東京都三鷹市の西端近く、野川の辺に「大沢の里」と呼ばれるところがある。水田や古民家、水車などが保存され、古き佳き武蔵野の風景を偲ぶことができる。木々の緑もすっかり濃くなった五月の下旬、「大沢の里」を訪ねた。
東京都三鷹市の西端部、「大沢の里」と呼ばれる三鷹市の施設がある。「大沢の里」は野川河岸に位置し、国分寺崖線の自然を活かし、水田や古民家、水車などが保存され、古き佳き武蔵野の農村風景が残されている。古い時代の野川の風景を想像しながら、その川辺で営まれていた農村の暮らしに思いを馳せるのも楽しいひとときだ。古民家や水車農家などを見学しつつ、長閑な風景を楽しむのがお勧めだ。
「大沢の里」の中心となる部分は野川の右岸、河岸に広場が設けられ、小公園のように利用することができる。四阿やトイレも設けられているから、長閑な風景を楽しみながらのんびりと過ごすことができる。
広場の北側には湿性花園が設けられている。それほど規模の大きなものではないが、湿地の植物が茂って豊かな生態系が残っていることを窺わせる。湿地の中を木道が辿っているから、木道を歩きながら間近に湿地の自然を観察できるのも嬉しい。初夏から夏にかけてはカキツバタやスイレンの花が湿地を彩る。
広場の南側には水田が横たわっている。これもそれほど広い規模ではないが、野川と国分寺崖線の間に横たわる様子は長閑で美しい風景だ。この水田は市民グループによる“農業体験”に使用されているようだ。五月の末、水を張った水田は田植えを待っている時期か。その中に鴨の姿があった。ちなみに、この水田は三鷹市で唯一の水田なのだという。
三鷹市大沢の里古民家
「大沢の里」の北に奥まったところ、国分寺崖線沿いに「三鷹市大沢の里古民家」がある。そもそもは養蚕や山葵栽培を営む農家である箕輪家の住宅として1902年(明治35年)に建てられたもので、「四ツ間取り」の典型的な農家だという。幾度かの改修を経て1980年(昭和55年)頃まで民家として使われていたが、2007年(平成19年)に所有者の箕輪氏から三鷹市に寄贈されている。2009年(平成21年)には「旧箕輪家住宅主屋」として三鷹市の有形文化財に指定されている。
「旧箕輪家住宅主屋」は2016年(平成28年)から復元・整備工事が始まり、2018年(平成30年)に完了している。工事に際しては建物を一旦解体、1950年(昭和25年)〜1980年(昭和55年)頃の佇まいに復元したという。「崖線沿いの緑や湧水、山葵田が残る環境」と一体になっていることが重要とのことで、現地保存であり移転はされていない。本来は茅葺き屋根だったようだが、消防法の制限によって残念ながら銅板葺に改められている。
「三鷹市大沢の里古民家」(「旧箕輪家住宅主屋」)は内部の見学も可能だ。間取りの様子や各部の造作を丹念に見学していくのはなかなか楽しい。“昔の農家”というイメージとは違ってなかなか立派な建物である。館内にはかつて使用されていたらしい調度品なども展示されている。
「三鷹市大沢の里古民家」(「旧箕輪家住宅主屋」)の裏手には国分寺崖線が間近に迫っている。この崖線からの湧水を活かして箕輪家では昔から山葵(わさび)の栽培を行っていた。今も建物裏手にわさび田が残っており、さらにそこに残るわさびは江戸時代に栽培されていたものがそのまま残っているという貴重なものであるという。その種を保存するための活動が市民協働で行われているとのことだ。
三鷹市大沢の里水車経営農家
「三鷹市大沢の里古民家」や水田などのある一角とは野川を挟んだ対岸、少し下流側に「三鷹市大沢の里水車経営農家」がある。武蔵野地域には江戸時代以降の新田開発に伴って各地に水車が設置されていた。ほとんどが製粉精米に用いられる“動力水車”だ。これらの動力水車は明治末期から大正期に最盛期を迎えたが、昭和に入って急激に衰退した。「大沢の里」の水車も、そうした“武蔵野の水車”のひとつだ。
「三鷹市大沢の里水車経営農家」は、代々水車経営を行ってきた峯岸家の母屋や水車などを保存展示しているものだ。峯岸家は1817年(文化14年)以来、1968年(昭和43年)に野川の改修によって水車の稼働が停止するまで、5代に渡って水車経営に携わってきた。平成に入って三鷹市が八代目当主の峯岸清氏から母屋や水車施設などの寄贈を受け、屋敷地も購入、現在は三鷹市の貴重な文化財として保存展示がなされている。
まずはやはり水車を見ておきたい。この水車は1808年(文化5年)頃に造られたもので、「新車(しんぐるま)」と呼ばれた(少し上流側に「大車」と呼ばれる水車があったため、「新しい水車」ということで「新車」である)。築造以後、幾度もの改造を受け、現存するものは14個の搗き臼(つきうす)と杵、2台の挽き臼などを備えた、大型の営業用水車である。水車の稼働が停止してからも峯岸清氏が水車を保存されてきたため、機構全体が良好な状態で残っているのだという。
通路を辿りながら、複雑な水車機構を間近に見学することができる。“この水輪が回って、これで動力を伝えて…”と、機構全体が稼働している様子を想像しながら見ていくのも楽しい。特に“機構”好きの人ならこの上なく楽しいものに違いない。どのように使われるのがわからない機構部もあるが、それはそれで楽しい。この大型の水車が、1960年代まで稼働していたのだ。
水車を見学したら、母屋も見学しておきたい。建て替えられていないため、元来の茅葺き屋根がそのままに残っている。この母屋は、伝えられているところによれば、1813年(文化10年)頃に建てられたもので、桁行7間(約12.7m)という堂々としたものだ。屋根裏では養蚕を行っていたそうである。1994年(平成6年)に峯岸清氏から三鷹市に寄贈され、同年度中に復元修理が行われている。
母屋は中に上がって見学することもできる。中の様子は今も人の暮らしが続いているかのような佇まいだ。昭和期の農村の民家を知る人なら懐かしさを感じる光景なのではないだろうか。
「三鷹市大沢の里水車経営農家」は「古民家・峯岸清氏旧宅」として1994年(平成6年)に三鷹市の有形文化財の指定を受け、さらに1998年(平成10年)には「武蔵野(野川流域)の水車経営農家」として東京都の有形民俗文化財に指定されている。また、2009年(平成21年)には「旧峯岸水車場」として日本機械学会による機械遺産にも認定されている。施設全体が貴重な文化遺産なのだ。じっくりと見学しておきたい。
三鷹市では「三鷹まるごと博物館」と銘打って市域全体を博物館に見立て、地域遺産を現地で保存・展示・継承する取り組みを行っている。「大沢の里」に残る古民家や水車、農風景などは、「三鷹まるごと博物館」の中でもお勧めの場所だと言っていい。貴重な文化財を見学しつつ、長閑な農風景の中を散策するのは楽しいひとときだ。そうしたものに心惹かれる人なら、ぜひ訪ねてみるべきところだろう。
「三鷹市大沢の里古民家」と「三鷹市大沢の里水車経営農家」は見学に入館料が必要だ。共通券が販売されているので、一枚で双方の見学が可能だ。入館料や休館日、公開時間などの詳細については三鷹市の公式サイト(頁末「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。
「大沢の里」に鉄道で訪れる場合は、西武多摩川線多磨駅が最寄りだ。多磨駅から人見街道を東へ1.5kmほど歩けば着く。
JR中央線三鷹駅南口からバスを利用し、「竜源寺」バス停で降りれば、大沢の里まで至近だ。
「大沢の里」には来訪者用の駐車場は用意されていない。車で訪れる場合は近隣の民間駐車場を利用しなくてはならないが、周辺にはあまり無い。公共の交通機関で訪れることをお勧めする。
「大沢の里」にはレストランやカフェなどは併設されていない。周辺にもほとんど飲食店はなく、お店を探すなら西武多摩川線多磨駅周辺に移動するのが賢明だ。
陽気の良い季節ならお弁当を持参して、広場の一角“青空ランチ”を楽しむのもお勧めだ。
「大沢の里」の北西側には、人見街道(都道110号)を挟んで
都立野川公園
があり、さらに野川公園の北西側には
都立武蔵野公園
がある。両者とも野川の河岸に設けられているから、野川をさかのぼるように散策の足を延ばすのもお勧めだ。
「大沢の里」の西側には
都立武蔵野の森公園
がある。かつての調布基地の跡地を利用して設けられた公園で、今も調布飛行場が隣接している。開放感に溢れた公園だ。
「大沢の里」の東南側には国立天文台がある。少人数なら予約しなくても見学が可能だ。
大沢の里(三鷹市)
三鷹市大沢の里古民家(三鷹市)
大沢の里水車経営農家・新車(三鷹市)
三鷹の水車「しんぐるま」大沢の里 水車経営農家(三鷹市)
三鷹まるごと博物館
野川公園
晩冬の野川公園
梅香る野川公園
桜咲く野川公園
初秋の野川公園
紅葉の野川公園
武蔵野公園
桜咲く武蔵野公園
初秋の武蔵野公園
紅葉の武蔵野公園
武蔵野の森公園
浅間山公園