Argus / Wishbone Ash
1.Time Was
2.Sometime World
3.Blowin' Free
4.The King Will Come
5.Leaf And Stream
6.Warrior
7.Throw Down The Sword
Steve Upton : drums and percussion on all tracks.
Martin Turner : bass guitar on all tracks.
Andy Powell : lead guitar on "Time Was", "Sometime World"(second passage), "Blowin' Free", "Leaf And Stream", "Warrior" and "Throw Down The Sword".
Ted Turner : lead guitar on "Sometime world"(first passage), "Blowin' Free"(guiet passage and slide guitar), "The King Will Come" and "Warrior".
Produced by Derek Lawrence
1972 Decca
2.Sometime World
3.Blowin' Free
4.The King Will Come
5.Leaf And Stream
6.Warrior
7.Throw Down The Sword
Steve Upton : drums and percussion on all tracks.
Martin Turner : bass guitar on all tracks.
Andy Powell : lead guitar on "Time Was", "Sometime World"(second passage), "Blowin' Free", "Leaf And Stream", "Warrior" and "Throw Down The Sword".
Ted Turner : lead guitar on "Sometime world"(first passage), "Blowin' Free"(guiet passage and slide guitar), "The King Will Come" and "Warrior".
Produced by Derek Lawrence
1972 Decca
「Argus(アーガス)」とは、ギリシャ神話に登場する百眼の巨人のことだ。神殿の巫女イオを見そめたゼウスが、その関係を妃ヘラに怪しまれ、イオを雌牛の姿に変えてヘラの嫉妬をかわそうとする。疑り深いヘラはイオの化身である雌牛に見張りを付ける。この見張りの役に任ぜられたのが、百の眼を持つというアーガス(「アルゴス」とも言う)である。そうしたことからか、「argus」という単語には「見張り」という意味もあるらしい。
ウィッシュボーン・アッシュの三作目のアルバム作品は、その「Argus」をタイトルにして1972年に発表された。アルバムジャケットには丘の上から谷間に眼を向ける古代の戦士の姿がある。その視線の先に繋がるジャケットの裏を見れば、実は戦士の見やる方向には山々の間に浮かぶUFOの姿があるという、なかなか幻想的なジャケットだ。ヒプノシスの担当したデザインのジャケットだが、このジャケットの素晴らしさもまた、「Argus」という音楽作品の素晴らしさに一役買っているという気がする。
「Argus」、邦題を「百眼の巨人アーガス」とされた、このアルバムの収録曲は全部で7曲、そのタイトル(括弧内は邦題)を見てみると「Time Was(時は昔)」、「Sometime World(いつか世界は)」、「Blowin' Free(ブローイン・フリー)」、「The King Will Come(キング・ウィル・カム)」、「Leaf And Stream(木の葉と小川)」、「Warrior(戦士)」、「Throw Down The Sword(剣を棄てろ)」と、幻想的で神話的な物語性を暗示する言葉が並ぶ。音楽自体もまた、各楽曲のタイトルが意味する通りに物語性を秘めたドラマティックなもので、そのためにこのアルバムは物語性を持ったコンセプト・アルバムだと解釈されることが少なくない。
しかし実はそうではないらしい。2002年に発売された「30thアニバーサリー・エディション」CDに於ける Leon Tsilis氏の解説(若月眞人氏訳)によれば、アルバム制作時から意図的なコンセプトがあったわけではなく、結果的にコンセプチュアルなアルバムに仕上がっただけだと、アンディ・パウエルが語っているという。
アルバム作品を纏め上げるコンセプトが、アルバム制作にあたって当初から意図されたものであるにせよ、あるいは結果的にそうなったものであるにせよ、アルバム「Argus」が神話的な世界観に基づく統一された色彩に包まれていることは確かだ。「コンセプト・アルバム」として意図的に制作されたものでなくとも、結果的に完成された作品にひとつのコンセプトを感じ取り、ひとつのストーリーを見いだし、観賞する側である我々がそれぞれに作品の魅力を味わうことは決して間違ったことではない。アルバム「Argus」の最大の魅力のひとつが、アルバム全体に漂う神話的な物語性にあることは多くのファンが認めるところだ。
神話的な世界観に基づいた物語性や幻想性を携えたロック・ミュージックというものは、当時「プログレッシヴ・ロック」の「御家芸」でも言うべきものだった。初期のキング・クリムゾン、イエスといったバンドを筆頭に、「プログレッシヴ・ロック」として見なされたバンドの多くが、神話的な幻想性を漂わせた音楽によって数々の「名作」を発表していた時代だ。そうした「プログレッシヴ・ロック」のバンドたちのほとんどは、シンセサイザーやメロトロン、あるいはフルートやヴァイオリンなども使用した演奏で、自らの音楽に幻想的な色彩を与えていた。そうした楽器群による幻惑的な音像が、聴き手に幻想的で映像的なイメージを想起させるのに重要な役割を果たしていたことは確かだ。
ところが、ウィッシュボーン・アッシュの音楽はそうではなかった。ふたりのギタリストとベーシスト、そしてドラマーという四人編成のウィッシュボーン・アッシュの音楽はシンプルなギター・ミュージックだった。シンセサイザーやメロトロンの幻惑的な響きも、フルートやヴァイオリンの色彩豊かな表情も無く、それどころかオルガンやピアノといった楽器さえ用いられてはいなかった。そしてまたその奏法自体もシンプルでダイレクトなものだった。決して斬新で実験的な奏法が試みられたり、クラシック音楽の要素を大々的に取り込んでいるというものでもなかった。その音楽はギター演奏を主体としたシンプルなロック・ミュージック以外の何物でもなかった。であるにも関わらず、「Argus」の音楽はドラマティックな展開を見せて聴き手を遙かな異世界へと誘う。その音楽の中心に据えられたものはシンプルでダイレクトなギター・サウンドだが、その表情は豊かで、リリカルな繊細さとドライヴ感覚溢れる力強さが同居し、哀感を漂わせた美しいメロディとロック・ミュージックとしてのダイナミズムが同居する。ギターとベースとドラムというシンプルな楽器構成によって演奏されるロック・ミュージックが、これほど劇的で示唆に富み、奥深く物語性を暗示する音楽として具現化されていることは驚異的なことだと言っていい。
当時、そしておそらく今も、ウィッシュボーン・アッシュというバンドは「ブリティッシュ・ハード・ロック」の分野に位置するバンドだと捉えられてきた。しかし、その音楽のもたらす印象は「ハード・ロック」の持つ荒々しくアグレッシヴな魅力とはかなり異なったところにあった。ドライヴ感溢れる演奏の中にも繊細な静謐さを感じさせる演奏は透明感に溢れ、雄大なスケール感を伴った叙情性を醸し出し、聴き手の心の中に異郷の地平を見せてくれる。当時、「ライバル視するグループはいるか」との問いに対して、インタビューに応じたウィッシュボーン・アッシュのメンバーは、いわゆる「ハード・ロック」のバンドではなく、「プログレッシヴ・ロック」の分野に位置するグループの名を挙げていたことを印象深く憶えているが、そうしたエピソードからも当時のウィッシュボーン・アッシュの目指していた音楽がどのようなものだったか、垣間見える。そしてそのような彼らの目指した音楽が、ひとつの頂点として結実したのが、この「Argus」だったのではないか。
「Argus」が制作当初から「コンセプト・アルバム」として考えられた物ではなく、結果的にそうなったものであるとすれば、「Argus」を構成する7曲の収録曲の「曲順」は充分すぎるほどに検討され、練り上げられたものであるに違いない。各楽曲そのものの魅力ももちろんだが、この作品に物語性を感じさせる「コンセプト・アルバム」的な魅力を与えている大きな要素のひとつが、その秀逸な収録曲の「曲順」だと言っていい。
繊細でリリカルな印象を湛えた穏やかなギター・サウンドによる「Time Was」の冒頭部は、まさに「物語」のプロローグのようだ。「Time Was」はやがてドライヴ感溢れる力強い演奏へと展開するが、いよいよ「物語」の始まりを感じさせて興奮を誘われる。「Sometime World」、「Blowin' Free」と続く中で、「物語」も進行し、「The King Will Come」でひとつの「山場」を迎える。「物語」は哀感に満ちた「Leaf And Stream」へと引き継がれ、そしていよいよクライマックスの「Warrior」だ。力強い演奏の中に哀しみが滲む曲想が素晴らしい。「Throw Down The Sword」は「物語」のエピローグと言っていいだろう。壮大な物語世界がゆっくりと終息を迎える。各楽曲の曲想が互いに呼応し、イメージが引き継がれ、増幅し、聴き手の中にコンセプチュアルなイメージを喚起してゆく構成は見事という他はない。
各楽曲の歌詞をよく見てみれば、確かにアルバム全体でひとつのストーリーを紡ぐような「コンセプト・アルバム」ではない。しかし、その音楽の醸し出す表情は間違いなく聴き手の心の中にひとつの「世界」を現出し、ひとつの「物語」を描き出す。それは遙かな時の彼方、異郷の地の、闘いの物語だろうか。静かで穏やかな世界に訪れる争いの予感、避けられぬ運命の時、来るべき王の行軍、しかし争いは何を産むのか、決して世界は争いを求めてはいない。しかし闘わなくてはならない。戦士でなくてはならない。闘いには勝利したのか。あるいは敗北だったのか。終わってしまえば勝利にも敗北にも意味はなく、争うことの虚しさだけが残り、そして世界は無常だ。この音楽作品が喚起するイメージはそのような奥深い世界だ。壮大なストーリーを感じさせながら、争いの虚しさ、人々の哀しみ、そして世の無常感までも、その音楽は聴き手の心の中に喚起してくれる。
斬新で実験的な音楽ではなく、種々の楽器を駆使した幻惑的な音像にも頼らない、ギター・サウンドを中心に据えたシンプルでダイレクトなロック・ミュージックでありながら、その音楽が壮大で奥深い物語世界を聴き手の前に提示してみせるのは、言うまでもなく、ウィッシュボーン・アッシュというバンドの演奏そのものの魅力による。アルバム全体に漂う神話的な物語性、コンセプチュアルな構成の妙といったものは、すべて彼らの演奏そのものの魅力によってこそ、成立している。特にふたりのギタリスト、アンディ・パウエルとテッド・ターナーの奏でるギター・サウンドこそは、そうした彼らの音楽の魅力の要と言っていい。彼らのギターが紡ぎ出す繊細で哀感を含んだ美しい旋律の数々、透明感に満ちて静謐な空気感を漂わせた音色、そして時に力強く躍動感に溢れ、聴き手を引っ張ってゆく雄弁さを携えた演奏のダイナミズムが素晴らしい。そのギター・サウンドがスティーヴ・アプトンのドラムとマーティン・ターナーのベースに支えられ、ウィッシュボーン・アッシュというバンドの音楽を生み出し、その音楽をこれほどの高みに導いている。
シンプルな楽器構成でありながら、彼らの音楽の何と色彩豊かで、表現力に富んでいることだろうか。例えば「The King Will Come」に於けるフェイド・インによるイントロの何とドラマティックなことか。その演奏はまさに「王の行軍」を思わせるではないか。そしてまさに王がやってくる。イントロ部の演奏が徐々に高まってテーマのリフが奏でられるときの展開はとてもスリリングで、何度聞いても「血が沸き立つ」ような興奮を覚える。あるいは「Leaf And Stream」の哀感を携えた透明な静謐さはどうだ。哀しさの中にも何か決然としたものを感じさせる奥深さが素晴らしい。そしてまた「Warrior」の素晴らしさはどうだ。決然とした力強さの中に潜む哀感、闘うことの虚しさを知りながらも闘う他にない哀しささえ、その音楽は感じさせてくれるではないか。ラストを締めくくる「Throw Down The Sword」に秘められたドラマの壮大さはどうだ。まるで葬送曲を思わせるイントロ部が象徴的だ。闘いの後の虚しさ、哀しみを湛え、その向こうに世界の無常を描き出す曲想の何とドラマティックであることか。人々の嘆きのようなギターの音色に胸が熱くなる。シンプルなギター・ミュージックがこれほど物語性を感じさせる奥深い音楽として結実している例はなかなかない。
「プリティッシュ・ハード・ロック」の裾野に捉えられるウイッシュボーン・アッシュだが、叙情的で哀感を含んだ雄大なスケール感を持った音楽性によって、かなり特異なスタンスにあった気がする。いわゆる「プログレッシヴ・ロック」の数々のスタイルの中でも、叙情的で神話的なイメージに重きを置いていたスタイルと、彼らの音楽は共通するものを持っていたかもしれない。「百眼の巨人アーガス」は、そのような彼らの、まさに最高傑作と言っていいだろう。ウィッシュボーン・アッシュというバンドの最高作というばかりでなく、1970年代の「ブリティッシュ・ロック」に於ける名作中の名作のひとつであり、そしてまた「ロック・ミュージック」というものの到達した頂点のひとつとして、時代の中に風化しない普遍的な魅力を持った傑作である。
This text is written in March, 2006
by Kaoru Sawahara.
by Kaoru Sawahara.