幻想音楽夜話
Queen
1.Keep Yourself Alive
2.Doing All Right
3.Great King Rat
4.My Fairy King
5.Liar
6.The Night Comes Down
7.Modern Times Rock'n'Roll
8.Son And Daughter
9.Jesus
10.Seven Seas Of Rhye

Freddie Mercury : vocals & piano.
Brian May : guitars, piano & vocals.
Deacon John : bass guitar.
Roger Meddows Taylor : percussion & vocals.

Produced by John Anthony, Roy Baker and Queen.
1973 B.Feldman & Co.Ltd.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 クイーンという名とその音楽を初めて聴いたのは、忘れもしない、渋谷陽一氏が担当するラジオ番組(番組名は失念してしまったが)の「ハード・ロック特集」でのことだった。まだ日本ではクイーンのデビュー・アルバムが発売されていない時期だったから、1973年後半から1974年の初めにかけての頃だっただろう。渋谷氏の選曲するさまざまな「ハード・ロック」の楽曲に混じってオン・エアされたクイーンの楽曲は「Son And Daughter」だった。

 それまでの「ハード・ロック」とは明らかに異なる印象、重く沈み込むようでいてどこか華麗さを感じさせる音の表情、キラキラと煌めく金属光沢を思わせつつ、少しばかりヌメヌメとした湿り気を帯びた感触。新鮮だった。家族の寝静まった夜にひとり、ラジカセから聞こえるその音楽をむさぼるように聴いた。楽曲が終わっても余韻の中に興奮は醒めず、「クイーン」というその名を記憶に刻んだのだった。あれからすでに30年近くが経つ。

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 クイーンのデビュー・アルバムが発表されたのは1973年、日本では1974年春のことだった。当時、ロック・シーンは充実の時代だったと言ってよいだろう。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、キング・クリムゾン、EL&P、イエス、ブラック・サバス、ピンク・フロイドといった、1970年代前半のロック・シーンを代表する「大物」バンド達が充実の時期を迎え、相次いで傑作アルバムを発表していた頃だった。

 しかし1970年前後にデビューしたそれらのバンドの成熟の陰で、「大型新人待望論」のようなものが静かにささやかれ始めていた時期でもあった。1970年前後、ジミ・ヘンドリックスやジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズらの死と共にひとつの時代が終わり、新しい時代の幕開けを告げるようにレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンがロック・シーンに現れた。それからわずか三、四年しか経っていないというのに、ロック・シーンには早くも「老化」の兆しがあったのだ。それは特に「ブリティッシュ・ロック」の分野で顕著だった。

 常に多くの新人アーティストがデビューしてはいた。しかし、明日のロック・シーンを担う才能を感じさせるアーティスト、先人達が築いたロック・シーンの栄光を受け継ぐのではなく超えてゆく才能、そんな新人アーティストはなかなか見つけられなかった。思えば、1960年代初めのビートルズ登場以来、ロック・ミュージックは急激なスピードで進化してきた。そのスピードが1970年代に入って少々鈍ったのに違いなかった。しかし当時のファンは同じスピードでロックが進化してゆくものだと信じていたのだ。

 かつてビートルズがデビューしたように、クリームが登場したように、キング・クリムゾンが現れたように、レッド・ツェッペリンがデビューしたように、ロックに変革をもたらす才能を持った新人アーティストがなぜなかなか出てこないのか。「ウエスト・コースト・サウンド」や「サザン・ロック」といった「アメリカン・ロック」の隆盛を横目に、英国生まれのロック・ミュージックを愛する者たちの焦燥はつのった。それは「ブリティッシュ・ロック」の将来への危惧さえ感じさせるものだったのだ。

 そのような中にクイーンはデビューしたのだった。クイーンは「ブリティッシュ・ロック」の将来を担う新しい才能だっただろうか。今にして思えば、その答は「イエス」でもあり「ノー」でもあるだろう。その後、音楽性を大きく変化させながら1980年代以降も成功を得たクイーンはロック・シーンを担って立つアーティストのひとつであったことは間違いないが、それがこのデビュー・アルバム発表当時に「ブリティッシュ・ロック」のファンが望んでいたことだったかどうかは疑問だ。そして「ロックの変革」はクイーンとその追随者によってではなく、「パンク」の登場によって劇的にもたらされてしまうのだった。

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 後にアメリカ市場での成功も手に入れ、ロック・シーンに君臨することになるクイーンも、デビュー当時は決して好意的に迎えられたわけではなかった。特に本国イギリスではクイーンに対する評価は否定的なものがほとんどだったという。「こんなバンドが成功したら、俺は帽子を食ってみせる」と豪語した音楽評論家もいたというのは今でもファンの語り草となっていることだが、程度の差こそあれ、英国での評価はそんなものだったらしい。

 クイーンの音楽はその頃のロック・ミュージックの「主流」とは微妙に異なったスタンスを感じさせた。1960年代後半の「ブルース・ロック」を受け継いだ形で発展した「ハード・ロック」とも、クラシックやジャズの方法論を持ち込んで芸術性を高めた「プログレッシヴ・ロック」とも、その音楽はどこか異なった印象を与えるものだった。そうした差異が、当時の評論家やファンにある種の誤解を与えたのかもしれない。そしてまたクイーンのデビュー当時の容姿、長髪にメイクを施し、華美な服装を纏ったその姿が「見かけ倒し」的な先入観を与えてしまったのも事実だっただろう。

 日本ではどうだったか。音楽ジャーナリズムはクイーンの音楽性を「レッド・ツェッペリンとイエスの音楽性を併せ持つ」と評し、「期待の新星」として紹介した。しかし当時の日本は海外の音楽の情報入手が簡単ではなかった時代だ。その音楽を満足に聴く機会も与えられないまま、彼らの容姿が音楽雑誌のグラビアを飾った。最初に反応を示したのは若い女の子たちだった。発端は「ブライアンが美形だ」とか「ロジャーがかわいい」とかといったものだったかもしれない。やがて彼女たちの支持に応えるように音楽誌がクイーンの特集を組み、ラジオ番組が彼らの楽曲をオン・エアし始めた。

 それでもレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドなどを愛好していたロック・ファンたちの多くは、満足にその音楽を聴き込む機会もないままに、「お子さま向けの音楽」というような評価をクイーンに与えたのが正直なところではなかったか。その容姿によって若い女の子たちにもてはやされる傾向も、当時の彼らの評価を歪める一因になっていたのも事実だろう。しかしその陰でクイーンに対する評価は静かに高まっていった。声高に支持を表明しなくとも、ひっそりとクイーンの音楽を聴き始めた、いわば「隠れクイーンファン」のようなロック・ファンが増えていったのだ。後年になって「自分もそうだった」と語るロック・ファンは少なくない。

 静かに隠れるようにクイーンを聴いていたファンの声が一気に浮上するのにあまり時間はかからなかった。デビューからわずかな期間の後に発表されたセカンド・アルバムの圧倒的な魅力を前にして、それまで素知らぬ顔をしてきたロック・ファンもクイーンの存在を無視できなくなったのに違いなかった。そうして日本でのクイーンの人気は一気に高まってゆく。イギリス本国での成功はさらに少し待たなくてはならなかったが、少なくとも日本では、「お子さま向け」で「見かけ倒し」の浅薄なものと見なされがちだったクイーンの音楽は、衰退しつつある「ブリティッシュ・ロック」を正統的に受け継ぎ、次なる栄光へ導く、王道のロック・ミュージックへと変わったのだった。

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 「レッド・ツェッペリンとイエスの音楽性を併せ持つ」という当時の音楽ジャーナリズムが与えた形容は必ずしも当を得たものではなかったが、それまでの「ハード・ロック」の枠に収まりきれないクイーンの音楽の可能性を示唆していたのは事実だっただろう。緊張感を伴ってドラマティックに展開されるクイーンの音楽には、確かに「ハード・ロック」の文法の中に「プログレッシヴ・ロック」の修辞をちりばめたような独特の印象があった。

 日本では「戦慄の王女」というタイトルの与えられたクイーンのデビュー・アルバムは、荒削りで少々散漫な印象もあるが、その中に確かに何か新しいものの息吹を感じさせるに充分なものだった。特に「Great King Rat」や「My Fairy King」、「Liar」といった楽曲のドラマティックな展開は特筆に値するもので、ファンタジー的要素も感じさせて初期のクイーンの魅力を象徴するものと言えるだろう。

 冒頭を飾る「Keep Yourself Alive」はシングルとしても発表され、日本では「炎のロックン・ロール」というタイトルが与えられた。ロックン・ロール基調の「ハード・ロック」の楽曲だが、そのたたみかけるような演奏、特にブライアン・メイの奏でるギター・サウンドの魅力を存分に感じることのできる佳品だ。ロジャー・テイラーのペンによる「Modern Times Rock'n'Roll」はヴォーカルもロジャーが担当し、彼の音楽的指向を如実に表した魅力的なロックン・ロールを聴くことができる。クイーンの前身である「スマイル」時代からのレパートリーだったという「Doing All Right」は、静けさから一転して激しさへと高まる展開が魅力だ。タイトル通りに夜の帳(とばり)を思わせる「The Night Comes Down」や、雄大な印象の「Jesus」など、それぞれに魅力的な楽曲が並ぶ。

 このデビュー・アルバムで聴かれるクイーンの音楽は、華麗でドラマティックな印象に彩られている。その印象はフレディーの圧倒的な歌唱力とブライアン・メイの奏でるギターの多彩なフレーズの数々とその音色に依るところが大きいだろう。誇らしげに「nobody played sythesizer」と表記されていたのもブライアンのギター・サウンドの多彩さを物語っている。随所で聴かれるコーラスやピアノなどもまた従来の「ハード・ロック」とは一線を画した新しさを感じさせるのに充分なものと言える。緻密で緊張感に富み、少しばかり幻想的な印象は「プログレッシヴ・ロック」の味わいも感じさせてファンを惹きつけるものだった。当時、クイーンのメンバー自身も自らの音楽を「単なるハード・ロック以上のもの」と豪語していたように思う。

 その一方で、そのあまりに流麗な印象のためか、ブルースを基調にした「ハード・ロック」に特有の匂い、いわば生身の手触りというのか、「ロック」としてのゴリゴリとした感触に乏しく、そういった点に物足りなさを感じることもないわけではなかった。フレディーがフェイバリット・アーティストとして往年のブルース・シンガーやロックン・ローラーでなくライザ・ミネリの名を挙げていたのも、当時の「ブリティッシュ・ハード・ロック」のファンにとって少しばかりの戸惑いを与えるものではあった。

 クイーンの音楽に見られたそうした特徴、従来の「ハード・ロック」と異なる要素は、やがて次第に明確なものになってゆき、四枚目の作品である「オペラ座の夜」に至って大きく開花することになるのだが、このデビュー・アルバムに於いてはそのわずかな兆しが感じ取られるだけに過ぎない。このアルバムによってデビューしたクイーンは、当時はあくまで「ブリティッシュ・ハード・ロック」の「新たな世代」のスタイルだったのだった。

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 ジョン・ディーコンの名が「Deacon John」と印刷されていたり、ロジャーの名に「Meddows」の表記があるところなどは、このアルバム発表当時を経験した者にとって懐かしい事柄だろう。ブライアンの使用するギターが百年以上を経た暖炉の木で作ったハンド・メイドのものだったとか、ロジャーが歯科医大生であるとか、ジョンが電子工学の名誉学位を持っているとかといったエピソードが音楽雑誌で話題になったことも、当時を知るファンは懐かしく思い出すに違いない。レッド・ツェッペリンやキング・クリムゾン、イエスらのアルバムに混じってクイーンのデビュー・アルバムが音楽雑誌の広告ページを飾っていたことを覚えているファンも少なくないだろう。

 「ボヘミアン・ラプソディ」によってクイーンを知ったファン、あるいはクイーンのデビュー当時を知らない若いファンの目から見れば、デビュー・アルバムに聴かれる彼らの音楽はもしかしたら同じバンドの音楽とは思えないものであるかもしれない。まだまだ荒削りで、未熟で、オリジナリティが確立されておらず、他の「ハード・ロック」との差があまり感じられないものに聞こえるかもしれない。

 しかし当時のクイーンが「ブリティッシュ・ハード・ロック」を正統的に受け継ぐであろう、期待のニュー・アーティストであったことは間違いなかった。英国のロックを愛する者たちにとって、クイーンの音楽の内包する可能性は、その将来に大きな期待を抱かせるものだった。変幻自在にさまざまな表情を見せるフレディーの歌唱、縦横無尽に飛び交うブライアンのギター、重厚に軽快にリズムを刻むロジャーとジョン、彼らのデビューは当時の「ブリティッシュ・ロック」の新たな可能性そのものだった。そして続くセカンド・アルバムは、ファンのそうした期待に応えて余りあるものだったのである。