大規模災害発生時の避難所の機能も持たせて設計されたという昭和記念公園はとにかく広い。圧倒的な広さだと言っていい。160ha超という面積は数字を見ても実感しにくいが、例えば立川口のゲートから公園の中心部を一周するように設けられたメインの園路を辿って戻ってくるだけでも4kmを超える距離になり、ただ歩くだけで1時間ほどを要する。それほどの広さだ。そのような広大な公園が、東京都内の、JR中央線の駅から徒歩圏内に存在することは驚くべきことかもしれない。
この立地で、何故これほどの広大な敷地が確保できたのか。実は、昭和記念公園の造られた場所はかつての米軍立川基地の跡地なのだ。この場所は、そもそもは昭和初期に立川陸軍飛行場のあったところで、戦後、米軍によって接収され、米空軍立川基地として使用されてきた。1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)にかけての頃、滑走路の拡張計画に対する地元地権者の反対運動が起こった。1957年(昭和32年)、測量を強行しようとする政府側と反対派のデモ隊が衝突、デモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴される事態に至る。いわゆる「砂川事件」として知られるものだが、これもすでに歴史のひとこまか。この後、立川基地の拡張計画は停滞、米軍側は基地機能を横田飛行場へ順次移転させてゆく。やがて立川基地は飛行場としては使用されなくなり、宿舎や病院施設などを残すのみとなったが、それらも横田へ移転、1977年(昭和52年)に全面返還を迎えている。
その立川基地跡地の一部を使用して、昭和天皇御在位50年記念事業の一環として造られたのが国営昭和記念公園だ。立川基地跡地の180haを使用して公園を建設することが閣議決定されたのは1979年(昭和54年)、翌年には建設工事が始まり、開園したのは1983年(昭和58年)のことだ。昭和天皇御臨席のもとで開園式典が執り行われた。開園時は「みんなの原っぱ」や「花木園」など、70haほどの面積だったという。その後、順次規模を拡張、施設を充実させながら現在に至っている。