鹿児島市に初めて路面電車が走ったのは1912年(大正元年)12月1日のことだ。鹿児島電気軌道株式会社が武之橋〜谷山間の6.4kmで営業を開始した。全国で28番目だったそうだ。その後、1914年(大正3年)には武之橋〜鹿児島駅前間が開通、1915年(大正4年)には高見馬場〜鹿児島中央駅前(当時は西鹿児島駅前)間が開通、1927年(昭和2年)には朝日通〜 竪馬場間が開通するなど、事業が拡大してゆく。1928年(昭和3年)、鹿児島市が鹿児島電気軌道株式会社を買収、鹿児島市電気局が発足して路面電車事業を開始した。「鹿児島市電」の誕生である。ちなみに、そのときの買収金額は4,963,775円78銭だったそうである。
鹿児島市の運営となった後も運行路線は拡大してゆくが、1945年(昭和20年)の大空襲では市電も被害を受け、運行休止を余儀なくされたようだ。戦後は鹿児島市の人口増加に伴って利用者も増加した。1959年(昭和34年)には鹿児島中央駅前(当時は西鹿児島駅前)〜郡元間も開通する。1963年度(昭和38年度)には利用者数約3656万人(1日平均約10万人)を記録したそうだが、これをピークに以後は減少してしまった。
鹿児島市の運営となった後も運行路線は拡大してゆくが、1945年(昭和20年)の大空襲では市電も被害を受け、運行休止を余儀なくされたようだ。戦後は鹿児島市の人口増加に伴って利用者も増加した。1959年(昭和34年)には鹿児島中央駅前(当時は西鹿児島駅前)〜郡元間も開通する。1963年度(昭和38年度)には利用者数約3656万人(1日平均約10万人)を記録したそうだが、これをピークに以後は減少してしまった。