幻想音楽夜話
頭脳警察1
1.イントロダクション〜世界革命戦争宣言
2.赤軍兵士の詩
3.銃をとれ(Part 1)
4.さようなら世界夫人よ
5.暗闇の人生
6.彼女は革命家
7.戦争しか知らない子供たち
8.お前が望むなら
9.言い訳なんか要らねえよ
10.銃をとれ(Part 2)

1972
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代初期、日本ロック・シーンに「頭脳警察」というバンドがあった。いや、「バンド」というのは間違いであるかもしれない。実際にはギターを弾きながら歌うパンタとパーカッションを担当するトシのふたりによるグループで、その決して長いとは言えない歴史の中では、パンタひとりだけという時期もあり、他のメンバーを加えて「バンド」として活動していた時期もあった。そうした意味では「頭脳警察」はパンタによる、ある種の「プロジェクト」と考えた方が妥当であるのかもしれない。

 当時の日本ロック・シーンで、おそらく頭脳警察ほど「伝説化」されたグループは他にあるまい。その活動中から、レコード・デビュー以前から、頭脳警察はすでに「伝説」であったといってもいい。頭脳警察は1969年の暮れにパンタとトシのふたりによって結成され、翌年にライヴ・デビューを行っている。やがて1971年頃から頭脳警察は日本赤軍の檄文を使用した楽曲「世界革命戦争宣言」やブレヒトの詩の翻案に曲を付けた「赤軍兵士の詩」などを演奏するようになり、政治集会でのコンサートなどにも出演するようになった。この頃から頭脳警察は反権力的、反体制的なイメージで捉えられるようになり、日本で最もラディカルで「危険な」バンドとして、そのイメージだけが先行して独り歩きしてゆくのである。

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 頭脳警察の、このファースト・アルバムは1972年初頭のライヴ音源を収録して、その春に発表されるはずだった。しかし発売されることはなかった。収録された楽曲の歌詞に歌われる過激な内容が問題となり、発売中止となってしまったのだった。頭脳警察は急遽スタジオ録音のセカンド・アルバムを制作、発表するが、これもいわゆる「レコ倫」の規定に抵触、発売後間もなく発売禁止処分となり、市場に出たものも回収騒ぎになった。

 こうして「レコードさえ発表されることのない過激なバンド」として、頭脳警察はますます伝説の中に語られるようになる。彼らのステージを体験する機会のなかった音楽ファン、そしてまた音楽にあまり興味のなかった人々の一部までもが、「過激で」「危険な」グループとして「頭脳警察」の名だけは知っているという状況さえあった。フランク・ザッパの作品のタイトルから取られたというその名も、そうしたイメージを増幅させる語感を伴っていたと言えるだろう。その実像を知る機会も少なく、断片的にもたらされるさまざまなエピソードによって、伝説はさらに伝説となっていったのかもしれなかった。

 ついに日の目を見ることなく「幻」となった頭脳警察のファースト・アルバムは、1975年、頭脳警察の解散に併せるかのように600枚が自主制作され、通信販売という形で販売されたが、市場に出回った実質数はさらに少なく、その「幻のファースト・アルバム」は以後中古レコード市場で一枚のLPレコードとしては破格の高値で取引されるようになる。そのファースト・アルバムがようやくCDとして復刻、発売されるのは、あれから二十年以上の時を隔てた2001年のことだった。

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 冒頭に収録された「世界革命戦争宣言」と「赤軍兵士の詩」、そして「銃をとれ」は、当時「革命三部作」と呼ばれた。赤軍派の檄文を歌詞に使用した「世界革命戦争宣言」は、すでに「歌」ではない。パーカッションとギターの演奏をバックにパンタはその檄文の内容を叫ぶ。それはすでに「ロック・バンドのパフォーマンス」ではなく、政治思想に基づくアジテーションそのものとして聞こえてもしかたのないことだったろう。

 後にパンタは当時を振り返って「自分自身は特に政治的思想を持っていたわけではなかった」という旨のことを語っているが、聴衆には違って聞こえたに違いなかった。頭脳警察は反権力的・反体制的政治思想を持つ「危険な」グループとして認知され、時に排除され、時に熱狂的な支持を受けてゆく。しかしそうした一般的イメージは以後の頭脳警察自身を苦しめ、追い詰めてゆくことになってしまう。

 たとえ赤軍の檄文をステージで叫ぼうとも、「銃をとれ」と歌おうとも、頭脳警察はロックのパフォーマンスを通じてその政治的思想を訴えようとしたのではない。ロック・ミュージシャンとしての自らの「表現」のひとつとして、単にそうした題材を選んだだけだったのだ。おそらくパンタは「世界革命戦争宣言」の檄文の中に潜む本質的で普遍的な「意味」を歌いたかったのではないか。政治的扇動としての表層の意味を超えて、そのメッセージが持つ「意味」を歌いたかったのに違いない。しかし、当時の時代背景の中で、それはうまく聴衆に届くことはなかった。頭脳警察のパフォーマンスはある意味で誤解され、曲解され、その表層的な過激なイメージだけが独り歩きしてゆくことになってしまうのだ。

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 頭脳警察の「過激」で「危険」なイメージは、その楽曲に於ける政治的思想の意味合いだけではない。「お前が望むなら」や「言い訳なんか要らねえよ」といった楽曲は屈折したラヴ・ソングとでも言えるものだが、その中に唄われるあまりにもあからさまな性愛表現は「過激な」という形容を与えられてもしかたのないものだろう。そうした楽曲は頭脳警察の後の作品中にも収録されているが、さすがに正式に「発売」されたアルバム中では特定の単語を他の言葉に置き換えるなどの「工夫」が施されている。しかしこのファースト・アルバムではそうした「工夫」はない。当時も現在もおそらく「放送」のメディアに乗ることのない言葉を含んだ歌詞は、そのままに歌われる。

 パンタによるそうした「表現」は、もちろん過激であることを「演出」したり、それによって注目を得ようとする目的のものではない。しかし、それもまた当時の頭脳警察を取り巻く状況の中で、その「過激」なイメージを助長するものであったことは確かだろう。

 その表現は現在でもなお、いや現在ではなおのこと、一般の人々の眉を顰めさせるには充分なものだろう。人によってはそれらの楽曲は「卑猥な」ものとして解釈されることだろう。おそらくほとんどの女性にとって、それらの楽曲は嫌悪すべきイメージのものであるだろう。

 しかしそうした楽曲には決して、卑猥な言葉を投げかけて相手の反応を面白がるような姿勢はない。その表現姿勢はあくまで真摯なものだ。ただその「視点」が一般的な社会通念上の道徳観をなかば無視しているだけのことで、選ばれる言葉があまりに直接的であるだけのことだ。「差し障りのない」言葉を連ねるだけでは自らの「表現」を正しく行うことはできないと考え、遠回しな表現でごまかすことを潔しとせず、誤解を恐れずに行われた「表現」であるだけのことなのだ。

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 このファースト・アルバムに収録された頭脳警察のパフォーマンスは、パンタの歌とギター、トシのパーカッションのみによって行われている。しかもパンタの奏でるギターはアコースティック・ギターで、「演奏」という観点から見れば、いわゆる「ロック・バンド」の演奏とは思えないものだ。しかし、ここに収録されたパフォーマンスは紛れもなく、日本ロック・シーンの黎明期に於ける最も重要な「ロック」のひとつだ。そのパフォーマンスは「ロック」というものがバンド構成や演奏の形式といった表層的なものに全く依存しないことを見事に物語っている。

 パンタの歌声そのものが「ロック」であり、パンタと頭脳警察の表現姿勢そのものが「ロック」だ。「ロック」というものがどのような音楽であるのかという点では、人それぞれに解釈が異なるかもしれない。しかし、敢えて言うが、このアルバムに封じ込められた頭脳警察のパフォーマンスこそは、「ロック」である。

 パンタは決して「うまい」シンガーではない。技術的な観点からの「歌唱」という点で言えば、パンタは「シンガー」としては決して巧みな人ではない。しかし、その歌声は圧倒的な迫力と表現力に満ちている。「ハード・ロック」や「ヘヴィ・メタル」で一般化する、いわゆる「シャウト」などは、パンタの歌唱には見られない。情感豊かにバラードを歌い上げることもない。敢えて言うなら素人のフォーク・シンガーのように、その歌唱はたどたどしく不器用であるとさえ言える。しかしその歌声は強烈な存在感を放って聴き手に迫る。その声は何か強烈なオーラを纏っているかのように、聴き手をその世界に引きずり込んでしまうのだ。そうした歌唱を行うことのできるシンガーはなかなかいるものではない。天賦の才である。

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 当時の日本の音楽シーンに於ける頭脳警察の捉えられ方と、発売中止になってしまった「幻」のファースト・アルバムの「意味」は、おそらく当時の日本の時代背景に対する理解なくしては正しく認識できるものではない。音楽は常に「時代」を投影するが、この頭脳警察のファースト・アルバムもまた当時の「時代の空気」を濃密に内包しているのは事実だ。しかし、すでにあれから三十年ほどが経ち、安保も学生運動も歴史の中に風化してしまった観さえある。

 当時を知る人たち、当時を知らない若い人たち、頭脳警察の当時のステージを経験した人たち、「伝説の」バンドとしてその名だけを知る人たち、「幻の」ファースト・アルバムのLPを運良く入手できた人たち、復刻されたCDによって初めてファースト・アルバムを聴いた人たち、それらの人たちのそれぞれに、この頭脳警察のファースト・アルバムはどのように響くのか。懐かしい想いの中で聴く人もあるかもしれない。初めて聴くその内容に衝撃を覚える人もあるかもしれない。あるいはまた陳腐なものと感じる人もあるかもしれない。

 確かに頭脳警察は「過激で」「危険な」グループであったかもしれない。しかし、それは反体制的な政治思想を歌い、直截な性愛表現を歌ったからといった表層的な理由に依るのではない。頭脳警察のそれらの表現姿勢は、いわゆる「良識」や「モラル」や「道徳観」といった一般的な社会通念の常識を無視し、それらを超え、それらに挑戦するところから始まっている。政治思想的スタンスや過激な性愛表現はその手段であり、決して目的ではない。そこに込められたメッセージは、「良識的人々」が事勿れ主義的に言葉を濁して解り合ったふりで協調しあうことの欺瞞を暴き、裏に隠された真実を見よと迫る。頭脳警察のあまりに直接的で激しい表現姿勢は、そうした意味で普遍的な過激さを内包している。「世界革命戦争宣言」の檄文が歴史の中に風化しようとも、その中に当時のパンタが見たものはそのまま彼の「歌声」となって今も残り、表層的な意味を超えて本質的な意味を持ち得ている。

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 音楽が人の「生き方」や「考え方」に大きな影響を与えることがある。聴き手が多感な年頃の若い人々であればなおさらだ。そうした若い人たち、少年期から大人へと変わろうとする時期の、世の中のすべてに不満を感じながら移ろいやすく傷つきやすい自分自身を持て余しながら日々を送る若い世代の人たちに、頭脳警察のこのファースト・アルバムはどのように聞こえるだろうか。古くさく陳腐な音楽として聞こえるのならばそれでもいい。しかしその本質的な意味が理解されることなく、表層的な過激さだけがそうした人たちに衝撃を与え、影響を与えるとすれば、それは時に本当に危険なことであるかもしれないと思うことがある。頭脳警察は時代を超えて今もなお「過激で」「危険で」あるかもしれない。

 もしあなたが、十代で、親を疎ましく思いながら不満の鬱積した退屈な毎日を過ごしていて、日本ロック・シーンに「伝説」として残る頭脳警察のファースト・アルバムを聴いてみようと思っているのならば、ひとつだけ助言がある。心して聴け、と。