東京都調布市の北西部、一部は府中市から三鷹市に跨がる形で、「武蔵野の森公園」という都立公園が設けられている。公園は調布飛行場に隣接し、園内から飛行場を離発着する航空機の姿を見ることができる。
そもそもこの辺りは1941年(昭和16年)に「東京調布飛行場」が設けられたところだ。戦時中は日本陸軍が使用し、戦後は米軍に接収された。戦後、1954年(昭和29年)に日米共同使用となり、1973年(昭和48年)に全面返還されている。
武蔵野の森公園は、その後の調布基地跡地利用計画の一環として設けられたものだ。開園したのは2000年(平成12年)のことで、40ha近くの面積を有する(2015年現在)広大な公園だ。園内は開放感に溢れ、お弁当を持ってピクニック感覚で訪れるのに好適な公園と言っていい。
武蔵野の森公園は調布飛行場の北側に位置する「北地区」と、南東側に位置する「南地区」の二つの地区から構成されている。南地区は主として野球場やテニスコートなどの運動施設を設けたエリアだが、北地区には芝生広場や樹林地などが設けられており、一般に「武蔵野の森公園」として認識されているのは北地区の方だろう。
武蔵野の森公園(北地区)の魅力は、何と言っても広々とした「大芝生広場」だ。周囲を樹林が囲み、市街地の風景が見えないのもいい。緑に溢れた風景の上には空が広がるばかりで、実に快適な時間を過ごすことができる。木陰にシートを広げ、のんびりとくつろぎの時間を過ごすのに最適な広場だ。家族や友人とピクニック感覚で楽しみたい。
「大芝生広場」の南東側には「ふるさとの丘」と名付けられた一角がある。園路脇にオブジェのように“石”が展示されている。これらの石は各地の道府県から寄贈されたものという。なかなか興味深い。また、この「ふるさとの丘」は園内で最も高所に当たる場所という。丘の上からは調布飛行場がよく見える。
「ふるさとの丘」から調布飛行場の西側に沿って南にプロムナードが延びている。プロムナードを1.5kmほど辿れば武蔵野の森公園の南地区だ。少し距離があるが、飛行場の景観を楽しみながらのんびりと歩いてみるのも一興だろう。
「大芝生広場」の東側には修景池が設けられ、景観のアクセントになっている。あくまで修景池なので水遊びなどはできないが、水辺の風景があるというのはよいものだ。池は場所によってさまざまな表情を見せてくれる。池のある風景を楽しもう。
修景池の東側に、こんもりと高くなった場所がある。「展望の丘」と名付けられている。丘の上にはベンチが置かれ、眼下に調布飛行場の風景を見ることができる。ある意味では、この「展望の丘」から眺める調布飛行場の景観こそは「武蔵野の森公園」の一番の魅力だ。
「展望の丘」の東側には「大沢グラウンド通り」によって隔てられた“分園”のような一角がある。「遊びの広場」と名付けられた広場を中心に、周囲を樹林が囲んでいる。「大芝生広場」ほどの広さはなく、開放感もそれほどではないが、適度な“囲まれ感”が落ち着いた印象に繋がっている。「大芝生広場」に比べれば来園者の数は少なく、その点でも“穴場”的に利用できるかもしれない。
「遊びの広場」の脇に、二基の掩体壕が保存されている。「掩体壕」とは空襲から軍用機を守るための格納庫のことだ。日本陸軍が使用していた戦時中の調布飛行場の遺産である。「遊びの広場」の南側に「掩体壕1」、北西側に「掩体壕2」が保存展示されている。掩体壕の傍らには調布飛行場の簡単な歴史や掩体壕についての解説などが記されたパネルが設けられている。目を通しておきたい。
掩体壕に格納されていたのは「飛燕」という戦闘機だったそうだ。「飛燕」は川崎航空機製、1100馬力のエンジン出力を誇り、高空能力に優れていたという。1943年(昭和18年)に陸軍の主力戦闘機に正式採用され、調布飛行場にも首都防衛のために配備されたが、あまり戦果を上げることはできなかったようだ。
「遊びの広場」の一角で、公園内での“凧上げ禁止”を周知する注意看板があるのを見つけた。看板の上部には「あぶない!飛行機にぶつかるぞ!」の文言が記されている。なるほど、飛行場に隣接する公園ならではの注意事項である。
武蔵野の森公園(の特に「北地区」)は、開放感溢れる芝生広場ののんびりとした空気感が魅力の公園だ。調布飛行場に隣接しているのも魅力で、飛行機好きの人なら特に楽しめるだろう。戦時中に日本陸軍が使用した飛行場の跡地という歴史は、そうした事物に興味のある人にも魅力あるものだろう。お勧めの公園だ。