多摩市南野
一本杉公園
Visited in April 2005

多摩ニュータウンは昔は雑木林の広がる多摩丘陵だったが、この一本杉公園の位置する多摩市南野あたりはその尾根にあたり、南に隣接する町田市小野路町には今でも自然がよく残っている。公園の案内板によれば、「南野」は町田市の小野路町と下小山田町の一部が昭和48年に町田市から編入されたもので、多摩市の南部に位置することと、小野路の「野」からの命名であるという。
小野路という名はかつて武蔵国府のあった小野郷へ至る道が通っていたことに由来するのだそうだが、その道は小野郷と鎌倉とを繋ぐ、いわゆる鎌倉道で、現在の南野のあたりを抜けていたらしい。この鎌倉街道の古道はすっかり歴史の中に埋もれてしまった観もあるが、小野路やこの一本杉公園の雑木林の中に今でもその名残を見つけることができるのだという。
鎌倉道がその役割を十分に果たしていた頃、小野路は宿場として大いに賑わったのらしいが、現在の南野の辺りは当時の村境に近く、街道沿いに大きな一本杉があったのだそうだ。それがこの公園の名の由来にもなっているが、現在はその一本杉は無い。狐に化かされた人の話や悪戯や難問を出して人を困らせる天狗の話など、一本杉にまつわるさまざまな言い伝えや物語もあるらしい。
小野路という名はかつて武蔵国府のあった小野郷へ至る道が通っていたことに由来するのだそうだが、その道は小野郷と鎌倉とを繋ぐ、いわゆる鎌倉道で、現在の南野のあたりを抜けていたらしい。この鎌倉街道の古道はすっかり歴史の中に埋もれてしまった観もあるが、小野路やこの一本杉公園の雑木林の中に今でもその名残を見つけることができるのだという。
鎌倉道がその役割を十分に果たしていた頃、小野路は宿場として大いに賑わったのらしいが、現在の南野の辺りは当時の村境に近く、街道沿いに大きな一本杉があったのだそうだ。それがこの公園の名の由来にもなっているが、現在はその一本杉は無い。狐に化かされた人の話や悪戯や難問を出して人を困らせる天狗の話など、一本杉にまつわるさまざまな言い伝えや物語もあるらしい。




「流れ」の奧は小高くなって、その頂上部分には四阿も置かれているが、木々に囲まれて周囲への眺望も望めず、普段はあまり人の姿もない。「流れ」の横を抜けてさらに南へ進むと、一本杉公園通りという道路をトンネルでくぐって公園の南側へと至る。南側は北側の球場周辺とは趣が異なり、自然もよく残されていてかつての多摩丘陵の面影を見ることができる。
球場の管理事務所脇から「流れ」の横を抜け、一本杉通りをトンネルでくぐってまっすぐに降りて行くと、雛壇上になった梅林に出る。周囲を木々に囲まれ、昔ながらの里山の風情を楽しむことができる。その雛壇の中ほどに炭焼き小屋がある。これは「多摩ニュータウン三十周年の記念になるものを」とのことで、都市基盤整備公団と市民とが一緒になって作ったものだ。公園の樹木や街路樹の剪定で出てくる枝を使用して、地元有志のグループによって炭焼きが行われているという。

炭焼き小屋のある一角の北側に登ると、古民家のある一角に出る。多摩市内にあった二棟の古民家を移設したものだ。ひとつは多摩市乞田にあった旧有山家住宅、ひとつは多摩市落合にあった旧加藤家住宅、どちらも農家で、18世紀頃の建物であるそうだ。それぞれ本来の持ち主より寄贈され、保管していたものを公園内に移築復元したものという。
旧有山家住宅は多摩市の有形文化財にも指定されており、茅葺屋根だったものを茅葺形銅板葺屋根とした他は可能な限り原型に忠実に復元されているという。旧加藤家住宅は園内のちょっと小高くなった場所に移築され、こちらは一部変更されての復元であるらしい。旧加藤家住宅は市民の活動の場としても利用できるように整備され、茶道・華道などの催しなどに使用できるように考えられているとのことだ。
それぞれの古民家を覗いてみると、建物の内部には土間や囲炉裏、かまどといったかつての日本の農家の佇まいが復元されており、当時の人々の生活が偲ばれて興味深い。こうした生活様式はほんの数十年前まで日本の農家として一般的なものだったはずだが、いつの間にかこうして公園の中に保存されたものでしか目にしないような時代になってしまったのかと思う。旧加藤家の方はかまども使用することができるとのことで、催しの際に時折使われることもあるらしい。薪を燃やすために屋内の梁が煤けていて、単なる展示物とは違った「生きた」保存という意味でも興味深い。



こうしたものはあまり人の興味を引かないのか、見学の人の姿を見ることは少ないのだが、一般利用にも解放された旧加藤家住宅の縁側に腰を下ろしてのんびりと鳥の声に耳を傾けるのも一興かもしれない。敷地の隅には鶏小屋があり、数羽の鶏が飼われている。以前、旧加藤家の西側の縁側の床下にアリジゴクを見つけたこともあった。旧加藤家住宅の前には梅の木が植えられており、早春の散策などは特にお勧めと言っていいだろう。訪れたのは四月の下旬、旧有山家住宅の傍らには八重桜が咲き、旧加藤家住宅の横には鯉のぼりが揚げられていた。旧加藤家住宅には管理される方が常駐されているようで、訪問者の案内や古民家の管理に携わっておられるようだ。

旧有山家住宅は多摩市の有形文化財にも指定されており、茅葺屋根だったものを茅葺形銅板葺屋根とした他は可能な限り原型に忠実に復元されているという。旧加藤家住宅は園内のちょっと小高くなった場所に移築され、こちらは一部変更されての復元であるらしい。旧加藤家住宅は市民の活動の場としても利用できるように整備され、茶道・華道などの催しなどに使用できるように考えられているとのことだ。
それぞれの古民家を覗いてみると、建物の内部には土間や囲炉裏、かまどといったかつての日本の農家の佇まいが復元されており、当時の人々の生活が偲ばれて興味深い。こうした生活様式はほんの数十年前まで日本の農家として一般的なものだったはずだが、いつの間にかこうして公園の中に保存されたものでしか目にしないような時代になってしまったのかと思う。旧加藤家の方はかまども使用することができるとのことで、催しの際に時折使われることもあるらしい。薪を燃やすために屋内の梁が煤けていて、単なる展示物とは違った「生きた」保存という意味でも興味深い。




こうしたものはあまり人の興味を引かないのか、見学の人の姿を見ることは少ないのだが、一般利用にも解放された旧加藤家住宅の縁側に腰を下ろしてのんびりと鳥の声に耳を傾けるのも一興かもしれない。敷地の隅には鶏小屋があり、数羽の鶏が飼われている。以前、旧加藤家の西側の縁側の床下にアリジゴクを見つけたこともあった。旧加藤家住宅の前には梅の木が植えられており、早春の散策などは特にお勧めと言っていいだろう。訪れたのは四月の下旬、旧有山家住宅の傍らには八重桜が咲き、旧加藤家住宅の横には鯉のぼりが揚げられていた。旧加藤家住宅には管理される方が常駐されているようで、訪問者の案内や古民家の管理に携わっておられるようだ。
二棟の古民家の間を抜けて奧へ進むと、池を配した広場に出る。古民家側から見ると、中央を散策路が抜け、その左に緩やかな草はらの斜面があり、右手には池が横たわっている。池は周囲を散策路が巡り、一部は木道となって池を渡っている。池の背後は雑木林の丘で、それほど規模の大きなものではないが、ひととき木立の中の散策を楽しむのも悪くない。広場の中央を抜ける散策路は、そのまま延びて恵泉女学園を右手に見ながら一本杉公園通りへと抜け出て、公園のエントランスのひとつとなっている。
広場は木立に囲まれて穏やかで静かな空気に包まれており、のんびりと時を過ごすのによい場所だ。近くの幼稚園か保育園か、先生に引率された子どもたちが散歩に来ているのを見ることもあるし、散策の途中なのか木陰のベンチに腰を下ろして休憩する人の姿を見ることも少なくない。陽気の良い季節の休日などにはシートを広げてランチタイムを楽しむ家族連れで賑わっている。池の周囲にはさまざまな樹木が植えられ、四季折々の表情が美しい。訪れたのは四月の下旬だったから輝くようなケヤキの新緑が目に眩しく、また広場の隅ではそれほどの大木ではないがシダレザクラが咲いていた。鮮やかな緑に満ちた広場にシダレザクラの薄紅色がアクセントになってたいへんに美しい。

広場は木立に囲まれて穏やかで静かな空気に包まれており、のんびりと時を過ごすのによい場所だ。近くの幼稚園か保育園か、先生に引率された子どもたちが散歩に来ているのを見ることもあるし、散策の途中なのか木陰のベンチに腰を下ろして休憩する人の姿を見ることも少なくない。陽気の良い季節の休日などにはシートを広げてランチタイムを楽しむ家族連れで賑わっている。池の周囲にはさまざまな樹木が植えられ、四季折々の表情が美しい。訪れたのは四月の下旬だったから輝くようなケヤキの新緑が目に眩しく、また広場の隅ではそれほどの大木ではないがシダレザクラが咲いていた。鮮やかな緑に満ちた広場にシダレザクラの薄紅色がアクセントになってたいへんに美しい。



バスなら「尾根幹線」の「南野高校前」バス停が近い。一本杉公園通り沿いに駐車場も用意されており、駐車スペースも余裕があるので普段なら車でのアクセスにも困ることは少ないだろう。公園内に売店などはないが、駐車場脇にドリンクの自動販売機が設置してあり、また一本杉公園通り沿いの恵泉女学園前にコンビニエンスストアもあるので利用してもよいだろう。
