鹿児島中央駅は鹿児島の鉄路の玄関口だ。特に東口には市電の停留所もあり、周辺には商業施設が数多く立ち並んで繁華街を成している。残暑の続く八月半ば、鹿児島中央駅桜島口界隈を訪ねた。
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅は文字通り鹿児島市のほぼ中心部に位置し、鹿児島の鉄路の玄関口として機能している。特に東側の駅前には路線バスや観光バスなどが発着するロータリーが設けられ、さらに鹿児島市電の電停もあって人々の往来は多く、その印象を強くする。鹿児島中央駅は本来はJR鹿児島本線の駅のひとつでしかなかったが、現在は九州新幹線のターミナル駅でもあり、名実ともに鹿児島の中心駅の役割を担っている。九州新幹線を利用し、鹿児島中央駅から初めて鹿児島の地に足を踏み入れるという人も少なくないに違いない。
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅は、そもそもは1913年(大正2年)に開設された国鉄川内線の武駅として、その歴史が始まっている。1927年(昭和2年)、八代駅から川内駅を経て鹿児島駅を繋ぐ川内本線(川内線から改称)が全線開通したのに伴って鹿児島本線に編入され、その際に武駅は西鹿児島駅に改称され、以後は長くその名で親しまれてきた。なぜ「西鹿児島」だったのかと言えば、「鹿児島駅」がすでに存在していたからだ。鹿児島駅は現在も鹿児島本線の駅として鹿児島中央駅の北側に設けられている。鹿児島駅は1901年(明治34年)に鹿児島〜国分間の鉄道が開業したのに伴って鹿児島市街地の北端部に設けられた駅だった。当時は鹿児島駅が鉄路に於ける鹿児島の“入口”だったわけだが、戦後、鹿児島市の市街地は鹿児島駅より南側で発展してゆき、1970年代に入ると長距離列車の始発駅、終着駅も西鹿児島駅に移転となり、西鹿児島駅が鹿児島の中心駅としての役割を担うようになってゆく。

鉄道を使って鹿児島を訪れるのなら、駅は「鹿児島」ではなく「西鹿児島」、というのは南九州に暮らす人たちにとってはよく知られたことだった。なぜそうなったのかという経緯は知られていなくても、“西鹿児島駅が鹿児島の中心駅”ということは広く知られていた。しかし他の地方の人には戸惑いもあったようだ。鹿児島へ初めて訪れるという東京の友人などから「鉄道を使って鹿児島へ行きたいのだけれど」と相談を受ければ、「鹿児島の中心駅は鹿児島駅ではなく西鹿児島駅、乗車券は西鹿児島駅まで、あるいは西鹿児島駅から」という事実をまず教えておかなくてはいけなかった。
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
その西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称されたのは九州新幹線鹿児島ルートの八代〜鹿児島中央間が開業した2004年(平成16年)のことだ。改称に当たっては新駅名が公募され、最も多くの票数を集めたのが「鹿児島中央駅」だったらしい。「新鹿児島駅」とする案や、「西鹿児島駅」のままとする案もあったようで、駅名に対する鹿児島の人々の思いを垣間見る思いがする。現在の鹿児島中央駅駅舎は1996年(平成8年)に完成した三代目だそうだ。2004年(平成16年)には「アミュプラザ鹿児島」という大型の複合商業駅ビルが開業した。2011年(平成23年)には九州新幹線鹿児島ルートが博多〜鹿児島中央間の全線で開通した。桜島口(東口)には三代目駅舎と共に幅36メートル、奥行き20メートル、高さ7メートルという大階段が造られたそうだが、この大階段は2013年(平成25年)に撤去され、その跡には2014年秋の開業を目指して「アミュプラザ鹿児島プレミアム館」が造られている。
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
現在、鹿児島中央駅は名実ともに鹿児島の中央駅と言っていい。特に東側には大型の駅ビルが建ち、周辺にも商業施設が建ち並ぶ。駅前からは県道21号や県道24号、「ナポリ通り」や「甲南通り」などの大きな道路が放射状に延び、駅前に設けられたバスロータリーから各方面へのバス路線が発着する。鹿児島市電にも鹿児島中央駅前を経由する路線があって停留所が設けられており、鹿児島中央駅はまさに市内交通の“ハブ”として機能している印象だ。駅周辺にはホテルも少なくなく、市内周遊バスや空港連絡バスも駅前から発着する。鹿児島観光の際にも拠点となるところだと言っていい。駅ビル内には総合観光案内所も設けられている。鹿児島観光に初めて訪れるなら、まずは鹿児島中央駅へ、である。
若き薩摩の群像
鹿児島中央駅桜島口(東口)前に、「若き薩摩の群像」と題された、複数の人物の彫像をあしらった塔が建っている。幕末、薩摩藩の藩命によって海外渡航の禁を犯してロンドンに渡った留学生たちの姿を象ったものだ。

一行は新納久修を団長に、引率者は町田久成、松木弘安、五代友厚、通訳の堀孝之、留学生の名越時成、吉田清成、中村博愛、市来和彦、森有礼、村橋直衛、畠山義成、鮫島尚信、田中盛明、東郷愛之進、町田実積、町田清次郎、磯永彦助、高見弥一の19名、団長の新納は当時34歳(年齢はすべて“数え年”)、町田、松木、五代の三名も30歳前後、留学生たちはほとんどが20歳前後、町田清次郎は15歳、磯永彦助は13歳だった。町田実積と町田清次郎は町田久成の弟である。1865年(慶応元年)、一行はイギリス人商人グラバーの手引きによって甑島大島出張と偽って日本を出発、66日をかけてロンドンに到着したという。

留学生たちの多くは当地で海軍測量術や陸軍学術、医学、化学などを学んで帰国、日本の近代化に貢献した。畠山義成はその後に渡米、法律や政治を学び、1872年(明治4年)に帰国、後に東京開成学校(後の東京大学)の初代校長を務めている。森有礼は後に日本で初めての駐米大使を務め、その後には初代文部大臣の任に就いている。最年少だった磯永彦助は一人、スコットランドのアバティーンに移り、その後渡米、生涯をアメリカで過ごした。ぶどう園の経営とぶどう酒製造で成功し、“ぶどう王”と呼ばれたという。引率者のひとりとして渡航した松木弘安は後の寺島宗則、明治初期の日本外交に貢献した人物である。

五代友厚は留学生派遣を提案した中心人物だったそうだ。五代はイギリス国内からヨーロッパ各地を視察、紡績機械の買い付けなどを行ったが、この時に購入して持ち帰った紡機機械が後に磯地区に建設された紡績工場で使われることになる。1867年(慶応3年)に開催されたパリ万博に薩摩藩として参加したのも、藩の指示によって渡航中の五代が手配したことだったという。翌1866年(慶応2年)に帰国した後は明治維新後の日本経済の近代化に貢献、特に大阪商法会議所や大阪商業講習所を発足させ、大阪商法会議所の初代会頭を務めるなど、大阪経済の発展に多大な功績を残している。現在の大阪商工会議所ビル前には五代の功績を顕彰し、第7代会頭の土居通夫、第10代会頭の稲畑勝太郎と共に像が建てられている。

明治維新後、日本は急激な近代化を成し遂げたが、その背景にはこうした人々の貢献があったのだ。名も無き若者たちが、国を将来を思い、志を抱いて、国の禁を犯して海外へ渡航した姿を想像すると感動を禁じ得ない。「若き薩摩の群像」には、彼らそれぞれのその後の経歴の概略が記されているが、それらをさらに詳細に調べてみるのも一興かもしれない。
若き薩摩の群像
若き薩摩の群像
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口(東口)を出て右手(南)へ歩を進めると、アーケードとなった商店街が延びている。「一番街商店街」という。戦後間もない頃から「朝市」として市民に親しまれてきた商店街だという。

戦後、“西鹿児島駅”の周辺は一面の焼け野原になってしまったそうだ。そこへ生活必需品を扱う闇市が生まれ、やがて露天商が並んで「朝市」が形成され、「西駅朝市」として近隣からも多くの買い物客が訪れて賑わったという。「朝市」はさらに発展、1955年(昭和30年)頃には現在のような商店街の形が整い、1957年(昭和32年)には朝市連合会が発足した。朝市連合会は1967年(昭和42年)に一番街商店会に改称された後、1977年(昭和52年)に設立された一番街商店街振興組合に引き継がれた。
鹿児島中央駅桜島口界隈
鹿児島中央駅桜島口界隈
一番街商店街は鹿児島中央駅前から300mほどの距離で南へ延びる。北から一丁目、二丁目、三丁目と並び、土産物や特産物を扱う店から衣料品店や飲食店、八百屋や鮮魚店、酒屋や総菜店など、さまざまな店が軒を連ねている。一丁目は駅に近いこともあってか、土産物や特産品を扱う店が多いようだ。二丁目には再開発ビルが建ち、三丁目には飲食店が数多く軒を構える。

戦後の闇市から発展してきた商店街らしく庶民的な雰囲気の漂う商店街だが、古びた印象はなく、現代的に整備の手が加えられているようだ。頭上を覆うアーケードは1999年(平成11年)に全面新築されたものだそうだ。天文館をはじめ、鹿児島の商店街にはアーケードを施したところが多いが、雨の日の買い物の利便性に加え、真夏の強い直射日光を防ぎ、何より桜島の降灰対策のためという背景がある。
鹿児島中央駅桜島口界隈
そのアーケードの下、今回訪れたとき(2014年夏)、象徴的な鹿児島の方言を記した垂れ幕が提げられていた。方言の下には標準語に“翻訳”したものも記されている。「めばん そつで だいやめすっ」は「毎晩焼酎で晩酌する」、「いっどどま けしんかぎぃ きばいやんせ」は「1回くらい死ぬ気で頑張りなさい」といった具合だ。他の地域の人には興味深く、楽しくもあるのではないだろうか。こうした商店街をのんびりと歩いてみるのも鹿児島観光のひとつだろう。
参考情報
交通
鹿児島中央駅へは九州新幹線、鹿児島本線、日豊本線、指宿枕崎線が乗り入れている。遠方から鹿児島へ訪れる人はそれらの路線を利用するとよいだろう。鹿児島空港から訪れる場合は空港と鹿児島中央駅前のバスターミナルを結ぶバス路線を利用するのが便利だ。

鹿児島市街地から鹿児島中央駅へと移動する場合は路線バスや市電を利用するといい。

遠方から車で訪れる場合は九州自動車道や国道3号、国道10号などを利用するのがわかりやすい。志布志市、鹿屋市方面からは国道220号を辿り、桜島南岸を経て桜島フェリーを利用するといい。駐車場は駅周辺に点在する民間駐車場を利用すればいい。

飲食
駅ビルや駅周辺にさまざまな飲食店がある。食事の場所には困らない。

周辺
鹿児島中央駅の北東側には甲突川が流れている。甲突川の高見橋から高麗橋にかけての左岸側は「維新ふるさとの道」という散策路が整備されている。西郷隆盛生誕地などを訪ねてみるといい。

高見橋から1kmほど東へ辿れば天文館、有名な繁華街だ。天文館を北西側に通り抜ければ照国神社が鎮座している。照国神社前から北東へと延びる国道10号(磯街道)の歩道は「歴史と文化の道」と名付けられ、沿道には西郷隆盛像や鶴丸城趾などがある。「歴史と文化の道」西方の丘は城山公園で、頂上部に設けられた城山展望台からは鹿児島市街と桜島を一望する。

鶴丸城趾から東へ1kmほどで鹿児島港桜島フェリーターミナルだ。桜島フェリーは昼間は15分間隔で運行し、鹿児島港と桜島を約15分で繋いでおり、桜島へも気軽に渡ることができる。フェリーターミナル横の「いおワールドかごしま水族館」やウォーターフロントパークにも立ち寄ってみたい。

鹿児島市街地中心部の移動には鹿児島市電や路線バスを利用するのが便利だ。観光名所を巡るのであれば周遊バス(市営の「カゴシマシティビュー」、民営の「まち巡りバス」が運行している)を利用すると効率よく回ることができるだろう。

さらに北へ足を延ばせば石橋記念公園仙巌園などもある。徒歩では少し遠いが、周遊バスを利用すると便利だ。
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