多摩市南野
一本杉公園
Visited in April 2023
多摩市南野二丁目の中央部に一本杉公園という公園が設けられている。1981年(昭和56年)に開園した公園で、10haを少し超えるほどの面積を有している。園内には野球場やテニスコートが設けられている他、昔ながらの多摩丘陵の姿も残し、「多摩よこやまの道」の一部を兼ねてもいる。緑濃い園内は四季折々に美しい表情を見せ、市民の憩いの場として親しまれている公園だ。
一本杉公園の位置する多摩市南野は多摩市の最南端部に当たり、公園南側には町田市小野路町が隣接している。多摩ニュータウンは多摩丘陵を開発して造成されたニュータウンだが、町田市小野路町周辺には今でも昔ながらの多摩丘陵の自然がよく残っている。
多摩市南野の辺りは1973年(昭和48年)に町田市の小野路町と下小山田町の一部が多摩市に編入されたもので、編入当初は「多摩市小野路町」の町名も存在した。「南野」の町名が誕生するのは1975年(昭和50年)のことだ。多摩市の南部に位置することと、小野路の「野」からの命名であるという。
小野路という名はかつて武蔵国府のあった小野郷へ至る道が通っていたことに由来するが、その道は小野郷と鎌倉とを繋ぐ、いわゆる鎌倉道で、現在の南野のあたりを抜けていたらしい。鎌倉道がその役割を十分に果たしていた頃、小野路は宿場として大いに賑わったという。この鎌倉街道の古道はすっかり歴史の中に埋もれてしまった観もあるが、小野路やこの一本杉公園の雑木林の中に今でもその名残を見つけることができるのだという。
現在の南野の辺りは当時の村境に近く、街道沿いに大きな一本杉があったのだそうだ。それがこの公園の名の由来だが、その一本杉はすでに無い。狐に化かされた人の話や悪戯や難問を出して人を困らせる天狗の話など、一本杉にまつわるさまざまな言い伝えや物語もあるらしい。
多摩市南野の辺りは1973年(昭和48年)に町田市の小野路町と下小山田町の一部が多摩市に編入されたもので、編入当初は「多摩市小野路町」の町名も存在した。「南野」の町名が誕生するのは1975年(昭和50年)のことだ。多摩市の南部に位置することと、小野路の「野」からの命名であるという。
小野路という名はかつて武蔵国府のあった小野郷へ至る道が通っていたことに由来するが、その道は小野郷と鎌倉とを繋ぐ、いわゆる鎌倉道で、現在の南野のあたりを抜けていたらしい。鎌倉道がその役割を十分に果たしていた頃、小野路は宿場として大いに賑わったという。この鎌倉街道の古道はすっかり歴史の中に埋もれてしまった観もあるが、小野路やこの一本杉公園の雑木林の中に今でもその名残を見つけることができるのだという。
現在の南野の辺りは当時の村境に近く、街道沿いに大きな一本杉があったのだそうだ。それがこの公園の名の由来だが、その一本杉はすでに無い。狐に化かされた人の話や悪戯や難問を出して人を困らせる天狗の話など、一本杉にまつわるさまざまな言い伝えや物語もあるらしい。
広い公園は「一本杉公園通り」に隔てられて南北に分かれている。北側の公園のメインとなる部分には一本杉球場とテニスコートが設けられている。
一本杉球場は高校野球の地区予選も開催される球場だが、一般利用も可能で、普段は長閑な印象の小さな野球場である。この一本杉球場、往年の野球ファンには1985年(昭和60年)に江夏豊の引退試合「たったひとりの引退式」が行われた球場として記憶に残っているかもしれない。江夏豊の引退についての詳細の説明は割愛する(興味のある人は調べてみてほしい)が、その引退試合のために約16,000人の観衆がこの球場に集まったそうである。
球場の西側、小高い丘になったところにこんもりと美しい半球状の枝を張った大きな樹木の姿が見える。これは多摩市の天然記念物にも指定されているスダジイの巨木で、幹の周囲は約3.6メートル、高さ約16メートル、枝張り約11メートルあるそうだ。かつての多摩丘陵の面影を伝える貴重な樹木だ。
スダジイは暖地に分布するブナ科の常緑高木、秋にはドングリが実る。四月下旬、スダジイは早くも花の盛りで、栗の花にも似た独特の香りを漂わせていた。
球場の北側には一段低くなってテニスコートがあり、その西側には「石の広場」という一角がある。その名の通り、石造りのオブジェを配した広場だ。林立する石のオブジェは何やら古代の宗教施設のようでもあり、不思議な存在感を漂わせている。
「石の広場」の脇には、テニスコートを見下ろすように藤棚が設けられている。藤棚の下のベンチに腰を下ろしてテニスを楽しむ人たちの姿をのんびりと眺めて過ごすのも一興かもしれない。藤はすでに花の盛りを過ぎているが、少しだけ花を残していた。
「石の広場」の傍らから落合の街へ舗道が延びている。時間があれば落合の街へと散策の足を延ばしてみるのもお勧めだ。
舗道は尾根幹線(南多摩尾根幹線道路)を一本杉橋という人道橋で一跨ぎにしている。一本杉橋は美しい意匠の斜張橋だ。舗道から眺める姿もいいが、横から見る姿がたいへんに美しい。機会があれば西側や東側に少し離れた位置から一本杉橋を眺めてみるといい。多摩ニュータウン内には美しい橋が多くあるが、その中でも屈指のものではないかと思う。橋好きの人にはお勧めだ。
一本杉球場は高校野球の地区予選も開催される球場だが、一般利用も可能で、普段は長閑な印象の小さな野球場である。この一本杉球場、往年の野球ファンには1985年(昭和60年)に江夏豊の引退試合「たったひとりの引退式」が行われた球場として記憶に残っているかもしれない。江夏豊の引退についての詳細の説明は割愛する(興味のある人は調べてみてほしい)が、その引退試合のために約16,000人の観衆がこの球場に集まったそうである。
球場の西側、小高い丘になったところにこんもりと美しい半球状の枝を張った大きな樹木の姿が見える。これは多摩市の天然記念物にも指定されているスダジイの巨木で、幹の周囲は約3.6メートル、高さ約16メートル、枝張り約11メートルあるそうだ。かつての多摩丘陵の面影を伝える貴重な樹木だ。
スダジイは暖地に分布するブナ科の常緑高木、秋にはドングリが実る。四月下旬、スダジイは早くも花の盛りで、栗の花にも似た独特の香りを漂わせていた。
球場の北側には一段低くなってテニスコートがあり、その西側には「石の広場」という一角がある。その名の通り、石造りのオブジェを配した広場だ。林立する石のオブジェは何やら古代の宗教施設のようでもあり、不思議な存在感を漂わせている。
「石の広場」の脇には、テニスコートを見下ろすように藤棚が設けられている。藤棚の下のベンチに腰を下ろしてテニスを楽しむ人たちの姿をのんびりと眺めて過ごすのも一興かもしれない。藤はすでに花の盛りを過ぎているが、少しだけ花を残していた。
「石の広場」の傍らから落合の街へ舗道が延びている。時間があれば落合の街へと散策の足を延ばしてみるのもお勧めだ。
舗道は尾根幹線(南多摩尾根幹線道路)を一本杉橋という人道橋で一跨ぎにしている。一本杉橋は美しい意匠の斜張橋だ。舗道から眺める姿もいいが、横から見る姿がたいへんに美しい。機会があれば西側や東側に少し離れた位置から一本杉橋を眺めてみるといい。多摩ニュータウン内には美しい橋が多くあるが、その中でも屈指のものではないかと思う。橋好きの人にはお勧めだ。
「石の広場」から球場を回り込むように園路を南へ辿ると、球場の南側にまるで干上がった川を思わせる施設がある。公園の案内板には「流れ」と記されているが、要するに子どもたちのための水遊び施設だ。夏期には水が流され、水遊びに興じる子どもたちで賑わう。稼働状況については多摩市公式サイトで確認できる。
水の無い「流れ」は少しばかり殺風景だが、その脇の林はモミジの木立で、春から初夏には瑞々しい新緑を、晩秋には美しい紅葉を見せてくれる。「流れ」の上流側、奥まったところは小高くなって、その頂上部分には四阿も置かれている。木々に包まれてひっそりとしたところだ。
水の無い「流れ」は少しばかり殺風景だが、その脇の林はモミジの木立で、春から初夏には瑞々しい新緑を、晩秋には美しい紅葉を見せてくれる。「流れ」の上流側、奥まったところは小高くなって、その頂上部分には四阿も置かれている。木々に包まれてひっそりとしたところだ。
球場の管理事務所脇から「流れ」の横を抜け、一本杉通りをトンネルでくぐってまっすぐに降りて行くと、雛壇状になった梅林に出る。早春には紅白の梅が咲き、長閑な山里の春の興趣を感じられるところだ。梅や桜の季節を過ぎれば、辺りは緑に包まれてひっそりとしている。
その雛壇の中ほどに炭焼き小屋がある。これは「多摩ニュータウン三十周年の記念になるものを」とのことで、都市基盤整備公団と市民とが一緒になって作ったものだ。公園の樹木や街路樹の剪定で出てくる枝を使用して、地元有志のグループによって炭焼きが行われているという。
梅林のある辺りはいかにも“谷戸の奥まったところ”といった地形だ。両脇には木々が鬱蒼と茂り、どこか山深いところに入り込んだような景観だ。西側の林の中には鎌倉街道の古道跡が残っているらしい。
梅林の南側には公園の施設として畑も設けられている。ときおり係の方が手入れを行っている様子を見ることがある。畑のある風景は昔ながらの多摩丘陵の風景を彷彿とさせ、すっかり里山の風情だ。梅や桜が咲く季節の風景もいいが、木々が緑濃く葉を茂らせる季節の景観も素敵だ。
その雛壇の中ほどに炭焼き小屋がある。これは「多摩ニュータウン三十周年の記念になるものを」とのことで、都市基盤整備公団と市民とが一緒になって作ったものだ。公園の樹木や街路樹の剪定で出てくる枝を使用して、地元有志のグループによって炭焼きが行われているという。
梅林のある辺りはいかにも“谷戸の奥まったところ”といった地形だ。両脇には木々が鬱蒼と茂り、どこか山深いところに入り込んだような景観だ。西側の林の中には鎌倉街道の古道跡が残っているらしい。
梅林の南側には公園の施設として畑も設けられている。ときおり係の方が手入れを行っている様子を見ることがある。畑のある風景は昔ながらの多摩丘陵の風景を彷彿とさせ、すっかり里山の風情だ。梅や桜が咲く季節の風景もいいが、木々が緑濃く葉を茂らせる季節の景観も素敵だ。
梅林の谷戸から北東側に登ると、古民家のある一角に出る。多摩市内にあった二棟の古民家を移設したものだ。
東側、木立に囲まれて建っているのは多摩市乞田にあった旧有山家住宅、西側の少し高みとなったところに建つのは多摩市落合にあった旧加藤家住宅だ。どちらも農家で、18世紀頃の建物であるそうだ。それぞれ本来の持ち主より寄贈され、保管していたものを公園内に移築復元したものという。
旧有山家住宅は多摩市の有形文化財にも指定されており、茅葺屋根だったものを茅葺形銅板葺屋根とした他は可能な限り原型に忠実に復元されているという。
旧加藤家住宅は一部変更されての復元であるらしい。旧加藤家住宅は市民の活動の場としても利用できるように整備され、茶道・華道などの催しなどに使用できるように考えられているとのことだ。
両古民家とも外観や内部を自由に見学できる。旧加藤家住宅は内部に入ることもできるが、旧有山家住宅は室内に上がることはできない。
それぞれの古民家を覗いてみると、建物の内部には土間や囲炉裏、かまどといったかつての日本の農家の佇まいが復元されており、当時の人々の生活が偲ばれて興味深い。こうした生活様式はほんの数十年前まで日本の農家として一般的なものだったはずだが、いつの間にかこうして公園の中に保存されたものでしか目にすることができなくなってしまった。
旧加藤家の方はかまども使用することができるとのことで、催しの際にときおり使われることもあるらしい。薪を燃やすために屋内の梁が煤けていて、単なる展示物とは違った「生きた」保存という意味でも興味深い。旧加藤家住宅には管理される方が常駐されているようで、訪問者の案内や古民家の管理に携わってらっしゃるようだ。
旧加藤家住宅敷地の隅には鶏小屋があり、数羽の鶏が飼われている。鶏は日中は放し飼い状態で、縁側の前で自由に歩き回っている。訪れる人がいてもまるで気にしていない様子なのが可愛い。
こうした古民家はあまり人の興味を引かないのか、見学の人の姿を見ることは少ないのだが、一般利用にも解放された旧加藤家住宅の縁側に腰を下ろしてのんびりと風に吹かれて時を過ごすのも一興かもしれない。
東側、木立に囲まれて建っているのは多摩市乞田にあった旧有山家住宅、西側の少し高みとなったところに建つのは多摩市落合にあった旧加藤家住宅だ。どちらも農家で、18世紀頃の建物であるそうだ。それぞれ本来の持ち主より寄贈され、保管していたものを公園内に移築復元したものという。
旧有山家住宅は多摩市の有形文化財にも指定されており、茅葺屋根だったものを茅葺形銅板葺屋根とした他は可能な限り原型に忠実に復元されているという。
旧加藤家住宅は一部変更されての復元であるらしい。旧加藤家住宅は市民の活動の場としても利用できるように整備され、茶道・華道などの催しなどに使用できるように考えられているとのことだ。
両古民家とも外観や内部を自由に見学できる。旧加藤家住宅は内部に入ることもできるが、旧有山家住宅は室内に上がることはできない。
それぞれの古民家を覗いてみると、建物の内部には土間や囲炉裏、かまどといったかつての日本の農家の佇まいが復元されており、当時の人々の生活が偲ばれて興味深い。こうした生活様式はほんの数十年前まで日本の農家として一般的なものだったはずだが、いつの間にかこうして公園の中に保存されたものでしか目にすることができなくなってしまった。
旧加藤家の方はかまども使用することができるとのことで、催しの際にときおり使われることもあるらしい。薪を燃やすために屋内の梁が煤けていて、単なる展示物とは違った「生きた」保存という意味でも興味深い。旧加藤家住宅には管理される方が常駐されているようで、訪問者の案内や古民家の管理に携わってらっしゃるようだ。
旧加藤家住宅敷地の隅には鶏小屋があり、数羽の鶏が飼われている。鶏は日中は放し飼い状態で、縁側の前で自由に歩き回っている。訪れる人がいてもまるで気にしていない様子なのが可愛い。
こうした古民家はあまり人の興味を引かないのか、見学の人の姿を見ることは少ないのだが、一般利用にも解放された旧加藤家住宅の縁側に腰を下ろしてのんびりと風に吹かれて時を過ごすのも一興かもしれない。
二棟の古民家の北側には池を配した広場がある。古民家側から見ると、中央を園路が抜け、その左に緩やかな草はらの斜面があり、右手には池が横たわっている。池は修景目的で水遊びなどはできないが、水際まで近づくことができる。池には鯉が泳いでおり、その姿を間近に見ることもできる。
池の背後は雑木林の丘で、それほど規模の大きなものではないが、ひととき木立の中の散策を楽しむのも悪くない。広場の中央を抜ける園路は、そのまま延びて一本杉公園通りへと抜け出て、公園のエントランスのひとつとなっている。
広場は木立に囲まれて穏やかで静かな空気に包まれており、のんびりと時を過ごすのによい場所だ。近くの幼稚園か保育園か、先生に引率された子どもたちが散歩に来ているのを見ることもあるし、散策の途中なのか木陰のベンチに腰を下ろして休憩する人の姿を見ることも少なくない。陽気の良い季節の休日などにはシートを広げてランチタイムを楽しむ家族連れで賑わっている。
池の周囲にはさまざまな樹木が植えられ、四季折々の表情が美しい。春には池の岸辺に桜が咲き、池と桜が興趣に富んだ景観を見せる。春から初夏には新緑が美しく、晩秋には木々が紅葉に染まる。季節毎に訪ねてみたいところだ。
広場を抜ける園路脇に「多摩よこやまの道」のルートを指し示す案内標識が設置されている。「多摩よこやまの道」は多摩市諏訪から八王子市別所の辺りまで多摩丘陵の尾根を辿って延びる散策ルートで、都市基盤整備公団(現在のUR都市機構)によって整備されたものだ。全ルートの整備が完了して使用できるようになったのは2006年(平成18年)のことだ。
「多摩よこやまの道」が整備されたことに伴って、一本杉公園はそのルートの一部を兼ねることになった。休日などには「多摩よこやまの道」散策の途中らしい人の姿を一本杉公園内で見かけることも少なくない。「多摩よこやまの道」は全ルートを歩くと9.5kmほどの距離がある。一本杉公園はその中間点辺りだ。トイレも設置されているから「多摩よこやまの道」散策の際の一休みの場所にもちょうどよい。
池の背後は雑木林の丘で、それほど規模の大きなものではないが、ひととき木立の中の散策を楽しむのも悪くない。広場の中央を抜ける園路は、そのまま延びて一本杉公園通りへと抜け出て、公園のエントランスのひとつとなっている。
広場は木立に囲まれて穏やかで静かな空気に包まれており、のんびりと時を過ごすのによい場所だ。近くの幼稚園か保育園か、先生に引率された子どもたちが散歩に来ているのを見ることもあるし、散策の途中なのか木陰のベンチに腰を下ろして休憩する人の姿を見ることも少なくない。陽気の良い季節の休日などにはシートを広げてランチタイムを楽しむ家族連れで賑わっている。
池の周囲にはさまざまな樹木が植えられ、四季折々の表情が美しい。春には池の岸辺に桜が咲き、池と桜が興趣に富んだ景観を見せる。春から初夏には新緑が美しく、晩秋には木々が紅葉に染まる。季節毎に訪ねてみたいところだ。
広場を抜ける園路脇に「多摩よこやまの道」のルートを指し示す案内標識が設置されている。「多摩よこやまの道」は多摩市諏訪から八王子市別所の辺りまで多摩丘陵の尾根を辿って延びる散策ルートで、都市基盤整備公団(現在のUR都市機構)によって整備されたものだ。全ルートの整備が完了して使用できるようになったのは2006年(平成18年)のことだ。
「多摩よこやまの道」が整備されたことに伴って、一本杉公園はそのルートの一部を兼ねることになった。休日などには「多摩よこやまの道」散策の途中らしい人の姿を一本杉公園内で見かけることも少なくない。「多摩よこやまの道」は全ルートを歩くと9.5kmほどの距離がある。一本杉公園はその中間点辺りだ。トイレも設置されているから「多摩よこやまの道」散策の際の一休みの場所にもちょうどよい。
一本杉公園は静かで穏やかな公園だ。子どもたちのための遊具類は設置されていないので、ファミリーで行楽感覚で楽しむには不向きかもしれないが、公園南側の部分の池の周囲などはお弁当を持ってピクニック感覚で楽しむのに良いだろう。駐車場脇にドリンクの自動販売機が設置してあるが、売店などはない。周辺にもお店がないので、のんびりと過ごすならお弁当持参がお勧めだ。
一本杉公園通り沿いに来園者用の無料駐車場が用意されている。100台分の駐車スペースがあるので普段なら車でのアクセスに困ることはないだろう。 多摩センターから歩くと2km強の距離があり、30分ほどかかる。バスなら多摩センター駅から「京王多摩車庫前」行きの路線に乗り、「一本杉公園」バス停で降りれば近い。
一本杉公園通り沿いに来園者用の無料駐車場が用意されている。100台分の駐車スペースがあるので普段なら車でのアクセスに困ることはないだろう。 多摩センターから歩くと2km強の距離があり、30分ほどかかる。バスなら多摩センター駅から「京王多摩車庫前」行きの路線に乗り、「一本杉公園」バス停で降りれば近い。