日南海岸風景
道の駅フェニックス
道の駅フェニックス
堀切峠から海岸に沿った道路を少し南へ辿ると、山の斜面の平地に白い円形の建物が建っている。「道の駅フェニックス」だ。沿道に植えられたフェニックスの姿も美しく、展望所から見る景観はまさに日南海岸の象徴とも言えるものだ。
道の駅フェニックス
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「道の駅フェニックス」は2005年(平成17年)4月16日に開業した施設で、以前は「フェニックスドライブイン」として知られていた。「フェニックスドライブイン」は宮崎交通の資本による経営で日南海岸の観光名所のひとつとしての役割を担ってきたが、観光客減少に伴う経営状況悪化のために宮崎市へ売却され、その後、宮崎市は旧「フェニックスドライブイン」の建物と周辺を再整備、「道の駅フェニックス」として生まれ変わった。以来「道の駅フェニックス」は「日南海岸」の新しい「顔」のひとつとして多くの観光客を集めている。
道の駅フェニックス
フェニックスドライブイン」から引き継いだ「道の駅フェニックス」の白い円形の建物は周囲の景観にも映えて美しく、すでにこの建物自体が「日南海岸」の象徴のひとつになっていると言ってもいい。一階フロアには売店が設けられ、地元の特産品や土産物などが数多く販売されている(二階、三階は2023年夏現在、閉鎖されている)。お土産物を買い求める観光客でなかなかの賑わいだ。

初夏から夏にかけてはソフトクリームの売店が人気を集めている。「ミルク」、「マンゴー」、「明日葉」、「プレミアム日向夏」の四種の味のソフトクリームを扱っている。宮崎のフルーツと言えば、やはりマンゴーや日向夏、ソフトクリームもマンゴー味や日向夏味が人気のようだ。「明日葉」のソフトクリームは珍しいのではないかと思う。「明日葉(あしたば)」はセリ科の野菜で八丈島が原産であるらしいが、青島、内海地区でも広く栽培されている。苦みの強い野菜だが、ソフトクリームは抑えられた苦みがアクセントになってなかなか美味しい。
道の駅フェニックス
道の駅フェニックス
「道の駅フェニックス」の敷地から道路を挟んで、海を見下ろす展望所が設けられている。ここから見る海岸の景観は実に見事なもので、「日南海岸」の風景として最もよく知られているものに違いない。「道の駅フェニックス」は堀切峠から1kmほど南へ下ったところに位置しているのだが、多くの場面に於いてその両者はほとんどイコールで結ばれていると言ってもよく、日南海岸を紹介する雑誌記事などではここからの景観を「堀切峠」として掲載していることが少なくない。展望デッキに立って東に目をやれば視界のほぼすべてを海原が占め、緩やかな孤を描いて水平線が延びるばかりだ。眼下では「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩が海岸を縁取って美しい姿を見せる。南には少し遠く、野島地区の巾着島の島影がシルエットで浮かぶ。フェニックスの葉陰の向こうに見えるそれらの風景は、まさに「日南海岸」の象徴と言える風景だ。
道の駅フェニックス
道の駅フェニックス
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堀切峠から「道の駅フェニックス」の辺りにかけて、道沿いに印象的にフェニックス(カナリーヤシ)が並ぶ。特に「道の駅フェニックス」前の展望所周辺はフェニックスと海との組み合わせの景観が南国的な風情を漂わせて素晴らしい。このフェニックスがなければ、堀切峠と「道の駅フェニックス」周辺の景観が日南海岸を象徴するものとしてこれほどの知名度を得ることも難しかったのではないかと思える。

このフェニックスはもちろん自生していたものではなく植樹されたものだ。フェニックスの植樹は宮崎交通の初代社長を務めた岩切章太郎氏の発案によるものだったという。フェニックスをいわば額縁にして太平洋を眺めれば、その景観はどんなにか素晴らしいだろうと、岩切氏は考えたというのだ。昭和40年代に宮崎が新婚旅行ブームを迎えて以来、現在に至ってもなお「フェニックスを額縁にして太平洋を望む」景観が日南海岸の象徴的景観になっていることを思えば、フェニックスの樹影のひとつひとつにも「宮崎観光の父」と呼ばれた岩切氏の数々の業績の片鱗を見ることができる。
道の駅フェニックス
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1967年(昭和42年)、宮崎が新婚旅行先として脚光を浴び始めた頃、「フェニックス・ハネムーン」という曲が発表された。永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセスの歌による「フェニックス・ハネムーン」は、京都をテーマにした「女ひとり」や茨城の「筑波山麓合唱団」などとともに彼らの「にほんのうた」シリーズを構成し、その中の宮崎をテーマにした一曲として発表されたものだった。

「フェニックス・ハネムーン」は宮崎を訪れた新婚カップルの心情をロマンティックに歌い上げた名曲だが、その中に歌われる「フェニックスの木陰」がまさにこの付近のフェニックスを想起させ、その木陰に佇む若いカップルのシルエットをまざまざとイメージさせる。ちなみに、デューク・エイセスは1955年(昭和30年)に結成、リーダーである谷道夫はご夫婦共々宮崎県の出身という。
道の駅フェニックス
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INFORMATION
道の駅フェニックス
【所】宮崎市内海
【問】宮崎市観光協会
【参】九州「道の駅」ガイド(国土交通省九州地方整備局道路部)
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2023年夏に撮影したものです。本文は2024年2月に改稿しました。