福島県会津若松市の中心「大町四つ角」から西へ、七日町通りという通りが延びている。通り沿いには明治から昭和初期にかけて建てられた商家が残り、観光客の人気を集める。九月の半ば、七日町通り周辺を訪ねた。
神明通り商店街
神明通り商店街
福島県会津若松市の市街地を南北に貫いて国道118号が抜けている。この国道118号が今の会津若松のメインストリートで、会津若松郵便局やみずほ銀行会津支店、東邦銀行会津支店などが建つ交差点が、その中心と言っていい。この交差点から北側の国道118号を中央通りと呼び、南側は歩道にアーケードを設けた「神明通り商店街」だ。神明通りのアーケード商店街が完成したのは1958年(昭和33年)のことで、以後、会津若松の商業の中心として発展していく。
追記 「神明通り商店街」のアーケードは老朽化や震災の影響のため、2014年(平成26年)にいったん撤去されたが、再設置を望む声も多く、新しいアーケードが設置されている。新しいアーケードは2018年(平成30年)3月に完成、4月15日に完成セレモニーが行われた。本頁に掲載している写真のアーケードは2014年(平成26年)に撤去される直前の、旧アーケードである。
大町四ツ角
大町四ツ角
大町四ツ角周辺
神明通り商店街
この交差点から東へ県道325号が、西へは国道252号が延びる。交差点から西へ国道252号を100mほど進むと、大町通りと呼ばれる通りとの交差点だ。国道252号は大町通りとの交差点でクランク状に折れ曲がってさらに西へ延びる。すなわち大町通りを境に、東側の国道252号と西側の国道252号が南北に10mほどずれているのだ。この、国道252号がわずかにずれて大町通りと交差する交差点が「大町四ツ角」、本来、この「大町四ツ角」が会津若松の町の中心である。藩政時代には諸法度などを記した高札を掲げる制札場が設けられており、「札の辻」とも呼ばれていたという。

「大町四ツ角」は白河街道、下野街道、二本松街道、越後街道、米沢街道の五街道、いわゆる会津五街道の起点である。白河街道はここから南東へと延び、白河(現在の福島県白河市)とを繋いでいた。下野街道は下野の今市(現在の栃木県日光市今市)までを結び、日光街道とも、関東側では会津西街道とも呼ばれる。二本松街道は東へ延びて二本松(現在の福島県二本松市)とを繋ぐ。越後街道は会津街道とも呼ばれ、西へ延びて越後の新発田(現在の新潟県新発田市)とを繋いだ。米沢街道は北へ延びて出羽の米沢(現在の山形県米沢市)とを繋いでいた。まさに交通の要衝だった。「大町四ツ角」の北東側の角には1874年(明治7年)に建てられたという石造りの道路元標が今も建っている。

現在の「大町四ツ角」は、現代の交通事情から考えれば決して大きな交差点ではない。南北に抜ける大町通りは北から南への一方通行、東西に抜ける国道252号は「大町四ツ角」でクランク状に折れ曲がるから車で走り抜けるにも気を遣う。しかしそうした様相が古くからの交通の要衝だったことを窺わせる。交差点周辺には老舗らしい商店が数多く軒を構え、往時の賑わいを今に伝えている。会津若松の町を訪れたときには、ぜひ「大町四ツ角」の周辺を歩いておきたい。
七日町通り
七日町通り
七日町通り
「大町四ツ角」から西へ延びる国道252号のうち、特に大町一丁目から七日町を抜けてJR只見線七日町駅付近までの800mほどの区間を、「七日町通り」と呼ぶ。かつて藩政時代、会津五街道のうちの越後街道、米沢街道、下野街道の三街道がここを経由していた。沿道には数多くの旅籠が建ち並び、往来の人々で大いに賑わったという。すなわち、当時の会津城下のメインストリートだった。七日町通りの西端の阿弥陀寺付近、現在のJR只見線七日町駅付近には木戸が設けられていたそうで、往時の旅人は、まさにここから会津城下へと出入りしたわけだ。

現在の七日町通りには明治期から昭和初期にかけて建てられた商家などの歴史的建築物が数多く残る。その“大正浪漫”を感じさせる風情が人気を呼んで観光に訪れる人の姿も多い。しかし、そうした町の景観は当時からそのままに残されていたものではない。1958年(昭和33年)に神明通りのアーケード商店街が完成すると、会津若松の商店街の中心がそちらへ移行し、さらに1960年代から1970年代にかけての高度経済成長期には市内の交通事業や市域の構成も変わり、七日町通りは次第に衰退していった。1980年代頃には七日町通りにはほとんど人通りがなかったという。
七日町通り
七日町通り
七日町通り
1990年代、危機感を覚えた商店街の老舗店主など、地元有志が「七日町通りまちなみ協議会」を結成、魅力ある町づくりに取り組み始める。まず行われたのは、高度経済成長期に失われた“古き佳き時代”の町の景観の再生だった。高度経済成長期に当時の新建材に覆われてしまった建物には、その中に昔の外観を残すものもあった。それらを再生することに始まり、“古き佳き時代”の町の景観の再現を目指して商店の外観の改修が行われた。コンセプトは「大正浪漫溢れるまちづくり」だった。

1992年(平成4年)、会津若松市は会津若松市景観条例を施行、景観づくりに取り組む商店街や団体による景観協定を認定、助成が行われることになった。1995年(平成7年)には「旧七日町町並み協定」と「七日町通り下の区町並み協定」が、翌1996年(平成8)年には「七日町中央町並み協定」が締結され、助成が実施されている。JR只見線七日町駅の駅舎を“大正浪漫”風の意匠に改修、駅舎内に会津特産品のアンテナショップ「駅カフェ」を設けたのも、この助成制度が活用されている。
七日町通り
七日町通り
七日町通り
そうした地道な努力が実を結び、現在の七日町通りは“大正浪漫”溢れる町並みが評判を呼んで会津若松の観光名所のひとつとして人気を集める。「大町四ツ角」から七日町駅まで、沿道の景観を楽しみながらの散策は会津若松観光の定番コースのひとつと言っていい。沿道に並ぶお店に立ち寄るのも楽しい。通りには会津漆器の老舗なども軒を構えているから、会津土産を買い求めるのもお勧めだ。

通りの西側に位置する「渋川問屋」は、当時、海産物の物流基地の役割を担っていたという。越後街道を通って会津に入った海産物は、渋川問屋に集められ、ここから会津一円に運ばれた。現在も明治期に建てられた建物が残り、往時の繁栄を偲ばせる。ちなみに、1905年(明治38年)に渋川家の長男として生まれた善助(ぜんすけ)は幼い頃から優秀な人物だったそうだが、1936年(昭和11年)に起きた、いわゆる「二・二六事件」に民間人ながら加わり、処刑されている。そうしたことが建物に取り付けられた解説パネルに記されている。訪れた時には目を通しておきたい。
野口英世青春通り
国道118号の西側を南北に抜ける大町通りのうち、「大町四ツ角」から南側の通りには「野口英世青春通り」の愛称が付けられている。野口英世が左手の手術を受けた会陽医院跡が通り沿いにあり、青春の日々を会陽医院の書生として過ごしたということに因んだものだ。
野口英世青春通り
野口英世青春通り
野口英世は世界的によく知られた医学博士だ。野口は幼名を清作といい、1876年(明治9年)、福島県耶麻郡翁島村(現在の福島県猪苗代町)に生まれた。1歳半の頃、いろりに落ちて左手に大火傷を負い、その後、高等小学校時代に手術したものの完治することはなかった。しかし自らが受けた手術によって医学の素晴らしさを実感、野口は医学を志し、高等小学校卒業後に会陽医院の薬学生となって、上京までの数年間をこの地で過ごすのである。
野口英世青春通り
野口英世青春通り
「野口英世青春通り」の愛称が付けられたのは1992年(平成4年)のことという。同年に会津若松市による会津若松市景観条例が施行されたのを受けて、“野口英世縁の地”としての町並みの魅力創出の試みの一環だったのだろう。現在の「野口英世青春通り」は路面がレンガ敷きに改修され、旧会陽医院を改修した喫茶店「会津壱番館」などの古い建物が沿道に残って風情ある町並みを見せている。野口英世の横顔をデザインした通りの看板も楽しい。野口英世の若い日々に思いを馳せながら、のんびりと通りを散策してみるのも悪くない。
会津若松市役所周辺
「野口英世青春通り」の南端部から東へ、国道118号を横切って300mほど進むと会津若松市役所が建っている。会津若松市役所本庁舎の建物は1937年(昭和12年)に建てられたものだ。石造りにも見える外観だが、当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造りの三階建て、堂々として重厚感のある佇まいだ。近代建築に興味のある人ならぜひ見ておきたいものだろう。
会津若松市役所周辺
会津若松市役所周辺
市役所周辺は特に“観光名所”的に整備された町並みではないが、ところどころに残る古い店舗などがレトロな雰囲気を醸し出していて散策は楽しい。“観光地”としての“演出”が無いところが、かえって町歩きの好きな人にはお勧めかもしれない。

市役所前から100mほど東へ進んだ交差点を南へ折れ、さらに数百メートル辿れば鶴ヶ城だ。のんびりと市街地の散策を楽しみながら鶴ヶ城へ向かうのもお勧めだ。
参考情報
交通
七日町通りはJR只見線七日町駅が至近だ。七日町駅付近から東へ800mほど、野口英世青春通りとの交差点「大町四つ角」までが七日町通りだ。

JR会津若松駅から七日町通りまでは1kmと少し、20分ほど歩けば着く。

会津若松駅前からまちなか周遊バスを利用するのも便利だ。まちなか周遊バス「ハイカラさん」で会津若松駅前から「七日町白木屋前」まで5分ほど、「七日町駅」まで10分ほどだ。まちなか周遊バス「あかべぇ」は「ハイカラさん」とはほぼ同じコースを逆に辿るため、会津若松駅前から七日町通りまで45分ほどを要するので注意されたい。

七日町通り沿いと周辺には民間の駐車場などが点在しており、車での来訪も可能だ。駐車場の場所などは「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先サイトなどを参照されたい。

遠方から車で訪れる場合は磐越自動車道会津若松ICを利用するのが近い。会津若松市街に入って国道118号を南下、市街中心部の交差点を国道252号へ右折すれば七日町通りだ。

飲食
七日町通りと野口英世青春通り、さらにその周辺にさまざまな飲食店が点在している。散策を楽しみながら気に入った店を探せばいい。会津の郷土料理などを楽しむのがお勧めだ。

周辺
七日町通り散策の際には大正浪漫の風情漂うJR只見線の七日町駅舎もぜひ訪ねておきたい。

七日町通りの東端(大町四つ角)から野口英世青春通りを南へ辿り、さらに国道118号を南下すれば1.5kmほどで鶴ヶ城に着く。鶴ヶ城から東へ1.5kmほどで御薬園、さらに東へ1kmほどで会津武家屋敷だ。順番に立ち寄って行けば徒歩でも巡れるが、歩き疲れたら周遊バスを利用するといい。飯盛山は北東へ3km近くあり、徒歩では少し距離がある。周遊バスを利用するのが賢明だろう。

会津若松市街の観光地巡りには会津バスのまちなか周遊バスを利用するのが便利だ。フリー乗車券を購入すれば当日は何度でも乗れる。車で会津若松市に訪れた場合も駅近くの駐車場に車を置き、まちなか周遊バスを使って市内を巡るのが気軽でお勧めだ。フリー乗車券は「会津バス駅前観光案内所」などで購入できる。詳細は会津バスのサイトを参照されたい。

車で訪れたなら、猪苗代湖畔へ足を延ばすのもいい。国道49号を東へ辿って、会津若松市街から30分ほどで湖畔に着く。
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