東京都の北部を流れる石神井川の板橋区から北区にかけて区間は河岸に桜の並木が整備されている。千本を超える桜が並び、春には見事な景観を見せる。桜が満開の四月上旬、石神井川の桜並木を歩いた。
石神井川桜並木
石神井川は流路延長25kmほどの、荒川水系の一級河川だ。東京都小平市を源流域とし、西東京市、練馬区、板橋区、北区と、東京都北部を東へと流れ、北区で隅田川へと注ぐ。この石神井川の、板橋区中板橋辺りから東へ、北区滝野川へ至る区間、河岸は桜の並木になっており、春には見事な景観を見せてくれる。桜の咲き誇る四月の上旬、中板橋から東へと向かって石神井川の桜並木を歩いた。
下頭橋
なかいた商店街
下頭六蔵菩薩
下頭橋から下流側を見る
下頭橋から下流側を見る
東武東上線中板橋駅を降りると、駅の南側、東西に商店街が延びている。「なかいた」と書かれたゲートが通りを跨いでいる。商店街には飲食店やコンビニなどが建ち並び、人の往来も多く、なかなか賑やかだ。駅の北口からそのまま北へ向かっても百メートルほどで石神井川の河岸へ出るのだが、商店街を西へ抜けて石神井川を目指す。

丁字路となった「中板橋駅入口」交差点を西側へ折れ、駅から数百メートル歩いたところで石神井川に出る。「下頭(げとう)橋」という橋が架かっている。橋の袂には「下頭六蔵菩薩」があり、小さな祠が建っている。「六地蔵」ではなく「六蔵」である。この下頭橋の少し下流側の河岸に「下頭橋の六蔵」と題して橋の名の由来を解説したパネルが設けられている。それに依れば、かつての下頭橋は木造で、大水の度に流されて人々は不便を強いられたという。その橋の袂に、六蔵という男が住んでおり、旅人から施しを受けて暮らしていた。子どもたちにからかわれても決して怒ることもなく、橋の袂で頭を下げ続けていたという。六蔵の死後、体の下から大金が見つかった。その金をどうしようかと思案していた村人は、「橋を架けて六蔵を弔いなさい」という旅の僧の助言を受けて石橋を造り、橋を「下頭橋」と名付けた。石橋が架けられたのは1798年(寛政10年)のことであるらしい。橋の袂の祠はその六蔵を讃えて建てられたものということだが、橋の名の由来には他説もあり、それらは祠の境内に設けられた板橋区教育委員会による解説に記されている。訪れた時には目を通しておきたい。

下頭橋から下流側を見ると、左岸側の上板橋第一中学校脇に桜が並んで枝を川面に張りだし、見事に咲いている。その向こうに桜並木が続いているようだ。左岸側の舗道を下流側へと向かって進むことにしよう。
間々下橋から中根橋
間々下橋
久保田橋
久保田橋
なかいた商店街
新西原橋付近
石神井川の河岸は遊歩道になっており、随所に石造りのベンチも設けられている。桜の花期でなくても爽快な散歩が楽しめるに違いない。「間々下橋」という人道橋を過ぎると頭上を東武東上線の線路が越える。石神井川はほぼ真っ直ぐの流路だが、東武の線路のやや下流側で大きく曲がり、それまで北東側に向かっていた流れがほぼ東向きになる。この辺りから川の両岸に桜の並木が続く。桜は川面に大きく枝を張りだし、見事な景観だ。桜はほとんどがソメイヨシノだが、オオシマザクラもあるようだ。河岸の舗道脇には緑地スペースが設けられており、シートを広げて花見の宴会を催しているグループの姿も少なくない。舗道脇に「石神井川ウォーキングコース」の説明パネルがあった。中板橋から新板橋までの往復2.7kmほどがウォーキングコースとして設定されているようだ。

「向屋敷(むかいやしき)橋」を過ぎると「久保田橋」、久保田橋の南側は「なかいた商店街」で、中板橋駅からまっすぐに北へ向かうと、この久保田橋に出る。石神井川の桜並木を見に来た人のほとんどは駅から久保田橋へと向かうのだろう、「なかいた商店街」の通りはたいへんな人出で賑わっている。橋の袂には露店もある。久保田橋では畳を上に置いた縁台のような設備も道脇に設けられている。この“縁台”、飲食は禁止だそうだが、腰を降ろしてゆったりと河岸の桜を眺めることができる。この付近では石神井川の流路が真っ直ぐであるため、橋の上から眺めれば真っ直ぐに延びる川の両側に溢れるように桜が咲き誇り、素晴らしい景観だ。

久保田橋を過ぎてさらに下流側に進めば「山中橋」、「新西原橋」、「根村橋」、「中根橋」と、ほぼ100mほどの間隔で橋が架かっており、どの橋からも素晴らしい桜並木の景観が楽しめる。橋の南側はすべて「なかいた商店街」だ。東に行くほど駅から遠くなるために人出は少なくなって行くが、この付近が“石神井川桜並木”の花見の賑わいの中心のひとつと言っていいだろう。
氷川つり堀公園と氷川神社
堰の上橋付
氷川つり堀公園
氷川神社
中根橋を過ぎると石神井川は少し蛇行を描く。「双栄(そうえい)橋」という人道橋を過ぎ、「西堰橋」、「堰の上橋」と過ぎると川が大きく曲がる。この辺りでは河岸の桜並木が片側だけになる。

やがて「西宿裏橋」を過ぎると右岸側に「氷川つり堀公園」という公園がある。形状から考えれば石神井川の旧流路を公園として整備したものだろう。その名のように公園内には「釣り堀」が設けられており、この日も釣り糸を垂らす人たちの姿があった。もちろん釣り堀を利用しなくても立ち入ることができ、のんびりと散策を楽しむことができる。公園内にも桜が咲いている。桜の下で釣りを楽しむ人たちの姿はのんびりとした春の休日の空気を感じさせて素敵だ。

氷川つり堀公園のすぐ東側には国道17号、中山道が、その上には首都高速5号池袋線が南北に抜けている。石神井川を跨いで国道17号を通しているのが「新板橋」だ。新板橋から少し南側、国道の西側に氷川神社が建っている。少し立ち寄って花見散歩の無事を祈願してゆくことにしよう。地図で確認すると、この氷川神社のちょうど西側に氷川つり堀公園がある。公園の名の「氷川」は、この氷川神社が由来なのだろう。
板橋
板橋
板橋
板橋近くの小公園
新板橋から東へ、また石神井川の両岸に桜並木が続く。百メートルほど歩くと「板橋」だ。旧中山道が石神井川を跨いでいる。板橋区の区名にもなっている地名の「板橋」は、この板橋が由来であるらしい。「板橋」に関する解説を記したパネルが板橋区教育委員会によって橋の袂に設置されている。それに依れば、江戸時代の板橋は太鼓状の木造の橋で長さは九間(約16.2m)、幅は三間(約5.4m)あったそうだ。当然のことながらこれまでに幾度か架け替えられ、現在の板橋は1972年(昭和47年)、石神井川の改修工事の際に新しく架けられたものだ。もちろん今は木造の橋ではないが、往時を彷彿とさせる意匠の欄干が設けられ、なかなか風情のある景観を見せてくれる。

江戸時代の板橋は宿場として賑わった土地柄だが、現在の旧中山道も商店街を成しており、今は花見の人たちで賑わっている。一方通行ながら車両の通行もある道路なのだが通り抜ける車はあまり多くはないようで、比較的のんびりと花見散歩を楽しむことができる。板橋の中ほどに立てば石神井川の両岸に咲き誇る桜が眼前に見え、素晴らしい景観が楽しめる。橋の欄干との取り合わせもなかなか“絵になる”風景だ。

板橋の南側の袂から、南側に円弧状に食い込む形で小公園がある。これも石神井川の旧河道を利用して造られたものだろう。公園内には水路と散策路が設けられ、随所で桜が咲いている。散策を楽しむ人はあまり多くはないようだが、のんびりとした雰囲気が素敵だ。
板橋から加賀橋
板橋から加賀橋へ
板橋から加賀橋へ
板橋から加賀橋へ
板橋から加賀橋へ
板橋からさらに下流側へと向かおう。すぐに「番場橋」、やがて小さな人道橋を過ぎて「御成(おなり)橋」を過ぎる。「稲荷橋」という人道橋を過ぎると次は「加賀さくら橋」、二本の橋が並んで架かっている。河岸には随所に小公園や緑地スペースがあり、シートを広げて花見の宴を楽しむ人たちの姿がある。石神井川の北側は帝京大学医学部と帝京大学病院の敷地だ。「緑橋」を過ぎると石神井川が大きく屈曲して南向きの流れになる。石神井川は中根橋より上流側では比較的直線的な流路に整備されているのだが、中根橋から下流側では、護岸工事が施されて整備されてはいるものの、蛇行が残っている。散策を楽しむ際には曲線を描く流路の方が表情が変わって飽きない。

さらに進んでゆくとやがて「加賀橋」、加賀橋の袂、南側河岸には河岸の舗道からは一段低くなった緑地スペースが設けられている。この緑地には河岸の桜が頭上を覆うように咲いている。その下でシートを敷いて花見を楽しむ人たちの姿がある。この付近でも石神井川の流路は大きくカーヴを描く。

河岸の舗道脇、「水車」に関する解説パネルが設けられているのに気付いた。かつて石神井川の流域のところどころに水車が造られ、米や麦などの精白、製粉に利用されていたと記されている。幕末から大正期にかけては火薬の製造や製紙などの工業用動力としても用いられていたという。江戸時代の石神井川は田園地帯の中を流れるのどかな風景の川だったのだろう。その風景の中に立つ水車小屋の様子を想像してみるのも楽しい。
加賀公園
加賀公園
加賀公園
加賀公園
加賀公園
加賀公園
加賀橋を過ぎて少し行くと「かがみどりばし」という名の人道橋が架かっている。その人道橋から次の金沢橋まで、石神井川の右岸側(南側)に板橋区立の加賀公園という公園がある。加賀公園は江戸時代の加賀前田家下屋敷の面影を残す公園だ。加賀公園の周辺、加賀一丁目、二丁目、板橋三丁目、四丁目の付近に、江戸時代には加賀藩前田家の下屋敷があった。そのためにこの辺りは「加賀」と呼ばれており、現在の町名の「加賀」もそれに由来するのだろう。加賀公園東側の「金沢橋」も同じ由来に違いない。

地図を広げて確認してみるとよくわかるが、加賀一丁目、二丁目、板橋三丁目、四丁目にかけての範囲というのはかなり広大な面積だ。公園内に設けられた加賀前田家下屋敷についての解説パネルによれば、約二万八千坪、金沢の兼六園の約七倍、江戸にある大名屋敷の中で最大であったという。邸内には石神井川が流れ、その流れと千川用水を利用して大池を設け、周囲に築山などを配した回遊式庭園があり、藩主の別荘として使われていた他、時には鷹狩りも行われていたというから、その広大さは想像を超えるものがある。現在の加賀公園はその庭園の築山の一部が残るだけだが、その頂上部に立ってかつての前田家下屋敷の有り様を想像してみるのも一興だ。

明治期から戦前の昭和初期にかけて、加賀公園とその西に隣接する野口研究所の辺りに板橋火薬製造所の火薬研究所があったという。加賀公園の築山の中腹には、当時、弾道検査管(爆速測定管)の標的として使われたコンクリート製の構築物が残されている。野口研究所構内には弾道検査管の一部も残されているという。また築山南側の道路上の部分は板橋火薬製造所内に設けられた電気軌道(トロッコ)の線路敷跡らしい。加賀公園内には「弾道検査管(爆速測定管)の標的」や「電気軌道(トロッコ)線路敷跡」について解説したパネルが設けられている。訪れたときには目を通しておきたい。

訪れたとき、加賀公園内の桜も満開、もちろん花見の人たちでたいへんな賑わいだ。築山東側のスロープや広場、電気軌道線路敷跡辺りまで、シートを広げて花見の宴を楽しむ人たちで混み合っている。トイレも長蛇の列で、花見を楽しむのもなかなかたいへんだ。
東橋から音無橋
東橋近くの小公園
観音橋付近
音無もみじ緑地
音無さくら緑地の吊り橋
音無橋付近
金沢橋を過ぎて南向きに流れる石神井川をさらに下流側へ辿ると200mほどで「東(あずま)橋」という人道橋がある。東橋の袂、左岸側には小公園があり、ここも花見の人で賑わっている。東橋を過ぎると流れは東向きに曲がり、すぐに埼京線の線路をくぐる。埼京線の線路をくぐるとすぐに板橋区と北区の区境だ。区境を越えて北区に入ると石神井川の両岸に小公園がある。右岸側は「音無くぬぎ緑地」、左岸側は「音無こぶし緑地」という名だ。石神井川は北区の王子の辺りでは「音無川」と呼ばれていたことから、河岸の緑地の名に「音無」が冠されているのだろう。どちらの緑地でも花見の人たちで賑わっている。

北区に入っても河岸には桜並木が続いている。桜に縁取られた音無川を東へ歩こう。「観音橋」を過ぎると河岸の桜並木が途切れがちになった。優美な曲線を描いて流れる音無川の河岸をさらに辿るとやがて「滝野川橋」だ。

滝野川橋を過ぎると右岸側に「音無もみじ緑地」がある。旧河道の蛇行跡を整備して設けられたらしい形状で、周辺部には広場が設けられているが中央部にはすり鉢状の斜面があり、“すり鉢”の底部にはワンドが設けられ、川面近くまで降りてゆくこともできる。音無もみじ緑地も桜が美しく、“すり鉢”の下方から上部を見上げると春の青空を背景に咲き誇る桜が見事な景観を見せる。

音無もみじ緑地を跡にして「もみじ橋」を過ぎると、右岸側に今度は「音無さくら緑地」という小公園がある。これも旧河道を利用した造りで、U字形状で南側の住宅街の中を辿っている。この音無さくら緑地には「緑の吊り橋」と名付けられた吊り橋が設けられている。吊り橋の下は遊歩道と小川が設けられており、“橋”としての本来の目的より、修景用のものなのだろう。吊り橋は小さなもので、高さもあまりないが、なかなか本格的な造りの吊り橋で、渡るとふわふわとした揺れを感じるのが楽しい。

音無さくら緑地から東は河岸の桜並木は途切れがちだが、ところどころに見事な桜もあって飽きない。河岸の舗道脇に設置された小鳥のオブジェも可愛らしい。数百メートル進むと「音無橋」、ここから音無川は暗渠となって飛鳥山公園の下を流れてゆく。音無橋の下には旧流路を整備して造られた音無親水公園がある。飛鳥山公園も音無親水公園も桜の名所だ。その双方に立ち寄って、石神井川桜並木の花見散歩の締め括りにすることにしよう。
石神井川桜並木
石神井川桜並木
今回は東武東上線で中板橋まで行き、そこから東へ向けて石神井川河岸の桜並木を歩いたが、もちろんその逆ルートでも楽しめる。しっかりと計測したわけではないが、下頭橋から音無橋まで距離は数キロというところだろうか。寄り道をしながらゆっくりと歩いても半日あれば充分だ。もちろん一部の区間だけを選んで歩いても充分に楽しめる。中板橋駅近くの久保田橋周辺や板橋周辺の桜並木は特に見事だ。また北区側の音無もみじ緑地の開放感溢れる風景も素敵だ。“桜の名所”と言っていい。のんびりとした花見散歩が楽しめる。
参考情報
交通
石神井川の桜並木は東西に長く続いているわけだから、さまざまな駅から訪れることができる。西端部分から歩くのなら東武東上線中板橋駅が便利だ。JR京浜東北線王子駅から西へ向かって辿ってゆくのもいい。都営地下鉄三田線新板橋駅から北へ200メートルほど行けば板橋区と北区との区境付近の河岸へ出る。都営地下鉄三田線板橋本町駅からなら国道17号を南へ数百メートル行けば石神井川だ。JR埼京線十条駅から西南の方角へ向かって帝京大学病院の東側を南へ抜けても石神井川へ出る。徒歩で15分ほどだろうか。訪れるときの駅と帰路を辿るときの駅をそれぞれ別に選んでおき、その間の区間を歩くのがお勧めだろう。

石神井川河畔には駅周辺などに民間駐車場が点在しているが、規模の小さなものがほとんどのようだ。土地勘の無い人は車での来訪はさけておいた方が無難だろう。

飲食
桜の季節ならやはり花見を兼ねてのアウトドアランチがお勧めだ。お弁当を持参し、あるいは駅近くでテイクアウトのものを調達し、河岸に点在する小公園や緑地スペースにシートを広げて楽しむといい。ただお花見の人がたいへんに多く、休日などには空いている場所を見つけるのに苦労するかもしれない。

お弁当持参でなければ飲食店を利用するのも悪くない。河岸の遊歩道沿いにはあまり飲食店はないが、河岸から少し離れれば駅周辺などに多くの飲食店が建っている。特に中板橋駅周辺の商店街や王子駅周辺などに多いようだ。

周辺
JR京浜東北線王子駅近くには飛鳥山公園がある。飛鳥山公園は江戸時代から続く花見の名所だ。桜の季節にはぜひ立ち寄っておきたい。飛鳥山公園の北側には石神井川の旧流路を利用して造られた音無親水公園がある。ここも桜が美しく、花見の人たちで賑わう。石神井川の桜並木を楽しむときには訪ねておきたい。飛鳥山公園西側の滝野川二丁目には「赤レンガ酒造工場」があり、ここでも桜が楽しめる。
桜散歩
東京23区散歩