Sheer Heart Attack / Queen
1.Brighton Rock
2.Killer Queen
3.Tenement Funster
4.Flick of the Wrist
5.Lily of the Valley
6.Now I'm Here
7.In the Lap of the Gods
8.Stone Cold Crazy
9.Dear Friends
10.Misfire
11.Bring Back That Leroy Brown
12.She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes)
13.In the Lap of the Gods...Revisited
Roger Taylor : drums, vocals, percussion, screams.
Freddie Mercury : vocals, piano, jungle piano, vocal extravaganzas.
John Deacon : bass guitar, double bass, acoustic guitar, almost all guitar on "Misfire".
Brian May : guitars, vocals, genuine George Formby ukelele-banjo, guitar orchestrations.
Produced by Roy Thomas Baker and Queen
1974
2.Killer Queen
3.Tenement Funster
4.Flick of the Wrist
5.Lily of the Valley
6.Now I'm Here
7.In the Lap of the Gods
8.Stone Cold Crazy
9.Dear Friends
10.Misfire
11.Bring Back That Leroy Brown
12.She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes)
13.In the Lap of the Gods...Revisited
Roger Taylor : drums, vocals, percussion, screams.
Freddie Mercury : vocals, piano, jungle piano, vocal extravaganzas.
John Deacon : bass guitar, double bass, acoustic guitar, almost all guitar on "Misfire".
Brian May : guitars, vocals, genuine George Formby ukelele-banjo, guitar orchestrations.
Produced by Roy Thomas Baker and Queen
1974
「Sheer Heart Attack(シアー・ハート・アタック)」と題されたクイーンのサード・アルバムを、本当によく聴いた。「擦り切れるほど聴く」という表現があった(おそらく今は無いだろう)が、まさに当時のLPレコードはあまりに聴きすぎたたために「擦り切れて」しまった。当時使っていたオーディオセットは安価なもので、針圧の調整もできないような代物だったから、粗悪なレコード針が終始過大な針圧でレコードの溝を削り続け、結果、溝の表面が磨り減ってしまったのだ。音が割れて、音楽の上にノイズのヴェールを被せたような、劣悪な再生音になってしまった。それほどまでに、このアルバムを繰り返し聴いた。
「Sheer Heart Attack」が発売されたのは1974年11月、日本ではやや遅れて同年12月のことだ。このアルバムから先行シングルとして発売された「キラー・クイーン」は英国本国でもヒットし、日本でも1975年春頃の大ヒット曲になった。アルバムそのものも好セールスを記録し、特にアメリカの音楽市場では初めて成功したクイーンのアルバムだったと言っていいし、そしてまた英国本国でも、ようやくクイーンが認められることになったアルバムだった。デビュー時からクイーンを応援していたファンの立場としては、それはもちろん嬉しいことだった。自分たちの信じた音楽がようやく認められ、成功を掴もうとしている。英国の某評論家の口に帽子を押し込んでやりたい気分だった。
アルバム「Sheer Heart Attack」は前2作とはずいぶんと印象の違う作品だった。ファースト・アルバムもセカンド・アルバムも、「ハード・ロック」の演奏形態に「プログレッシヴ・ロック」のイディオムを融合させたような、独特な音楽性が特徴だった。劇的で幻想的なモチーフで造られた楽曲群が巧みに配されて構成されたアルバムは、まるで「コンセプト・アルバム」であるかのような統一感のもとに「作品」としての形を成し、その音楽の宇宙の中に幻惑の異世界を現出し、聴き手を遙かな異郷の地平へと連れ去ってくれた。英国の「ハード・ロック」と「プログレッシヴ・ロック」を愛したファンたちは、クイーンの音楽が紡ぎ上げるそうした幻惑の音宇宙を愛し、その中に身を委ねて音楽に酔った。しかし、この「Sheer Heart Attack」にそうした幻惑的な音宇宙は存在していなかった。
「Sheer Heart Attack」に於いて、クイーンの音楽が幻惑の異郷を後にして現実世界に降り立ったのは明らかだった。「Sheer Heart Attack」の中には、もはや人喰い鬼もライの七つの海も存在していないのだ(「Lily of the Valley」の歌詞には「ライの王」や「七つの海」が登場するが、音楽の佇まいにはかつての幻想性は感じられなかった)。それを惜しむ気持ちも確かにあった。もっともっとあの幻想世界で遊ばせて欲しいという気持ちは確かにあった。しかし、そうした僅かな落胆を補って余りある魅力が、「Sheer Heart Attack」にあったのもまた確かだった。
「Sheer Heart Attack」は、クイーンというロック・バンドの真の姿をファンの前に披露してくれたアルバムだったと言ってもいい。もちろん前2作がクイーンの真の姿ではなかったということではない。しかしあの幻想的な色彩に覆われた音楽世界は、敢えて言うなら自らを演出し、自らの音楽に「幻想的で劇的な表情を持つ、斬新なハード・ロック」という在り方を課した結果だったのではないか。もちろんそれはそれで素晴らしい作品だったが、前2作の音楽はクイーンというバンドの持つ魅力、その実力の片鱗を見せられたに過ぎなかったのではないか。「Sheer Heart Attack」を聴いた後では、そんなふうにさえ思えてしまったのだ。「Sheer Heart Attack」は、クイーンというバンドがいよいよその懐の深さを惜しげもなく披露し、その実力を存分に発揮し、「自分たちのやりたい音楽をやったのだ」という感触があった。そうした意味で、「Sheer Heart Attack」はクイーンというバンドが、ようやくその真の姿をファンの前に晒したアルバムだったのではないかと思うのだ。
当時、クイーンは「ハード・ロック・バンド」だったが、彼らの音楽が「ハード・ロック」の枠に収まりきれないものであることは、もはや明白だった。前2作の音楽も「ハード・ロック」と呼ぶには違和感のあるものだったが、「Sheer Heart Attack」に於いてはもはやそのような段階ではなかった。前2作では「幻想的で劇的で緊張感漲る華麗なハード・ロック」の意匠の中に織り込まれていた多種多様な音楽要素が、ここではっきりと形を与えられて明示されたかのようだった。エキサイティングなハード・ロックから軽妙なポップ・ソングまで、さまざまな曲想の楽曲を収録した「Sheer Heart Attack」は、クイーンというバンドが「ロック」という音楽に対して他のロック・ミュージシャンとは異なった姿勢で向き合っていることを如実に示した作品だった。そうした傾向は、特にフレディ・マーキュリーの楽曲に於いて顕著だった。「Sheer Heart Attack」というアルバムを初めて耳にしたとき、フレディ・マーキュリーがフェイバリット・アーティストとしてライザ・ミネリの名を挙げていたことを思い出したファンは少なくなかったろう。
「Sheer Heart Attack」では「Brighton Rock」と「Now I'm Here」、「Dear Friends」、「She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes)」をブライアン・メイが、「Killer Queen」と「Flick of the Wrist」、「Lily of the Valley」、「In the Lap of the Gods」、「Bring Back That Leroy Brown」をフレディ・マーキュリーが書いた。「Stone Cold Crazy」は4人の共作、「Tenement Funster」はロジャー・テイラーが書き、「Misfire」はジョン・ディーコンによる作品だった。ブライアンの楽曲はギター・ミュージック的な感触が強く、ロジャーの楽曲は基本的にロックン・ロールで、フレディ・マーキュリーの楽曲は表情豊かなポップ・ソングという傾向はこれまでと同じで、それがアルバム全体の表情の豊かさを生むことにもなっていた。ジョンのペンによる楽曲が初めて収録されたことも、当時ファンの間で話題になった。ジョンの楽曲は軽快なポップ・ソングで、彼のソングライティングの能力が高く評価されたものだった。
Brighton(ブライトン)というのは、英国イングランド南東部の海岸に位置する町のことだ。リゾート地として知られ、ホテルやレストラン、パブ、遊園地といった施設が数多い。映画「さらば青春の光」を見た人ならモッズとロッカーズの乱闘があった町として知っているに違いない。「Brighton Rock」の「Brighton」は、その町の名だろう。歌詞は少々わかりにくいが、楽曲自体はブライアン・メイのギター演奏をメインに据えたハード・ロックだ。イントロ部では遊園地の音らしい効果音が用いられている。この効果音から始まる「ブライトン・ロック」の冒頭部分を聴くと、かつて購入したばかりのLPレコードに、期待に胸を膨らませて針を下ろしたときのことを思い出す。ファースト・アルバム、セカンド・アルバムと続けて華麗なハード・ロックで幻惑の世界を見せてくれたクイーンのサード・アルバムはどのようなものなのだろうと、大きな期待を胸に抱えてレコードに針を下ろした。そして聞こえてきたのが、この「ブライトン・ロック」だった。あのときの興奮を今も忘れない。
効果音に続いて響き渡るブライアン・メイのエッジの効いたギターが、「ロック・アルバム」としての「Sheer Heart Attack」のすべてを物語っていた。幻想性のヴェールを剥ぎ取った、ダイレクトに響く「クイーンのロック」がそこにはあった。エキセントリックにエッジを効かせたブライアンのギター・プレイは日本の津軽三味線を彷彿とさせる奏法が用いられている部分もあり、「津軽じょんからギター」などと言われたものだった。そうした奏法も斬新だった。ブルース・ロック系のハード・ロックとはまったく方法論の異なるハード・ロックに、興奮を感じながら聴き入ったことを思い出す。
「Killer Queen」はアルバムを聴く前に先行シングルとして耳にしていた。この楽曲の印象から、前2作からはかなり印象の違うものになるのだろうと、サード・アルバムの全体像もある程度は予想できた。それは言うなれば、ロックとしての意匠と高度な演奏技術に裏付けられたエンターテインメントとしてのポップ・ミュージックへの昇華、といったものだ。その象徴が「Killer Queen」だと言っていい。音楽的にはかなり複雑で高度なテクニックが駆使されているにもかかわらず、聴くものにそれを感じさせることなく、耳に馴染むポップ・ソングとして成立している。「Killer Queen」は「ロック」というものにあまり興味のない洋楽ファンにも聞かれ、クイーンの名を音楽シーンに広く知らしめた楽曲になった。例えば「1970年代のヒット曲集」といったテーマのコンピレーションCDや書籍などで取り上げられるクイーンの楽曲はたいていは「ボヘミアン・ラプソディ」か「キラー・クイーン」だ。クイーンの代表曲のひとつであることはもちろんだが、それと同時に、当時の「ヒット・ポップス」の代表曲のひとつでもあるのだ。
「Tenement Funster」から「Flick of the Wrist」、「Lily of the Valley」の3曲は楽曲のエンディングとオープニングが重なり、メドレーのような形で構成されていた。「Tenement Funster」は3分足らず、「Flick of the Wrist」も3分強、「Lily of the Valley」に至っては2分足らずと、それぞれに演奏時間の短い楽曲だったからこうした構成が成されたのかもしれない。「Tenement Funster」はロジャーが書き、ロジャーがリード・ヴォーカルをとった楽曲で、ヘヴィな感触のロックだ。当時、そして今も、ロジャーによる楽曲「Tenement Funster」が大好きだった。「Sheer Heart Attack」というアルバムの中でどの楽曲がいちばん好きかと問われれば、少しだけ迷って「Tenement Funster」を挙げるかもしれない。この楽曲に漂うヘヴィな「ロックの匂い」が好きだ。ロジャーのヴォーカルも、ブライアンのギターにも、ジョンが刻むベースのリズムにも、ハードでメタリックな「ロックの匂い」が濃厚に漂っている。その「匂い」が、やはり好きだ。「Flick of the Wrist」は少しばかり複雑な構成の楽曲で、変幻自在に表情を変える曲想が面白い。「Lily of the Valley」はピアノ演奏とヴォーカルによるリリカルなバラードだ。「Lily of the Valley」には「谷間のゆり」という邦題が付けられていたが、「Lily of the Valley」というのは「すずらん」を指す言葉だ。「Lily of the Valley」の歌詞中には「ライの王」や「七つの海」などが登場し、前作との繋がりを感じさせるものの、音像の表情には前作のような幻想性は見られない。
「Now I'm Here」は「Killer Queen」に続いてシングルとして発売された楽曲だった。ブライアンのペンによるハードなロックン・ロールで、雄大なスケール感が特に日本のファンに好まれた楽曲だった。疾走感を伴った、かなりハードでヘヴィな演奏だが、やはり「クイーン・サウンド」とでも言うべき独特の感触があり、ブルース・ロック系の「ハード・ロック」とは異質の、流麗な印象を持っている。
「Now I'm Here」がフェイド・アウトしてゆくとLPのA面は終わりだった。プレイヤーのアームを戻し、LPレコードを裏返し、B面へと針を下ろす。そしてB面を冒頭を飾ったのが「In the Lap of the Gods」だ。「神々の業(わざ)」という邦題が秀逸だった。エキセントリックな叫び声から始まるこの楽曲は、やがてゆったりとして壮大な印象へと曲想が変化する。
そして「In the Lap of the Gods」が終わるとその余韻も消えぬうちに「Stone Cold Crazy」だ。メンバー4人の共作によるこの楽曲は、初めて聴いた時にはずいぶんと衝撃的だった。スピーディにエキセントリックに展開するロックン・ロールで、ハードでヘヴィな演奏とフレディの「早口な」歌唱との組み合わせが斬新だった。唐突な終わり方も面白かった。短い楽曲だが、かなり強烈な印象を残す楽曲だ。個人的にはこの楽曲が大好きだった。「Sheer Heart Attack」というアルバムの中でどの楽曲がいちばん好きかと問われれば、つまり「Tenement Funster」と「Stone Cold Crazy」とで迷うのだ。けっきょく当時は「ハード・ロック」が大好きだったわけで、クイーンというバンドにも「ハード・ロック」を求めていたのだ。
「Dear Friends」から「Misfire」、「Bring Back That Leroy Brown」と、ポップな楽曲が並ぶ。ブライアン・メイによるしっとりとした「Dear Friends」、ジョン・ディーコン作の軽快な「Misfire」と続き、フレディ作の「Bring Back That Leroy Brown」だ。この「Bring Back That Leroy Brown」は、ある意味で「Sheer Heart Attack」というアルバムの中で最も衝撃的な楽曲だったかもしれない。ヴォードヴィル調のその楽曲は、「ロック・バンド」の演奏としてはかなり異質なものだ。この楽曲を初めて耳にしたとき、フレディ・マーキュリーというヴォーカリストが裾野の広いポップ・エンターテインメントのシンガーであることを改めて認識することになった。彼は「ライザ・ミネリ」を目指している、彼はミック・ジャガーやロバート・プラントを目指してはいない、彼は決して「ロック・ヴォーカリスト」ではないのだ、と。そしてそのことが、以後のクイーンの音楽性をさらなる深みへ、さらなる高みへと導いてゆくことになるのだ。当時も今も、この楽曲が嫌いではない。しかししつこいようだが、個人的には当時クイーンに「ハード・ロック」を求めていたのだ。
アルバムのクライマックスはブライアン・メイによる楽曲、「She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes)」だ。派手な曲ではないが雄大なスケール感を持ち、少しばかり幻惑的な表情を携えている。リード・ヴォーカルもブライアンが担当しており、ギターを中心としたサウンド・メイキングと彼の歌唱がよく似合って印象的な表情を見せる。やがて吐息のような効果音と共に「She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes)」がエンディングを迎えると「In the Lap of the Gods...Revisited」だ。タイトルからもわかるように「In the Lap of the Gods」の再演だが、こちらはエキセントリックなアレンジはなされておらず、ゆったりとたゆたうような穏やかな印象のバラードとして仕上げられており、後半部分ではコーラスが加えられ、アルバム最後を飾るのに相応しいドラマティックな曲想が与えられている。爆発音のような効果音で楽曲が終わるのも意表を突くエンディングで素晴らしかった。楽曲が終わってもなお、その余韻に浸りながらクイーンの音楽世界の魅力を味わったものだった。
「Sheer Heart Attack」は雄大でドラマティックなハード・ロックからヘヴィでエキセントリックなロックン・ロール、親しみやすく軽やかなポップ・ソング、リリカルなバラードまで、さまざまな曲想の楽曲が収録されているが、その全てが「クイーン・サウンド」に収束し、アルバム全体が引き締まった表情を見せて散漫さを微塵も感じさせない。ありとあらゆる音楽要素が「ロック・ミュージック」の意匠の元に集約され、「クイーン・ミュージック」に昇華される、それこそがクイーンの音楽の最大の魅力だったろう。フレディの変幻自在な歌唱とそれを支えるメンバーたちの卓越した演奏が彼らの音楽を唯一無二の「ロック・ミュージック」として成立させ、「ロック」を超えたコンテンポラリーな「ポップ・エンターテインメント」としての「ロック・ミュージック」たらしめているのだ。今やクイーンが唯一無二の「ロック・バンド」に成長したのは明かだった。彼らは1960年代の呪縛から解き放たれた新しい世代のロック・ヒーローだった。
当時、夢中になって「Sheer Heart Attack」を聴きながら、思ったものだ。「クイーンは、この後、どのような音楽を造り上げてくれるのだろうか」と。「Sheer Heart Attack」を聴きながら待つクイーンの次作は、もしかしたら個人的には最も「心待ちにした」作品だったかもしれない。そしてやがて届けられるのが名曲「Bohemian Rhapsody」と、それを収録した「A Night At The Opera」だった。初期クイーンを愛するファンから絶大な支持を受けるセカンド・アルバムと、名作として名を残す「A Night At The Opera」との間で、「Sheer Heart Attack」は今では少しばかり目立たなくなり、過小評価されているような側面もあるかもしれない。しかし、賛否が渦巻いたデビューから「A Night At The Opera」の高みへと至る飛躍の軌跡の中に「Sheer Heart Attack」が位置していることは確かだ。ロック・シーンの頂点へと飛躍するための、まさにその跳躍の瞬間だったかもしれない。
This text is written in November, 2007
by Kaoru Sawahara.
by Kaoru Sawahara.