあって、「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」による世界と同じ色彩を帯びていると言えるだろう。これもゆったりとしたリズムに外間隆史らしいメロディののった佳曲で、何かを急ぐようなイメージを与える曲想が印象的だ。

 「午前10時午後3時」は工藤順子の作詞だが、今度は作曲を遊佐未森自身が担当している。それでもやはり「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」による世界と共通するイメージに彩られている。遊佐未森自身によるメロディは無邪気に飛び回るような印象があって、彼女の澄んだ歌声によく似合っている。少し「速い」曲想も印象的だ。

 「君の手のひらから」は遊佐未森自身の作詞作曲で、それまでとは一転してスローでアコースティックな印象の楽曲だ。柔らかなイメージの夢想的な楽曲で、このアルバム中では少しばかり異なる位置にあるが、この楽曲によってアルバム全体の音楽世界が一気に広がっている印象がある。楽曲そのものもとても味わい深い佳曲だ。エンディングで奏でられるフルートのメロディも印象に残る。

 そして「夏草の線路」だ。「君のてのひらから」が終わって「夏草の線路」のイントロが聞こえ始める瞬間がたまらない。「君の手のひらから」が夢想的な箱庭のような世界であったとするなら、そこから一気に飛び出した感じがある。「夏草の線路」は、「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」による音楽世界のひとつの典型と言っていい。叙情的でありつつパワー感のあるサウンド、ゆったりとして浮遊しながら滑るようなリズム、繊細で情感溢れる詞世界とそれに呼応するメロディ、そして遊佐未森の歌唱と歌声の魅力、それらが一体となってひとつの音楽世界を造り上げる様は見事だ。その切なく郷愁に満ちた世界は唯一無二のものであるだろう。「夏草の線路」は「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」による名曲のひとつというだけでなく、日本ポップ/ロックの生んだ名曲のひとつに数えてもいいのではないか。

 それにしても、工藤順子の描く詞世界の何と素晴らしいことだろうか。使われる言葉のひとつひとつは何気ない日常的なものであるのに、彼女の手によって紡ぎあげられた瞬間に特別な意味を持った言葉に生まれ変わって輝き、繊細な情感に満ちた世界を織り上げてゆくのだ。工藤順子の作品のすべてを知っているわけではないが、「夏草の線路」はその中でも屈指のものなのではないかという気がする。

 「Echo Of Hope」は外間隆史とPhilip Judoによる作詞、Philip Judoによる作曲とある。曲名中に「Hope」という言葉あることを考えれば、このアルバムのタイトル・ソングと考えることもできるだろう。Philip Judoについては詳細を知らないのだが、このアルバム中の6曲でギターを演奏するミュージシャンで、「Special thanks to」としてその名が記されているところを見ると、このアルバム制作に於いて重要な役割を果たしているのだろう。少々幻惑的な特徴のあるメロディが印象に残るが、基本的にはこの時期の遊佐未森の音楽世界そのもので、ゆったりとして波間にたゆたうような感覚に満ちている。

 最後の「野の花」は締めくくりに相応しく、工藤順子の作詞、外間隆史の作曲による。アルバム発売直前に「夏草の線路」に続くシングルとして発表された楽曲でもある。しっとりとしたスローな楽曲で、ドラマティックな演奏が深い余韻を残してくれる。アルバム作品の最後を飾るのに相応しい楽曲だと言えるだろう。

 こうして聴き通してみると、アルバム全体の構成がとても素晴らしいことに改めて気付く。導入部としての「Forest Notes」、それを引き継ぐ形の「雨あがりの観覧車」によって遊佐未森の音楽世界へ一気に引き込まれ、そこからときおり異なる印象を交えながら「HOPE」の音楽世界が繰り広げられてゆく。「君のてのひらから」ではふと立ち止まり、そして「夏草の線路」から「Echo Of Hope」へと続くクライマックスへと至る。最後はしっとりとした「野の花」で余韻を残しつつ、幕を閉じる。なかなか見事な構成だという気がする。個人的には冒頭の「Forest Notes」のイントロ部、そして「雨あがりの観覧車」へと続くあたり、「君のてのひらから」から「夏草の線路」へと続くところなどがとても好きだ。

 収録された楽曲はどれも比較的長い。ほとんどの楽曲が5分前後の演奏時間で、「雨あがりの観覧車」などは6分半ほどもある。4分未満の曲は「Holiday Of Planet Earth」のみだ。トータルでは1時間近くにもなるのだが、それを感じさせない。それぞれの楽曲も長さを感じさせず、飽きさせない。聴き終わっても、もっと長くその音楽世界に浸っていたいと思わせてくれる。このアルバムが発表された当時、CDプレイヤーをリピート再生にして、何度も何度も繰り返し聴いたものだった。

 遊佐未森の歌唱を支える演奏は、基本的には叙情的で繊細なロック・サウンドであり、聴けば聴くほどその緻密さに驚かされる。少し幻想的な味わいも兼ねた音像やケルティック・ミュージックの影響を感じさせるあたり、遊佐未森の歌唱がときおりケイト・ブッシュを彷彿とさせるところなどは、前作同様に「プログレッシヴ・ロック」を愛するファンの耳にも応えてくれるだろう。

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 「遊佐未森と外間隆史と工藤順子」による音楽世界のひとつの完成形が「ハルモニオデオン」であったとすれば、この「HOPE」はそこからのさらなる進化を目指したものだっただろう。「ハルモニオデオン」よりさらに成熟し、新たな地平へと踏み込もうとする世界がここにはある。「ハルモニオデオン」は幻想的な色彩を帯びた童話的世界だったが、「HOPE」はそこから脱却して明らかに現実の光の下にある。

 その音楽世界は透明感に満ちていて、波間に揺れるような浮遊感があり、ほんの少し夢想的で、過ぎた日の記憶のように切ない郷愁に満ちている。特に「雨あがりの観覧車」や「夢を見た」、「夏草の線路」などは、そうした情感が凝縮された「名曲」と言って差し支えあるまい。そんな遊佐未森の音楽世界を愛する人にとって、この作品は今もその輝きをまったく失っていないだろう。個人的にも、このアルバムは発表から十年以上を経た今になっても、愛聴盤であり続けている。